Christmas Greetings from My Village
我が村からメリークリスマス!(写真はクリックすると拡大する)
昨夜、サクラメントの州政府研究所に勤める甥のE博士から、親父に E-mail でも電話でも連絡が付かないのでおかしい。様子を見てきてくれないか、との依頼が夜遅く入った。確かに電話が通じない。30分ほどで行けるところだが時間が遅いし、そんな時間に予約なしには訪問できない gated area なので朝になるのを待った。
翌朝、そこに行き、ゲートからコールしたが応答なし。たまたまゲートから出てきた車に近寄って事情を説明したら、このおばさんは最初取り合おうとしなかったが、私の車のライセンスプレートの DR MARKS をちらっと見て、OK, follow me と言って、もう一度ゲート内に戻ってくれ、私の車を一緒にゲート内に誘導してくれた。入ったらしめたもの。早速、兄(例のべらんめい口調ができる長兄)の家に行き、近所の人に聞いて事情を把握した。彼は、新聞を拾おうとして転倒、骨折して近くの病院に入院しているという。救急車が運び込んだその病院は確かに間近の病院だが、長老教会立のとても大きな病院で、広い敷地内に幾つものビルがある。
突然に病室に私が現れたので、兄と付き添いの彼の嫁さんはびっくり。誰が知らした、だと。この野郎、虫の知らせでお前の息子が心配していたから来たんだ、と伝えると、この期に及んで、その息子以外にはこの件を誰にも伝えるななどという。人のことは言えないが、何だ、この秘密主義は。とにかく、骨折は痛いが、それ以外は減らず口を含めて(人を矢鱈に馬鹿呼ばわりする)元気であることと、携帯はオフにしていたが、早速サクラメント(カリフォルニアの州都)に電話するということとを確認して部屋を後にした。
お腹が減ったので時計を見るともう昼時だ。エレベータで看護婦(←ざまあ見ろ、アメリカじゃ看護「婦」でいいんだ)に、ここのカフェテリアの食事はどうかと聞いたら、絶品(Superb!)だというから試してみることにした。10ドルでおつりが来て、鶏肉のフライと魚の白身、サラダとピラフ、コーヒーを腹一杯食べた。サラダは20種類ほどの野菜やハムなどから好きなだけ選び、全体の重さで値段を決めるシステムだ。実に健康的な食事で確かに絶品だった。
あーあ、またタイトルと違うことを書いてしまった。しかし、あれは本日のメーンイヴェントだったから、自分の日記としても書いておく。あの昼飯はうまかった。今度あの辺りに行ったら、下手なレストランなどに行かず、病院で食べよう。明るくてきれいだし、チップもいらないし(←けち!)。しかし、ここはチップの世界。クリスマス時になると我が家程度の暮らし向きでもチップは結構出る。隔週ごとに庭の芝刈りに来てくれるガーデナー(庭師)はもちろん、郵便配達人、近くの銀行の駐車場係など、日頃お世話になっている人にするのは当たり前な世界だ。本当は、昔の日本もそうだった筈。
そこでやっと、冒頭の写真へ。これは60年前(1948年)の近所の商店街(L-village)のクリスマス風景。路面電車も走っていた。南から北に向かって撮っており、奥の山の中腹に有名な HOLLYWOOD のサインがあるが、少し角度がずれているので見えない。我が家はこの撮影地点から100メートルほどのところにあり、1923年にできた古屋である。ほとんど修繕も増築もしていないのでみすぼらしいことこの上ないが、逆にオリジナルの雰囲気はある。今日、兄のいる地域に行って気づいたが、昔の住宅地は、道路から一段高いところに土盛りして建てているので増水に強い。新開地の住宅地は、更地に平気でそのまま建てている。いったん水が出たらどうするのか。
この写真左手前に見えるような八百屋や肉屋のマーケットは早々にスーパーにやられて消えていった。写真館も素人写真が盛んになって消え、昨今はDPE屋さんも店仕舞い、今日は Home Depot や Lowe's という大型店舗にやられた金物屋も店仕舞いするというので60%引きでいろいろ買い付けてきた。馴染みの店員も寂しそうだった。それでは、そのような店の代わりに何ができたかというと、スタバなどコーヒー屋が3件もあり、ヨーグルト屋やアイスクリーム屋も数軒、本屋、文房具屋、洋服店、ヨガ道場、骨董屋、それにレストランがごちゃまんで、通りの賑わいは昔どおりだ。今じゃ我々地元民とうより、昔の洒落た雰囲気を求めて余所からやってくる人のほうが多いかもしれない。電車はもう通っていない、というか、通っていたことさえ、今では誰も知らない。
嗚呼、昭和は遠くなりにけり、メリークリスマス!