Dr. Waterman's Desk

An old desk of an American theologian ("日本語" speaker) / Check out another blog please "Comments by Dr Marks"

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American citizen but a foreign native born in southern Germany, raised in northern Japan. He holds a Ph.D. degree in biblical theology (Center for Advanced Theological Studies, Fuller Theological Seminary). Dr. Waterman mainly lives in Los Angeles, California. He studied various subjects (philosophy, sociology, etc.) and languages in Japan and in America (Hirosaki University, University of Tokyo, Fuller Theological Seminary, and other institutions). Email: markwaterman(at)fuller(dot)edu. Some call him "Dr. Marks".

Wednesday, October 18, 2006

Ens et Esse: Dietrologia or Behindology

このエントリーは、この直前のエントリー "Quick Responses to the Recent Comments" に対する再コメントが長くなったので、独立のエントリーとしたものです。議論の元からご覧になりたい方は、そこからお読みください。(その議論の先、またその先と行くと、際限がなくなるかもしれませんのでご注意ください。)

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(今日のみことば)

ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、
イエスは、「それはあなたが言っていることです」と答えられた。
(新共同訳 マルコ15:2)


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どう言ったらいいだろうか。まず、絵解きから行きましょう。

ラテン語の ens とかesse は、いずれも辞書の見出し語になっている sum の変化形で、辞書には載っていません。Sum は1語ですが、これだけで I am の意味です。だから、デカルトの「我思う故に我あり」は Cogito ergo sum。

それでは、ens と esse は何かと言うと、ens は現在分詞ですから英語の being に当たり、esse は現在不定詞ですから to be でしょうか。どちらも、言葉としては、私個人の存在 sum (すなわち I am) のことでも、あなたの存在 es (you areただし単数のyou) のことでもなく、存在一般ということです。乱暴に言えば(いや乱暴でなくても)、ens も esse も「存在」ということにすぎません。

むしろ中世的な解釈では ens を存在「者」と言ってしまうと、あなたや私、つまり個別の存在者のことであり、神ではありません。神とは特別な存在ですから、存在そのものが本質 (essentia) の存在 (esse) であり、自己が存在の原因 (ens a se) なのです。

後世、存在あるいは存在者を認識論の領域で扱うか超領域 (transcendental または超越論的、存在論的) で扱うかの言葉遊びは、Martin Heidegger 辺りになると ontologische Differenz (存在論的区別)と称して ens と esse を明確に区別してくる。(on はギリシア語で存在。)この男は、Ontik などという言葉を作ったり、ontisch と ontologisch を区別してみたりして遊ぶのだ。

さて、「トマスの真意は何か」という問題ですが、そんなことは誰も分かりません。あがるまさんが考える通りかも知れません。そうでないかも知れません。史的イエス論で、「イエスがメシアであると意識していたか」という問題領域がありますが、(私の考えでは)最も実りのない領域です。

何かの行動の裏に何かあるのか、という学問が behindology だそうです。勿論、冗談の学問だと思いますが、心理学者などは好きですからね。そのイタリア語が dietrologia だそうです。なお、私はイタリア語は分かりません。Charles E. Carlston (チャールストンじゃないよ)という人の史的イエス論の中にあった言葉です。