Yom Kippur
Yom Kippur--Day of Atonement
(Exodus 30:10, Leviticus 23:27-31; 25:9,
Numbers 29:7-11)
昨晩の街は華やいでいた
10月2日、日曜日の夕方というより日の入り後しばらくの時だが、買い忘れた物のために街に出た。そして、しまった!カメラを忘れた。私は、日本の皆様が持っているようなカメラ付き携帯電話など持っていない。専ら音声通信だけだ。ああ、それなのに今日は、ヨーム・キップール、「贖罪(しょくざい)の日」だ。
一年の罪を贖(あがな)ってもらって晴れやかな顔をして色々なシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)から老若男女が出てくる。ある所では、角笛を持ち、聖書(タナク、律法・預言者・諸書、いわゆるクリスチャンが言う旧約聖書)を片手にした男の集団が整列して道にまではみ出し、Shema Yisrael (Shema Israel、「イスラエルよ、聞け」申命記 6:4-5 参照)を朗詠している。
彼らは、前日、土曜日の夕刻から沐浴斎戒し、その時まで仕事も食事もしてはならなかった。(この時期、イスラム教徒も断食するから面白い。キリスト教徒は食い放題だが。)車の運転もだめ。しかし、今や、この日曜の夜から何でもできる。しかも、罪許されたとの喜びで華やいでいるのだ。いつもは黒の洋服の女性たちは、今日は真っ白のいでたちだ。年配の女性は、帽子から靴まで真っ白で、旦那様や息子たちに手を引かれてニコニコ。若い女性は、申し訳程度にスカートだけ(それも短い!)白くして、帽子などかぶらず闊歩して行く。多分、彼女らはラビの説教や伝統などどうでもいい。これから、ご馳走だ、ご馳走だ。そして、友達とドライヴ、・・・。
今朝起きたら、どこから来るのか、いつも来るリスが柿の実を食べている。見ると我が家の柿はもう赤く色づいている。地中海性気候の南カリフォルニアにも、秋は確実に訪れた。