ABC Called Her "Hero"
ABCテレビが「ヒーロー」と呼んだ女
写真の女性はJeanne Assamというボランティアの女性警備員。元警官で、銃を所持していたのでヒーローになった。女なのにヒロインじゃないのかと思う向きは大いなる勘違い。ヒーローとしか言わん。
(それはともかく、その前に、あがるまさん、あなたからのオーヴァベックに関する前回記事へのコメントを何日か見過ごしていたかもしれません。ごめんなさい。リリースして私からのレスも入っています。歴史と歴史叙述に関する短いレスですので読者の方もどうぞオーヴァベックのコメント欄をクリックしてください。)
話を元に戻す。先日、コロラドの2箇所で24歳の男が発砲殺人事件を連続して起こしたが、この女性からの銃撃で更なる惨事が未然に防げた。警察の詳しい調べでは、彼女に銃撃され複数の銃弾を浴びた犯人が自殺したことになっているが、彼女の銃撃が犯人の凶行を阻止したことに変わりはない。(未確認の話では、男の警備員はボケッと立っていて撃たれたらしいが、このジーン・アッサム姉さんは銃声の方角に向かって走り、犯人に一声だけ警告の上、すぐさま数発の弾丸を浴びせている。)
だいぶ前になるが、私が 「武器に対して武装せよ 」という記事を書いたときはネガティヴな反響があった。馬鹿なことを言うなとね。そのせいか、この記事に関してはいまだに時折訪問される方がある。
しかし、諸君、私が言ったとおりではないか。銃を所持することが銃による犯罪を防ぐのだ。銃が悪いのではなく、使う人間の問題なのだから、銃を持たせないと、悪人や狂人だけが銃を持つことになる。銃を持たない平和な囲いの中に、囲いのルールとは別の者が、囲いの外から進入するのだ。囲いの中にも銃は置くべきだ。(また、誰か言ってくるだろうな。)
この問題に関連して、私のこのブログの範疇なので、一言申し述べたいことがある。
教育は社会に任せよ。日本でも、キリスト教関連の人物や団体が、子供を学校にやらず、自宅で教育していることは聞いている。プロテスタントの根本主義者らの考えで、従来のミッションスクールとはわけが違う。やれ、普通の学校に通わせるとダーウィンの進化論を覚えてくるだの、神は迷信だと言われるからだの、世間の俗に染まるのだのと、理屈はいろいろあるだろうが、技術的にも自分たちだけで教育が可能なわけがない。
このような家の学校(home school)で育ったのが、今回の24歳の犯人だ。数年前に、初めに攻撃した若者の訓練機関に入っていたそうだが、日頃から友人に揉まれる学校という生活に慣れていないから、その時はあちらこちらで悶着を起こすトラブルメーカーとして追い出されたらしい。学校は、知識だけを身につけさせるところではない。人と人との関係の難しさや人と人との関係の温かさを学ぶところでもある。体育だってそうだ。大勢で一つのゲームに集中して、これから生きるうえでの人との関係や、更には社会を体得していくのだ。
この若者も、根本主義的なキリスト教思想の親のエゴの犠牲者であり、痛ましい。また、この親は、根本主義に毒された牧師や聖職者による犠牲者でもあろう。他人を殺めたうえ、殺された子供の親は、今どれだけ苦しかろうか。
写真の女性はJeanne Assamというボランティアの女性警備員。元警官で、銃を所持していたのでヒーローになった。女なのにヒロインじゃないのかと思う向きは大いなる勘違い。ヒーローとしか言わん。
(それはともかく、その前に、あがるまさん、あなたからのオーヴァベックに関する前回記事へのコメントを何日か見過ごしていたかもしれません。ごめんなさい。リリースして私からのレスも入っています。歴史と歴史叙述に関する短いレスですので読者の方もどうぞオーヴァベックのコメント欄をクリックしてください。)
話を元に戻す。先日、コロラドの2箇所で24歳の男が発砲殺人事件を連続して起こしたが、この女性からの銃撃で更なる惨事が未然に防げた。警察の詳しい調べでは、彼女に銃撃され複数の銃弾を浴びた犯人が自殺したことになっているが、彼女の銃撃が犯人の凶行を阻止したことに変わりはない。(未確認の話では、男の警備員はボケッと立っていて撃たれたらしいが、このジーン・アッサム姉さんは銃声の方角に向かって走り、犯人に一声だけ警告の上、すぐさま数発の弾丸を浴びせている。)
だいぶ前になるが、私が 「武器に対して武装せよ 」という記事を書いたときはネガティヴな反響があった。馬鹿なことを言うなとね。そのせいか、この記事に関してはいまだに時折訪問される方がある。
しかし、諸君、私が言ったとおりではないか。銃を所持することが銃による犯罪を防ぐのだ。銃が悪いのではなく、使う人間の問題なのだから、銃を持たせないと、悪人や狂人だけが銃を持つことになる。銃を持たない平和な囲いの中に、囲いのルールとは別の者が、囲いの外から進入するのだ。囲いの中にも銃は置くべきだ。(また、誰か言ってくるだろうな。)
この問題に関連して、私のこのブログの範疇なので、一言申し述べたいことがある。
教育は社会に任せよ。日本でも、キリスト教関連の人物や団体が、子供を学校にやらず、自宅で教育していることは聞いている。プロテスタントの根本主義者らの考えで、従来のミッションスクールとはわけが違う。やれ、普通の学校に通わせるとダーウィンの進化論を覚えてくるだの、神は迷信だと言われるからだの、世間の俗に染まるのだのと、理屈はいろいろあるだろうが、技術的にも自分たちだけで教育が可能なわけがない。
このような家の学校(home school)で育ったのが、今回の24歳の犯人だ。数年前に、初めに攻撃した若者の訓練機関に入っていたそうだが、日頃から友人に揉まれる学校という生活に慣れていないから、その時はあちらこちらで悶着を起こすトラブルメーカーとして追い出されたらしい。学校は、知識だけを身につけさせるところではない。人と人との関係の難しさや人と人との関係の温かさを学ぶところでもある。体育だってそうだ。大勢で一つのゲームに集中して、これから生きるうえでの人との関係や、更には社会を体得していくのだ。
この若者も、根本主義的なキリスト教思想の親のエゴの犠牲者であり、痛ましい。また、この親は、根本主義に毒された牧師や聖職者による犠牲者でもあろう。他人を殺めたうえ、殺された子供の親は、今どれだけ苦しかろうか。