Julian the Apostate and Modern Apostates of Theologians
背教者ユリアヌスと現代の背教神学者
日本では、クリスチャンの間でなくても背教者ユリアヌスのことは割合に有名らしい。日本だけのことではないが、キリスト教史というよりは、多くはあることないことをまじえたフィクションの世界で有名だからである。
ユリアヌス(Flavius Claudius Julianus)は4世紀のローマ皇帝で、国教化したキリスト教よりもローマ古来の異教を復活させようとした偏屈あるいは変わり者的豪の者であると言われるが、むしろ今で言う自由主義的な立場の人であり、異教を復活させる代わりにキリスト教も自由に活動させるというものであったらしい。彼の母親 Baslina は、彼を産んで間もなく亡くなっている。寂しい少年時代だったらしい。しかし、政治と軍事を司ることが運命の家系だから、なかなか凡人には想像もつかない凄まじい人生だった。果たして、死の床で「ナザレ人(イエス・キリストのこと)、汝が勝てり」と言ったかどうかは定かではないが、何ほどかイエスを思うところがあったのではないかと想像する。
私のブログに登場する回数の多い神学者に新約学者の Bart D. Ehrman がいるが、来年の2月にGod's Problem: How the Bible Fails to Answer Our Most Important Question--Why We Suffer という本を出すらしい。新約学者が神学の本を出すという趣向だが、この中に彼の、いわゆる背教というわけではないが、不信仰に陥った個人的体験も書かれているらしい。彼は思春期に劇的な改心で信仰の世界に入り、新約聖書は全文暗記したというから並ではない。初めは Moody Bible Institute という超保守的な学校で学び、最後はプリンストンで Bruce M. Metzger の指導を受けPh.D. の学位を取得した。(クレアモントのMcDonald 先生もそうだが、ハーヴァードに行く前はなにしろあのBob Jones University だからね。そして結局へんてこな研究傾向になる。今イーアマン先生はノースカロライナで教えている。
大体だ、「なぜ俺たちは苦しむ」などという問題設定が問題だし誤解を生む元なのだが(Dr. Waterman 風に言えば、神学のゴミ)、神学の分科に Theodicy(神義論と日本語では言うと思う)というのが元々存在することは事実だ。20世紀後半でこの分野で有名な学者は John Hick。多分、日本語訳もあるだろう。このヒック先生はクレアモントでも教えていた。そして、このヒック先生と一緒に Why Believe in God? という本を書いた先生に(もう亡くなったが)Michael Goulder いう先生がいた。この先生はバーミンガムの僧正様だったが、「もう辞―めた、ついでにキリスト教信仰も止-めた」といってキリスト教の世界から姿を消した。1981年のことである。ある意味でプロテスタント系の学者の研究が袋小路に入っていた時期だ。
ゴールダー先生は、有能な若者のあたら青春を神学やキリスト教のために費やさせる呵責に忍びず、教えることを止めてしまったという次第。それから後、20世紀の終わり頃、イエス・キリストなど信じねー、と宣言したものだから、ゲッチンゲン大学のプロテスタント神学部を追い出され、一般教養学部に配置換えされた大将がいる。あの有名な Gerd Lüdemann だ。ただし、神学部を追い出されても新約学者で、いろんな変なことを教えている。しかし、ときどき鋭い聖書の解釈もする。
このリューデマン大将とイーアマン提督はサンディエゴの学会上に現れる予定。イーアマン先生、あんたは新約学者なんで、その限りは立派、余計なことに首を突っ込むと危ういなー。本が出たら、こきおろしたろ。