Icons from Sinai
シナイからのイコン
英語という世界の「俗語」は面白いことにシナイはサイナイと発音し、イコンもアイコンだ。もっとも後者はコンピュータ用語のお陰で日本でもアイコンで通用する。このテーマは、前々回のエントリーの末尾で紹介したように、LAにあるゲッティー・ミュージアム(Getty Musium)が3月4日までシナイ半島から借りてきたイコンの展示会のことである。
英語という世界の「俗語」は面白いことにシナイはサイナイと発音し、イコンもアイコンだ。もっとも後者はコンピュータ用語のお陰で日本でもアイコンで通用する。このテーマは、前々回のエントリーの末尾で紹介したように、LAにあるゲッティー・ミュージアム(Getty Musium)が3月4日までシナイ半島から借りてきたイコンの展示会のことである。
この美術館は ゲッティー家の財産を基に運営されている private musium で入場は無料。ゲッティー財団(The J. Paul Getty Trust)は、この美術館の建設と運営(庭師だけで40人の雇用)そして美術品の収集を独自の資金でまかなっている。マリブ海岸には別館(Getty Villa)がある。また6番街のLA市長公館は、同じゲッティー財団が無料でLA市に貸与しているもの。ゲッティー家は石油で財をなした一族である。Sir John Paul Getty 自身は、なかなか面白い人生を送ったようだ。 (美術館からは、ブレントウッドのビル群[右手前]とダウンタウンのビル群[左遠景]が眼下に見える。手前の赤レンガの幾つかの建物はUCLA。写真はクリックすると多少拡大するはず。)
「イコン」とは主に東方教会で用いられる板などに描かれた聖像のことだが、像・イメージを意味するギリシア語 εικων (エイコーンと発音)に由来する言葉だ。「シナイから」のシナイとは、具体的にはシナイ半島にある聖カテリーナ修道院(エジプト領)のことである。この修道院は、現実に連続して営まれたものとしては世界最古で、世界遺産にも指定されている。しかし、実際の具体的な設立年代は明らかではない。少なくとも、ここにはコンスタンティン大帝(4世紀)以前から修道僧の住居があったはずである。聖カテリーナ(3世紀)とはアレクサンドリアの殉教者の名前であり、シエナの聖カテリーナとは別人である。比較的完全なギリシア語コーデックスで最古のシナイ写本(写本シンボルא )は、この修道院からドイツのティッシェンドルフ教授 (Constantin von Tischendorf)が発見したものだ。余談だが、このマルコ伝には16章9節以下がないので有名である。
全体を一瞥して、自分として圧巻と思われたのは、高さ15インチ幅8インチほどのペテロ像だ。修道院でもっとも古い(6世紀)ものの一つで、後世の装飾化・様式化したものよりはるかに目を引いた。縁が欠けたままで展示されていたが、ギリシア・地中海風の写実的なイコンである。 このペテロは、どこにでもいるお父さんの顔をしている。やさしく、力強く、とても懐かしい気持ちが湧いてくるのが不思議だ。
もともとキリスト教はユダヤ教やイスラム教同様に偶像を禁止するため、イコンなど使われなかったが、自然発生的に4世紀から6世紀に一般的になったため、イコノクラスト(iconoclast=ikonoklast=εικονοκλαστης=像破壊)と呼ばれる神学的イコン破壊運動(8-9世紀)が起こり、それ以前のものの多くが破壊された。しかし、イコンが公認されるようになると、上述したごとく様式化は進むが力強さには欠けるように思えた。とくに12世紀以降のものは、ギリシア語にアクセント記号が入っていたりするので興ざめである。
ところで、イコンの写真を期待した方もいるだろうが、色々な写真集が出ているので、著作権の問題からも道義的な問題からもこのブログには掲載しないことにした。上述のペテロのイコンも幾つかの画集にあるようで、私も一つ買ってきた。また、修道院のチャント(詠唱)のCDも一つ求めたので、今、聞きながら書いている。やはりアカペラはいい。また、なんとなく仏教の声明や御詠歌に通ずるメロディーがあったり、イスラム教のコーラン朗唱に通じるものもある。そういえば、あまり知られていないが、この修道院にはモスクもあり、かつてのベツレヘムやエルサレムのように、キリスト教とイスラム教が平和的に並存しているのである。
「イコン」とは主に東方教会で用いられる板などに描かれた聖像のことだが、像・イメージを意味するギリシア語 εικων (エイコーンと発音)に由来する言葉だ。「シナイから」のシナイとは、具体的にはシナイ半島にある聖カテリーナ修道院(エジプト領)のことである。この修道院は、現実に連続して営まれたものとしては世界最古で、世界遺産にも指定されている。しかし、実際の具体的な設立年代は明らかではない。少なくとも、ここにはコンスタンティン大帝(4世紀)以前から修道僧の住居があったはずである。聖カテリーナ(3世紀)とはアレクサンドリアの殉教者の名前であり、シエナの聖カテリーナとは別人である。比較的完全なギリシア語コーデックスで最古のシナイ写本(写本シンボルא )は、この修道院からドイツのティッシェンドルフ教授 (Constantin von Tischendorf)が発見したものだ。余談だが、このマルコ伝には16章9節以下がないので有名である。
全体を一瞥して、自分として圧巻と思われたのは、高さ15インチ幅8インチほどのペテロ像だ。修道院でもっとも古い(6世紀)ものの一つで、後世の装飾化・様式化したものよりはるかに目を引いた。縁が欠けたままで展示されていたが、ギリシア・地中海風の写実的なイコンである。 このペテロは、どこにでもいるお父さんの顔をしている。やさしく、力強く、とても懐かしい気持ちが湧いてくるのが不思議だ。
もともとキリスト教はユダヤ教やイスラム教同様に偶像を禁止するため、イコンなど使われなかったが、自然発生的に4世紀から6世紀に一般的になったため、イコノクラスト(iconoclast=ikonoklast=εικονοκλαστης=像破壊)と呼ばれる神学的イコン破壊運動(8-9世紀)が起こり、それ以前のものの多くが破壊された。しかし、イコンが公認されるようになると、上述したごとく様式化は進むが力強さには欠けるように思えた。とくに12世紀以降のものは、ギリシア語にアクセント記号が入っていたりするので興ざめである。
ところで、イコンの写真を期待した方もいるだろうが、色々な写真集が出ているので、著作権の問題からも道義的な問題からもこのブログには掲載しないことにした。上述のペテロのイコンも幾つかの画集にあるようで、私も一つ買ってきた。また、修道院のチャント(詠唱)のCDも一つ求めたので、今、聞きながら書いている。やはりアカペラはいい。また、なんとなく仏教の声明や御詠歌に通ずるメロディーがあったり、イスラム教のコーラン朗唱に通じるものもある。そういえば、あまり知られていないが、この修道院にはモスクもあり、かつてのベツレヘムやエルサレムのように、キリスト教とイスラム教が平和的に並存しているのである。