Dr. Waterman's Desk

An old desk of an American theologian ("日本語" speaker) / Check out another blog please "Comments by Dr Marks"

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American citizen but a foreign native born in southern Germany, raised in northern Japan. He holds a Ph.D. degree in biblical theology (Center for Advanced Theological Studies, Fuller Theological Seminary). Dr. Waterman mainly lives in Los Angeles, California. He studied various subjects (philosophy, sociology, etc.) and languages in Japan and in America (Hirosaki University, University of Tokyo, Fuller Theological Seminary, and other institutions). Email: markwaterman(at)fuller(dot)edu. Some call him "Dr. Marks".

Sunday, November 18, 2007

Who Is This Man?



この男は、というより爺ちゃんは誰か?

すぐにわかった人はかなりの聖書学通。この方が誰あろう 1950 年代なら A New Quest of the Historical Jesus などを著し、後には Nag Hammadi や Q に関する大御所の1人となった James M. Robinson 大先生なるぞ。今のマクドナルド小父さんの前任者で長くクレアモントで教えたが今は同市内の引退者の家に住んでいる。彼は、そこに移る際に大量の本を処分したので、私もいくつか独文書を購入したとブログに書いたことがある。

83歳にしてこんなおチャラケたシャツを着て会場に現れて大法螺こいてご機嫌だった。胸の文字は What Would Judas Do?(ユダは何をやろうとしたのか?)で、いったい誰がこんなものを作ったのか。法螺の一つ。彼は今晩、昨年から今年にかけて立て続けに出た「ユダの福音書」関連の図書10冊の著者の1人として登場したのだが、昨今の流行を指して、これは2世紀の実際の「ユダの福音書」の活況と同じである。それなのに、その後には、正統を名乗る輩に押しつぶされて亡き者にされてしまった。今それが復活したのだ。



すると禿げ頭の N.T. Wright 爺さんが、紫のカラーシャツ(国教会の偉いさんでもあるから)といういでたちで茶々を入れる。「そんなに喜んでいるが、 (ロビンソンに向かって)Jim 爺さんよ、今度こそQ文書(歴史上から消えたとされる仮説上の文書で実在したかどうかは不明)のようなはめにならないようにね」、だとさ。しかし、ライト爺さんは印税がかなり入ったらしく、それで奥さんに車を買ってあげて喜ばれたそうだ。その後に出た学者は(名を秘す)、そのライトの後を受けてこう言った。「私の場合は、かみさんを学会に連れてきて下のスターバックスでコーヒーを買って上げました。それだけで喜んでいましたよ。」



さて、お馴染みの Bart Ehrman だが、近頃お気に入りのノーネクタイのシャツ姿で、無精ひげで現れ、自著の紹介を始めたと思ったら肝心のところで「お時間が来たようで」と誤魔化し、後は本を買ってくださいという趣向だ。実際、1人の持分は5分の発表で詳しく話すことはできない。なお、Marvin Meyer の話が終わったときに会場に着いたので、彼の話は聞けなかった。しかし、以上の話のように、大方は冗談合戦のようであって、それぞれの本をまず買ってから、自分でどうなのか判断するしかないだろう。また、National Geographical Society が初めに、本書を変なセンセーショナリズムで世に出したことを非難する発言もあった。最後に、この外典が日の目を見たとはいっても、虫食い部分(lacuna という)が多く、実際は不明な部分がたくさんある。それらの発見によっても、読み方は変わるだろう。

いやはや、10冊も出ているらしい。もっとも、有名人に出版社がむりやり書かせたものも多いからか、概ね薄い本だ。コプト語からの訳もいろいろなので自分で読み比べればいいだろう。

以上の他には、いろいろなところに顔を出したが、午後の後半は史的イエスのセッションにずっと座っていた。5人のそれぞれ30分の発表をおとなしく聞く。なんと、5人のうち3人はヨーロッパの非英語国からの参加で、1人はカナダから、アメリカからは1人だけだった。国際的ー! おかしかったのは、ストックホルムからの発表者だ。Divorce(離婚)をダイヴォースと読んでみたりディヴォースと読んでみたりするのでおかしいと思っていたら(ディヴォースが正しい)、divocee(離婚した人)のところで会場に向かって「皆さんこれ何と読むのでしょう」だって、大笑い。しかし、彼を含めて、皆なかなかの英語使いであった。

そういえば、1人だけ日本人の発表に出た。以前から知っていたのと来てくれと言っていたので、その時間だけ出たのだが、1年半前よりは格段の進歩で、会場で配った要約も英語の発音も非常によかった。ただ、緊張しているからか、質問者の意味が飲み込めないらしく的外れの返答をしているため、代わりに助けてあげようとした矢先に、その日本人発表者の指導教官であったアメリカ人の先生が代わって答えてくれた。ほっと胸をなでおろす。(私のすぐ後ろにこの先生がいたが、その時まで私はわからなかった。多分、発表の途中で来たらしい。この先生も私が前にいることに気づかなかったみたいで、お互いに「あれっ」と言って握手。)彼も、やはり弟子が心配だったようだ。私は、彼をも見直した。

もう深夜だ。明日は6時に起きるのでこの辺でお休みなさい。