In My Father's House Are Many Rooms.
わたしの父の家には住む所がたくさんある。
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。……」(ヨハネ伝14:1-3)
25日(土)
「起きて半畳寝て一畳」とはよく言ったもの。方丈の庵でも、人一人暮らすには十分なはず。余り広いのも困りもの。
感謝祭休暇の土曜日、細君の古い友達の息子に誘われて、彼の家を訪ねた。大きな家に一人で住んでいる。LAの中心地から100kmは離れており、一時間以上のドライヴだった。写真に見るように、山の湖畔である。2000人が暮らすコミュニティーで、この湖には、そのコミュニティーの会員とその客人でなければ近寄れない。その友人の息子は、コミュニティーの中でもプライベートな湖畔のスペースを持っている、わずか36戸のうちの1戸に住んでいる。
大きな屋敷を持て余し、友人も多くないので、兄ちゃん姉ちゃん株の我々を呼んだというわけだ。私としてはこの日、したいことがあったので億劫だったのだが、行ったらとても喜んでくれ、こちらも嬉しかった。細君の古い友達、すなわち彼の母親が最近亡くなり、父親も兄弟もない彼には、我々が最も身近な人間なのかもしれない。
行ってみてアルバムや記録映画で改めて確認したのだが、彼の家系はやはり Assyrian-Chaldian-Syrian であり、しかも父親がペルシャ人(イラン人)だから、ますますややこしい血筋だ。Assyrian-Chaldian-Syrian という人たちは、いつの頃からか分からないがアラビヤ語やアラム語を使うクリスチャンだ。だからイスラム教からの迫害を避け、米国その他に早くから亡命し、しかも金持ちが多い。だいたい、本来はバビロニア人、つまり今のイラク人のはずだが、イスラエルの歴史を見れば分かるように、アブラハムもここから出たのであり、北イスラエル人との雑婚、更にバビロン捕囚を考えてみれば、ユダヤ人との混血もあったはずである。そういったことが、イスラム教に染まらず、キリスト教を守り続けた原因かもしれない。(逆に、イスラム教からキリスト教に改宗したのかもしれないが、彼に聞いても彼はよく分からない。)
カリフォルニア中部の Modesto 市は彼らの多いところだと思っていたが、それはむしろ近頃のことらしい。彼の家の古い写真によると、Modesto 市の近くの Fresno 市にもともと多く住んでいたということだ。すると、日系移民が Fresno 市で働くようになる前の時代なのか。彼らが、ひょっとすると日系人の雇い主だったのだろうか。私は、こういうことに疎く、いずれ誰かに聞いてみることにしよう。
話がどうでもいいことに飛んでしまったが、聖書の箇所は、父の許、すなわち天国に至る道はイエス・キリスト以外にはないというヨハネ伝決別説教の初めの部分である。共観福音書(マタイ・マルコ・ルカの3福音書は共通した内容なので「共観(Synoptic)」と総称される)とは一味違うヨハネ伝の真骨頂がここにあります。聖書を手にとって、14章から17章をご一読ください。
26日(日)
LA市の北100km程の基地の町 Lancaster 市の日系教会に突然行くことになり、古い友人の牧師に5年ぶりで会った。その場ですぐ、来年1月初めに、午前中は West LA、 同日午後には100km のドライヴをして例の Lancaster で日本語の日曜説教をする約束をしてしまった。聖書の箇所はヨハネ伝から。なんとなく苦手な福音書だが、これも試練であり祝福でもある。今からそこを何度も何度も祈りつつ読んでみよう。
今日は真面目すぎて面白くなかったな。せめて写真をクリックして眺めてください。拡大します。
AAR/SBL (続)
私自身が続編を書かなければならないのですが、Duke の若い Oxford 系のMark Goodacre先生のブロッグ(英語)がSBLをやっていましたので紹介します(http://www.ntgateway.com/weblog/)。私の報告とは比べ物にならない、専門的で真面目な報告です。 なお、彼が更新したという Scholar G のJudith Gundry-Volf とは、Volf 先輩の奥さんで、私の庇護者(?)Gundry 先生の長女。 Mohr Siebeck の WUNT の編集委員もしているからたいしたもの。(誰だ、旦那と親父の七光りなどと言う奴は。彼女は英独のバイリンガルだぞ。旦那は英独クロアチア語の完璧なトライリンガルだけど。)
私と似た分野ですが、微妙に違い、今回同じセッションで会うことはありませんでした。従って、私とは別な面を見ることができます。なお、ここに出てくる James D.G. Dunn 小父さんなる先生は、確かにこのブロッグにあるような人です。年老いて頑固なのは必ずしも悪くないと思いますが、若い人を(こともあろうに自分の弟子を)味噌くそに言うのは耄碌でなくて何でしょうか。彼が我が校に来た2年前、Kim 教授を小ばかにしていたな。いいものを書いているのに、みっともない。
Goodacre が書いていることに同意すること二つ。
色んなレセプションがあって、部外者も大会参加証(名札)を付けていれば無料で入場できます。だから、Harvard の集いなどは目茶目茶に込んでいて、異常なくらいだ。Fuller の朝食会は、昔は無料だったそうだが、今は15ドルの有料で、立食でなくテーブルに着座して食べる。150名ほどいたが、その分落ち着いた集いだった。右隣に座った小母ちゃんは30年前に Fuller で修士を取った後イギリスで旧約学の博士になり、今はカナダで教えていると言っていた。このように、同窓生と新しく知り合いになれるような場であるべきだろう。来る者拒まずもいいが、学校の名を冠した集いの意味がなくなっては困る。
微妙に違っていて会わなかったと言ったが、実は同時刻に近似テーマのセッションが多く(つまり重なっていて)、参加したいのにできないかと思うと、参加したいセッションのない時間帯もあった。何とか研究テーマの相関性に留意したプログラムを組んでもらえないものだろうか。