Secret Gospel of Mark
秘密のマルコ伝
はたと困った。自分はこれほど日本語ができるのに Secret Gospel of Mark にあたる日本語の定訳を浅学にして知らない。そもそも、この言葉あるいはこの外典の名前であるSecret Gospel of Markは、発見者であるアメリカの聖書学者 Morton Smithの命名であり、マルコの福音書(マルコ伝)のようにギリシア語の名称などはもともと存在しない。スミスが発見したギリシア文も単に「秘密の福音書」であり、「秘密のマルコ伝」に相当する言葉はないのである。
しかし、日本の聖書学者は、誰でも英語のままで使い、日本語での定訳はないのであろうか。Secret Gospel of Mark と叩いて Wikipedia を見ると、英語版、ドイツ語版、スペイン語版、オランダ語版、フィンランド語版、スウェーデン語版だけであった。日本語版や中国語版はなく、該当する漢字は見当たらない。確かに、Wiki に出ている国語での本書の研究は見かけるが、それ以外ではあまりない。仕方がないから私訳すれば、「マルコの秘密の福音書」あるいは「秘密のマルコ伝」とでもなるのだろう。
モートン・スミス(1915-1991)はコロンビア大学の教授として生涯を終えたが、エルサレムのヘブライ大学とハーヴァード大学で二つの博士号を得ている。もっとも、ハーヴァードで学位を得たのは彼が42歳のときである。一息ついたその翌年の1958年に、エルサレム東南のマーサバ(Mar Saba)にある修道院の書棚にある本を見ていたとき、2葉3頁の手書きのメモを発見する。ギリシア語の筆記体のスタイルから18世紀の修道僧の誰かが書き移したものを挟んでいたと後に判断された。
ここで余談だが、文献の年代予測に、放射性炭素年代測定法が有効な場面は極めて少ない。紙やインクが何時のものかわかったとしても、それらを使って文献が作成された時代を判定することはできないからである。それではどうするのか。人間の書く字体というものは、実は年代により特徴がある。例えば日本語であっても、ほぼ数十年ごとに流行があり、年配の人と若い人とでは手書きの書体が違うのがおわかりだろう。だから、それぞれの時代の商業伝票や役所の記録(これらには日付がある)の書体と専門家が付き合わせていくと大体の年代は判明する。
スミスが発見したギリシア語の筆記体で書かれた文書は、このようにして18世紀の書体と判断されたのだ。しかし、これは文書が書き移された年代であって、文書の原本が作成された時代はそれ以前となる。文書の中味は、歴史上の人物アレクサンドリアのクレメンス(2世紀後半から3世紀初頭の人、ローマのクレメンスと混同しないこと)がテオドロスという歴史上は不明な人物に宛てた書簡である。大事なのはこの書簡の中に、現在の正典であるマルコ伝には含まれない「秘密」の記事が含まれていたことである。
このように書いてくると、何かとてつもない発見のように諸君は思うであろう。しかし、私の近著で Secret Gospel of Mark (←このように外典をイタリックにするのは新約学者の習慣で、正典は立体で書き表す。以下、面倒なので SGM とするが、Society of Biblical Literature では Sec. Gos. Mk. を正式の省略形としている。)を脚注で紹介するにあたり、2冊の本を参照すれば事足りると断言したように、それ以外のものは無用であると今でも思っている。何故か。歴史上も、伝承上も、SGM などと称する福音書は、スミスが発見するまでは誰も知らなかったのである。多くの近代になって発見された外典が、その発見以前に、歴史上存在していたことが周知であったことと比べれば、極めて特異なことである。
2冊の本とは、スミスがどちらも1972年に出版した本で、一つが専門家向けにハーヴァードの大学出版部から出た Clement of Alexandria and a Secret Gospel of Mark であり、他の一つが商業出版社から一般読者向けに出た The Secret Gospel である。これらの本が出ると同時に、ペテンであるとの論文が出始めたが、既にコロンビアの大御所となっていたスミスにまともに歯向かう者は少なく、その内、ハーヴァードのKoester(私の第二メンターのメンター、Koester 自身はブルトマンの弟子)や Crossan らがスミスを持ち上げたためペテン説は下火になった。
しかし、この文献を見たという証人がスミス一人であることは、誰がみてもスミスに不利である。発見時にスミスが撮った写真以外に証拠はないのである。スミスによると、1958年に発見した後、再び修道院を訪ねたところ見つけることができなかったそうだ。そこで浮上したもっともらしいペテン説は、通俗小説に触発された悪ふざけ(hoax)だというもの。事実、J.H. Hunter という作家の The Mystery of Mar Saba という小説があるのだ。1940年に初版が出て、戦後も売れ続けた本である。今でも容易に入手できるので、私も面白半分にネットで購入し、今も書棚にある。
題にまで「マーサバ」があるのだから確かにもっともらしいが、それはないだろう。今言ったように、誰かがすぐ気がつくほど当時は有名な本である。スミスの頭脳にはそぐわない動機であるし、お粗末過ぎる悪ふざけだ。逆に、彼の語学力ならあの程度のギリシア語を書けるからというのも頷けるが、18世紀の筆記体まで真似ができたのだろうか。また、1972年に出版した専門書は、実に詳細な考察である。自分が作った偽物で、あれだけの偽物の研究書を書くだろうか。もっとも、彼の弟子のヌースナーが証言するような奇人なら、やりかねないかもしれないが。
私自身の仮説はこうである。スミスは捏造していない。3世紀から18世紀に至る間に、誰かが捏造した可能性は高い。少しだが、本物である可能性も捨てきれない。しかし、その場合は、クレメンスが引用した部分については、別の捏造の可能性を考えてもいい。つまり、クレメンテの手紙は本物で、クレメンスの引用した SGM は捏造という可能性である。以下に、他の学者の捏造説の近刊を挙げておく。
Peter Jeffery, The Secret Gospel of Mark Unveiled: Imagined Rituals of Sex, Death, and Madness in a Biblical Forgery (New Haven, Conn.: Yale University Press, 2006)
Stephen C. Carlson, The Gospel Hoax: Morton Smith’s Invention of Secret Mark (Waco, Tex.: Baylor University Press, 2005)
しかし、万が一、全部が本物だとして、どんな意味があるというのか。少なくとも私にとっては意味がない。興味がある諸君は、本当に短いものだから自分で読んでみればいい。1972年初版の一般向けの The Secret Gospel は今でも手に入るし、興味深い写真も載っている。1958年に撮った手書きメモの写真もある。英訳文だけでなく、ギリシア語原文も読める。ただし、かなりの上級者でも当時の筆記体になじんでいなければ読めない。印刷体のギリシア語に直してもらえればわかるという人は、専門書の Clement of Alexandria and a Secret Gospel of Mark を見ればいいのだが、入手は難しいだろう。南カリフォルニア全域でもクレアモント大学が持っているだけで、研究に際し私もそれを貸してもらった。
いずれも面倒な人は、google で secret gospel of mark と入れてください。英語の本文を含む(本当に短いのですから)サイトならいくつも出てきます。自分で読んでみればいい。んっ、英語もいやだ。ちゃんとコンピュータが大体の日本語に訳してくれますよ。
ところで最後に念のため。内容からイエスはゲイと思う人は深読みのしすぎか、誰か素人の俗説に毒されている人だ。あのスミスさえ、そんなことは一言も言っていない。 そうそう、読んでいると the Carpocratians (どこかのサイトで Carpocrations となっていたが、それは誤植)というのが出てくるはずだが、2世紀のアレクサンドリアに住んでいたカルポクラテスという人物が言い出した一種のグノーシス主義異端の集団のことだ。
(今回の内容には、Dr. Waterman の 2004年の研究成果の一部が含まれている。禁無断転載。)