Dr. Waterman's Desk

An old desk of an American theologian ("日本語" speaker) / Check out another blog please "Comments by Dr Marks"

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American citizen but a foreign native born in southern Germany, raised in northern Japan. He holds a Ph.D. degree in biblical theology (Center for Advanced Theological Studies, Fuller Theological Seminary). Dr. Waterman mainly lives in Los Angeles, California. He studied various subjects (philosophy, sociology, etc.) and languages in Japan and in America (Hirosaki University, University of Tokyo, Fuller Theological Seminary, and other institutions). Email: markwaterman(at)fuller(dot)edu. Some call him "Dr. Marks".

Thursday, November 09, 2006

AAR/SBL 2006 Meetings in Washington DC

AAR/SBL 2006 年会(ワシントンDC) 11月18-21日

久しぶりのエントリーだ。しかし、その間、あがるまさんのドイツ便りが面白かったと思う。

温暖な南カリフォルニアから比べれば、もう寒くなっているワシントン市に10日後には出かけることになる。アメリカ国内とはいっても、日本に出かけるのとほぼ同じ飛行機代で、直通でも5時間はかかる。時差は3時間。今回は発表もしないし、せっかくだから、辞任して気落ちしているラムズフェルド小父さんを励ましてでもくるか。

そうです。発表もしないのに行くわけですが、用件はいろいろあり、せっかくなのにラムズフェルドに会うどころか観光もままならないスケジュールです。今日もその打ち合わせで出かけました。忙しい忙しい。

ごく大雑把に言えば、AAR(American Academy of Religion)は日本の日本宗教学会、SBL(Society of Biblical Literature)は日本基督教学会となるかと思いますが、会員の実態はカナダを加えた北米を中心に世界中の研究者を抱えたものとなっています。

どうして、この二つの学会が一緒に年会を開くのかというと、二人のSBLの大立者の仕業です。SBLの中でも伝統的なキリスト教に拘らない人たちは、元々AARにも所属していたのですが、この二人がどうせなら一緒に集まったほうが経済的だし、交流ができると思ったのです。一人は日本でも有名な James M. Robinson もう一人が先年亡くなった悪名高き(?) Jesus Seminar の創設者 Robert Funk だ。それほど昔ではない。1972年のことだ。(1960年代の初めまで、SBLの年会会場はニューヨークばかり、ユニオン神学校がホストだったが、合併してからはアメリカ各地のみならずカナダでも開催している。因みに、来年はわたしの地元LAの近く San Diego だから飛行機代はいらない。万歳!毎日通うのは大変なのでホテル代は必要。)

噂だが、ここに至ってAARとSBLが別れるとも言われている。しかし、これも噂だが、当面は反対が多く、別れないらしい。わたしのように、どちらかというとAAR系の者がひょんなことでSBL系に鞍替えした者が、興味のあるAARに参加したくても各セッションの時間が過密で無理である。実際上、SBLさえ回りきれないのだ。(会場も数箇所に分かれているので、日本みたいにちょいと隣の会場というわけにもいかないほど巨大すぎるのだ。)それでも別々に金と時間を費やすことを考えると一緒のほうがよいと思う。SBLの不良でも(誰のことだ?)、AARと一緒だと「オメー、異端臭いゾー」なんて言われなくていいし。

今日会った人から面白い話を聞いた。ある年会で、昼に Martin Marty と目が合ったらしい。初対面だが思い切って、「昼を一緒にしていだたけますか?」と聞いたら、快く Yes。45分も付き合ってくれたそうだ。Don't be embarrassed! 若かろうが、学生であろうが、無名であろうが、碩学とじかに会えるチャンスがあるのも年会だ。実際、時間がなければ無理だが、研究者(あるいはその卵)が目を輝かして声をかけてくれたら、悪い気はしないはず。(僕には声をかけないでね、女と一緒だし . . . 。)