Dr. Waterman's Desk

An old desk of an American theologian ("日本語" speaker) / Check out another blog please "Comments by Dr Marks"

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American citizen but a foreign native born in southern Germany, raised in northern Japan. He holds a Ph.D. degree in biblical theology (Center for Advanced Theological Studies, Fuller Theological Seminary). Dr. Waterman mainly lives in Los Angeles, California. He studied various subjects (philosophy, sociology, etc.) and languages in Japan and in America (Hirosaki University, University of Tokyo, Fuller Theological Seminary, and other institutions). Email: markwaterman(at)fuller(dot)edu. Some call him "Dr. Marks".

Tuesday, December 04, 2007

Overbeck Overturned or Overbeck 101

ひっくり返しのオーヴァベックあるいはオーヴァベック基礎講座

いやはや、忙しいといってもオフィスにいて忙しいのとは別で、あちこち飛び回る生活はブログ生活とは両立しないことを経験した。学会はまだ定点だからなんとかなる。近頃長いドライヴは酔ったような状態になり夕食をするとバタンキューだ。午前中は自宅なので眠くなったらまた寝てもいいと思い、夜中に起き出して書いている。もっとも、あちこち行っている間も学会で刺激を受けた関連の図書を携えており、今後のブログに反映してゆこうと思う。(それにしても、気になる事務がいくつかあるなー、あーあ。)

あがるまさんにFranz Overbeck (1837-1905) の解説をお願いしていた。前回記事で紹介のとおり、「背教者ユリアヌス」へのコメントなので既に読まれた方もいるだろうが、ここにそのまま再録する。その後で、私からのレスポンスというか、解説をしたいと思う。その前に、いつもの駄洒落の本日のタイトルについて蛇足ながら、

Overbeck Overturned とは、英語版WPにもあるように、フランツ・オーヴァベックが実際に読まれることなく、ただニーチェと親交があったということから誤解されているという意味で付けた。(Overbeck の発音だが、本人がどう発音したかはともかく、普通はドイツ語でも英語でもこのように発音する。日本の本で、オーフェルベックと書いてあるのを見たことがある。vをfと発音する場合もあることからの類推であろうが、ドイツ語の発音に関する初歩的な間違いである。なお、over = ober であり、over は外来語と考えていい。Beck とは brook = 川のことだから、日本語の名前で言えば、「上川」さんだ。)

Overbeck 101 とは、Oや0の丸いのを並べたかったというお遊びではあるが、アメリカの大学の教養課程の最初の(基礎の)講義には 101(ワンノウワンと発音) という授業番号が付くことから「オーヴァベック基本講座」の意味である。(アメリカの高等教育では各授業に3桁の番号が付いている場合がほとんどだ。400番台までは学部教育、500番台が修士課程、800番台から博士課程のように。)



あがるま said...

落語の三題噺のやうに関係のないもの3つを繋げたためにお鉢が廻つて来るとは思ひませんでした!

1.「砂漠で一人瞑想する」と云ふのはF.OverbeckのD.F.Strauss,
P.deLagarde,A.Harnackの近代主義や教養としてのキリスト教を否定するテーゼ:「原始キリスト教は本来的に文化やその後の歴史的キリスト教とは関係なく、世界の否定を専らにする終末論的なものだつた。」のつもりだつたのですが、それがDr.Watermanによるとグノーシスだと云ふことになる。

2.仰る日本のグノーシスのグループはネット上で「文化と○○」と云ふのをやつてゐるグループで、その批判があるのだらう。(Christentum
u.Kulturと云ふのは彼の論文集の題名です、念のため。)

3.どちらにしてもオヴァーベックのテーゼは今でも生きてゐるやうだ。と云ふ私の思ひ込みです。

蛇足:

1.John Elbert Wilsonと云ふ方のクレアモントの博士論文 Continuity and difference in the
course of Franz Overbeck's thought : an analysis of Overbeck's concept of the
relation between history and religion ,
1975.があるさうです。(彼は前記の論文、「今日の神学のキリスト性」の英訳者です。)

2.Wikiによるとオヴァーベックはこの短い論文を発表したためにドイツの大学で教へられなくなり、バーゼルでは、自説を唱へることを禁止され、専ら新入生のための入門講座しか持たせて貰へなかつたさうです。

3.しかしバーゼル大学は、数年しか教へなかつた、哲学教授になり損ねてノイローゼのニーチェに沢山の年金を与へたり、当時学生が100人程しかゐなかつたさうなのに、余程金持ちだつたのでせうか?

4.所でYouTubeで偶然にKK氏のお話を聞きました。http://www.youtube.com/watch?v=GCXoamhqixYお嬢さんも日本に帰り度くないのかも知れない!(こんな悪口は「はてなブロッグ」向けか?)20.11.07.


以上が、あがるま氏のオーヴァベック解説だが、ドイツ時間2007年11月20日(20.11.07)付けで、私の学会期間中にいただいたものだ。既に2週間近く経ち、まことに申し訳ない。

さて、あがるま氏は今までも度々オーヴァベックをバウアー(このバウアーはイーアマンの心の師 Walter Bauer ではなく、Ferdinand Christian Bauer のこと)などと連名で引用してこられたし、日本語のWPにも項目がないので解説をお願いしたものだ。おおむね妥当な解説だが、若干の数字的修正と、私との関連で一言述べなければならないこともあるので、以下に簡単に記したい。(既に、長いのに、この上も長くなりそうだなー。)

私のブログの長い読者ならご存知のことと思うが、私の学歴上の正式な主専攻は神学である。「博士候補」(←これは博士になる前にもらう正式の称号で博士になると後で抹消されます)の試験では、神学3教科を受験し、副専攻の1教科は歴史学だった。なにゆえ神学かというと、私は学歴的には哲学と社会学からの転向であり、たまたま神学には聖書学のほかに哲学の素養が必要だったからである。副専攻の歴史学も歴史哲学に焦点を置くコースで受験した。

それでは、なにゆえ今は新約学に首を突っ込むかというと、個人的興味が、原始キリスト教(初期キリスト教)であり、もっと誤解のないように正確に言うと、制度的キリスト教以前のキリスト教の起源(史的イエスならびにイエスの死と復活思想)に関わるマルコ伝研究にあるからだ。また、学位論文が、新約学に分類されたりマルコ伝解釈に分類されることや、実際に論文執筆と論文審査の過程では新約学者の指導を受けることになったので新約学者と見做されることもある。しかし、自分としては、今でも本当の新約学者とは思っていない。

自分ではあくまでも神学者であり、新約学者ではないが、今では哲学を含めた神学が大嫌いで、新約学が大好きという、いわば「かたわ」である。言い換えれば、これが言いたいために長々と略歴を書いたのだが、哲学や神学は大学や大学院で教えるほど知っているが、余生をそんなゴミに費やしたくはないと思っているのである。哲学や神学を知らずして嫌いと言っているのでは決してない。

ふん、生意気な、と思っておられるかもしれない読者の方へ。同じような考え方の軌跡を残した一人が、実はフランツ・オーヴァベックだ。当時のリベラル神学が嫌いで、歴史的グノーシス(特にアレクサンドリアン)が大嫌いで、歴史的グノーシスに対抗するため哲学化したキリスト教神学が嫌いだったのがオーヴァベックその人だ。彼は、教会史家としてアレクサンドリアのクレメンスのStromateisのドイツ語訳を出版しているが(クレメンスについては私のブログ内検索をどうぞ)、彼ら教父(使徒時代以降の古代キリスト教の重要指導者のこと)がギリシア哲学を援用して護教にあたったことは、近代の神学者が近代科学を援用して奇妙な神学を作りあげたのと同じだと断罪する。

現代の正統派に引き継がれている可能性は別として、使徒時代までのキリスト教が本物(オリジナル)であるというのが、私やオーヴァベックの主張であり、あがるま氏の引用したように「原始キリスト教は本来的に文化やその後の歴史的キリスト教とは関係なく、世界の否定を専らにする終末論的なものだつた。」のである。これはイエス教、キリスト教なのであって、グノーシスではない。グノーシスというプラトニズムの皮を被った宗教思想もこれに対抗しようとして哲学化した神学も、科学をもって安直に神学しようとした近代神学もゴミなのである。簡単に言えば、これがオーヴァベックの反神学思想であり、むしろオーヴァベックは敬虔なキリスト教徒というのが最近の学界での認識である。

実際は、オーヴァベックは、彼の神学思想のゆえに大学で不利益を受けたことはない。まず、ドイツのイエナ大学を去ったが追われたのでは決してない。学位と教授資格試験合格後、イエナでに数年間私講師をしているときにスイスのバーゼルから専任講師として招聘されたのであって栄転だった。また、バーゼルでは1870年に着任してから1897年に定年退職するまで勤め上げ、新約学と教会史の正教授となった。彼自身、イエナよりも敬虔な雰囲気のあるバーゼルを気にいったと書いているし、著作では神学者を批判するが教会を批判しないと明言し、教会の事典編纂などにも参加協力している。

著作の舌鋒とは別で、彼の温厚な性格は現存するいくつかの写真からも見て取れる。おそらく資産家で、金持ちだった可能性がある。金持ち喧嘩せずだ。ニーチェとの親交からニーチェ的な思想と誤解されることが確かに多いが、彼との仲はバーゼルでの住居が数年同じだったことが発端であり、Über die Christlichkeit unserer heutigen Theologie (1987、初版)の出版に際してニーチェが手助けしたことがきっかけだった。オーヴァベックは自分より6つも年下なのに最短距離で正教授に駆け上がり出版界でも有名なニーチェに畏敬の念は抱いていたが、思想的に必ずしも同調していたわけではない。これらの事情は、1903年の同書第二版の中で彼自身が明らかにしている。(もっとも、ニーチェの「神の死」を「歪められた神の死」と解釈するとオーヴァベックと重なるとの解釈もある。)

この第二版は初版からほぼ30年後に出されたため、興味ある個人的事情も記されており、まさにブログ的記述で面白いことこの上ない。自分もチュービンゲン学派と目されていることは仕方なしとしながらも、バウアーなどは自分が大学に入ったときに退職していたし、生涯面識はなかったとも書いている。オーヴァベックにとっては、著作上批判する相手の一人でしかない。(同じ頃にバウアーを批判していたシュヴァイツァーほどではないが。)

この本はあがるま氏が紹介したように英訳がある。彼を初めて本格的に取り上げて学位論文を書いたことのあるウィルスン先生の訳だ(On the Christianity of Theology, 2002)。先生(John Elbert Wilson)はクレアモントで学位を得た後、スイスのバーゼルに渡り、近代神学史の研究を続け、現地で牧師となり、15年ほど滞在してアメリカに帰国した。帰国する数年前にはバーゼル大学で教鞭も執っており、ドイツ語のバイリンおじさんだ。従って、英語だけでなく、ドイツ語の著作も多い。現在はピッツバーグの教会史の教授となっている。(ピッツバーグ神学大学院では、ガンドリー先生の下のお嬢さんの旦那様である考古学者 Ron Tappy 君も教えている。)

ついでにウィルスン先生の宣伝をしておくと、最近になってWestminster John Knox Press から Introduction to Modern Theology: Trajectories in the German Tradition を出している。先生のこの本は、20世紀中ごろまでの神学史(特にドイツ神学)の101モノ教科書には最適なので私も早速買った。(嫌いな神学でも飯の種は買うんだよ!)事典みたいなものだからパラパラとめくっただけだが、ウィルスン先生もホワイトヘッドなどは小バカにしているのがよくわかる。あれはキリスト教ではないし、近代神学ですらない。ウィルスン先生の出たクレアモントではコッブのようなのがまだやっているらしいが、まさに現代のグノーシスだねぇー。

そうそう、クレアモントもそうだが、ハーヴァードも、またどこでも、同じ先生について、同じようなテーマを仕事としながら、全く違った方向にゆく。学会で日本から来ていた先生も同じことを言っていた。最近、ハーヴァードのKaren King の「マグダラのマリアの福音書」に関する近刊を読んでいたら、エジプトの2-3世紀のインテリにとってプラトニズムは今の心理学的知識みたいなもので常識だった、というくだりがある。インテリほどいかがわしいものに興味を持つという意味で書いているのだ。このように、彼女は私やオーヴァベックやウィルスンのようにグノーシスを捉えているが、同じハーヴァードやクレアモントでもグノーシスが中心のように考える者が出てくるから不思議なものだ。

ところで、ウィルスンのこの神学史の近刊でもほんの数ページだがオーヴァベックは登場する。カントやヘーゲルから始めて、1960年代で終わる30コマの授業にすると1コマの半分か1/3コマで済ます軽い扱いだ。ウィルスンの考えでは、オーヴァベックをバルトらの弁証法神学の先駆者としてだが、私は少し違うような気がする。実際、ウィルスンはバルトがオーヴァベックをどのように理解したかに関わるとは言っているのではあるが違うだろう。ただし、ウィルスンがオーヴァベックを Martin Kähler と同類にしたのには同意する。ケーラーとは geschchtlich と historisch を峻別することによって歴史の概念に新しい地平を開いた人であり、オーヴァベック同様にリッチルやバウアーに批判的だった。アメリカではシカゴのノーマン・ペリンが Rediscovering the Teaching of Jesus の5章でケーラーを扱っている。いわゆる歴史哲学だ。しかし、これも1960年代の話であって、その後の研究はめざましい。この辺りは、私の本来の専門に関わるので書き出すと切りがないから今は止める。

(しかし、猫猫先生と同じで好きだから、ちょっと世間話。ペリンはこの本を出してから間もなく脳溢血で死ぬが、彼の大学の執務室を整理していたのが日系の立教大学出身のジョセフ・キタガワ教授だ。エリアーデとの共同作業もあるので、日本で宗教学を修めた人なら誰でも知っているだろう。キタガワ教授とは違って、この人の兄さんはアメリカでずっと牧師をしていたはず。さて、キタガワ教授殿はシカゴ市内の小さな大学にいるある人物に電話する。「君の履歴書がペリン教授の机にあったが、これはどういうつもりのものか。捨ててもいいものかね。」言われた人物は「はい、捨ててください」と返事した。そうするしかないではないか。シカゴ大学の新約学の教授になりたかったのだが、パトロンのペリンはもういない。可哀想なこの人物の名前は、あの有名なジョン・ドミニック・クロッサン。その後もずっとシカゴにある小さなカトリックの大学で一般教養の学生だけを教え続けた。まー、お陰で素人相手の話がうまくなったのかもしれない。運はどのようにも向くものだ。)

最後に、オーヴァベックの神学者としての位置だが、ニーチェとの親交とバルトが1922年に “Unerledigte Anfragen an die Theologie” で取り上げたことから有名になったが、単にそれだけのような気がする。それだけ。今ではオイラが同感するほど当たり前すぎて時間を割くべき対象ではない。ウィルスン先生の今回の教科書用の新刊だって、時代の一断片として捉えるためのものであり、それだけのものにすぎない。ゴミをゴミとして分別するためのものだ。

時間を割くべき対象と言えば、神学徒諸君、いやしくも神学を志すなら、ホワイトヘッドなど放り投げて聖書を学びたまえ。グノーシスは何も正統派によって抑圧されてなくなったのではないよ。飽きられ呆れられて廃れた可能性のほうが高いとハーヴァードのカレン姉さんも言っている。今どき、ホワイトヘッドねー。彼のたった3冊の本に留まるのではなく、広く目を開きたまえ、諸君!

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Blue Dragon さんと南都さんは次回、または別宅(Comments by Dr. Marks)で。

どちらも本家よりアクセス数の多い分家に掲載いたします。分家のURLは
http://d.hatena.ne.jp/DrMarks/20071205

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IT に関するお願い。Internet Explorer 7 を入れろというのでほいほいと入れましたら、どうやら少なくとも私のブラウザーでは漢字のフォントが中国流。これってどうやって直すのでしょうか。