Ceci n'est pas une pipe. (Magritte in Los Angeles)
こりゃー、パイプじゃないよ。
ベルギーの超現実主義画家 René Magritte の絵を見に行ってきた。来週から LACMA (Los Angeles County Musium of Art) で "Magritte and Contemporary Art" が来年の3月まで開かれるが、その前祝を美術館のパトロンだけを招待して行う夕べが昨夜だった。美術館内の展示を写すことはできないが、飲み食いしているレセプション会場の写真を撮ったのでいくつか紹介する。 (http://www.lacma.org/press/AdvanceSchedule.aspx#Magritte)
実は、私はパトロンなどではない貧乏人だ(先刻承知)。大金持ちのパトロンの一人が私たちのパトロンで(ややこしいな)、私たちを招待してくれたのだ。ノーネクタイでコットンパンツ、更に革ジャン(一応フランス製だけど)は少数派。皆、デザイナー仕様のセミ夜会服的いでたちで、雑然としたこのLAの街のどこから湧いてきたのかと思うほどだ。
今夜のスポンサーは日本の高級車のLEXUSであり、会場前には来年8月発売の多分 8万ドルはすると思われる(現在価格未定)モデルを展示していた。(そういえばLEXUSから帰りにお土産ももらった。)こんな車を買いそうなのはそんなにいないから、金持ちが集まる絶好のチャンスをとらえているわいと感心した。
「パイプじゃないよ」は、Michel Foucault の本にも出てくるが、大元は Magritte である(そうな)。
好きな絵があって、一巡してからまた見に行った。「夕暮れに街灯がともっている家」だが、画集や絵葉書にはないものだった。それら画集や絵葉書に使われている絵は、同じテーマでも似て非なる「夕暮れに街灯がともっている家」である。私が気に入ったこの絵の所有者はある団体のようで、その著作権(所有者権)の関係か、今まで複製されていないように思う。う~む。かくなる上は、夜陰に乗じて現物を盗み出すしかない。 浜の真砂の血が騒ぐ~♪
絵やその他の美術作品に、作家がやたらと理屈をこねたり思想を入れ込むのは好きではないが、Magritte は言葉を添えていたりするので、納得することもある。絵に、客観性のない「魂」なんか入れ込んで儲けている評論家や大学教授はペテン師だと思っている。(←過激!でごめんなさい。でも、商売上手も能力のうちだもんね。)
LACMAで6時半から9時半まで、作品を見たり、食べたり、飲んだり、おしゃべりしたり、日本の紋付を羽織った変な小母ちゃんを観察したりしたが、飲むのは8人もいる(写真)バーテンダーの所に行って「兄ちゃん(姉ちゃんバーテンダーもいる)クランベリジュース頂戴!」と子どもみたいなものばかり。ただし、本物の子どもは招待禁止の夜会なので来ていない。色んなチーズ(写真)を食べて 100 g くらい太ったかもしれない。
LACMAは我が家からほんの4~5キロの所だから、いつもの10時のニュースに間に合った。おやすみ。
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ところで、話変わって、一昨日の自由主義神学のことだが、liberal theology といっても定義しだいではあるにしても、私が Bultmann と対比して申し上げたのは、キリスト教の神も名のない神(知られざる神、使徒行伝17:23参照)も同じだという神学を漠然と指したものである。Bultmann は、研究が史的「イエス」に遡ることが理論上困難とは言ったかもしれないが、イエス「キリスト」にキリスト教の起源があることを疑ってはいない。それは、既に申し上げた通りだ。
キリスト教は、何もかも「神」として頭の中でいじくる立場ではなく、具体的に歴史に登場したナザレのイエスから始まるのである。この基本は、自由主義神学者ならともかく、Bultmann は外していないのだよ。そうすれば、「観念」で神経衰弱になることはないよ、神学生諸君!