Wounded Knee Hill -- A Spiritual Site of American Indians
ウーンデッドニーの丘 - アメリカインディアンの聖地
今日、延び延びになっていた細君の腰の手術後まる1年後に当たる定期検診の予約をしてきた。電話でもできるが巨大病院(KP)なので、なかなか予約係に繋がらない。窓口で頼むと即座だし、病院は車で数分の所、しかも膝腰手術部門の建物は駐車場から直接アクセスできるようになっている。
行く前に、いくら予約を取るだけだからといって変な格好で行くなよ、ドクター・ミリックに会うかもしれないし、と細君に助言した。ドクター・ミリックは腰と膝の名医として有名な40歳そこそこのハンサムで長身のスポーツマン。細君のお気に入り(一応わたしの次にということで)だから、会えたら最高というわけだ。わたしにはいつもながら特殊な才能があるらしく、このときも予感が的中した。車を駐車場につけてわれわれが車から出てきたら、ドクター・ミリックが青いリンゴをかじりながら傾きかけた陽を背に(映画の一シーンのように様になっていたな)こちらに向かってくるではないか。ちょうど彼が帰宅する時間にわれわれが着いたらしく、間もなく検診で再会するとはいっても、3か月ぶりの「エクストラの再会」を彼も喜んでいた。
ところで、この病院はサンセット通にある。放送局や映画スタジオの沢山ある所だ。行く道すがら5月27日にケーブルテレビで放映する "Bury My Heart at Wounded Knee(わたしの心をウーンデッドニーに埋めて)" の広告を発見。ちょうどこれから膝と腰の病院に行くところなので、わたしがふざけて自分の胸を膝にくっつける動作を繰り返していたら(子どもだなぁ)、細君は「何を馬鹿なことしてんの(Don't be silly!)」。Wounded Knee はもちろん直訳すれば負傷した膝なのだが、この言葉にそんな悪ふざけをしてはいけない重さがアメリカ人には感じられるのだ。
ウーンデッドニーとはもちろんサウスダコタのスー族の土地のことだ。ここで1890年の年末、雪中で第7騎兵隊とスー族が戦った。女、子どもを入れても騎兵隊の数をわずかに上回るだけのスー族は、騎兵隊より劣った武具では勝ち目もなく、寒さと飢えの中で大部分が殺されたり死んでいった(行方不明で処理された人数の大部分は生きていなかったと思われる)。
わたしは日本での生活のほうが長い。アメリカでは、一様に先住民であるアメリカインディアンとその歴史と文化を敬い尊重する教育が行われるようになった。しかし、公民権運動以後、ごく最近のことらしい。われわれがチーフ(酋長)と呼んでいた、先日亡くなった知人の Mr. Sittingbull は、教会の中でも英語の読み書きが優れているので Weekly の校正をしていたが、彼はその読み書き能力を褒められるといつも顔を曇らした。「自分は子どもの頃、祖父母だけではなく、英語をしらない母親とも部族語で話していたのに、今はその言葉を一つとして思い出せない。政府が英語を話すように教育したからだ。」
彼はいつも「自分はフォーフォーのアラパホだ」と自慢していた。フォーフォーとは4/4と書いて、父方と母方合わせて4人の祖父母も混じりけのないアラパホ族のインディアンだという意味である。生っ粋のアメリカ人だ!-- なのに、この新参のアメリカ人が悪ふざけをするとは。反省している。
ところで、一般の日本人は Wounded Knee をどう思っているのか気になった。日本語の Wiki 等はなかったが、すごい日本語のサイトがあった。紹介する。次をクリックオンしてみてください。(http://native.way-nifty.com/native_heart/2007/04/the_movie_bury_.html)