Knowledge, Sense, and Love: Two-step or Three-step Flow Theory of Information
学、知、愛―情報の2段階あるいは3段階の流れ理論
以下のエントリーは、実はあるブロッグ「蕩尽伝説」へのコメントのレスへのレスだったのだが、字数制限で(ちょっとだけなのになー、日米の違い?)コメント欄に書き込めなくなり、こちらに移動したもの。「蕩尽伝説」のURLは http://www.mypress.jp/v2_writers/devenir/ であり、主の蕩尽先生ないし蕩尽亭については http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%8E%E7%89i%92%BC%8A%B2/list.html参照。
京都のプラトニストがいたとわたしがコメントした直後に、蕩尽先生は京都旅行ですか。一昨年晩秋の京都を思い出すなー。明々白々、人を騙しておいてぬらりくらりと京都風の屁理屈を言うタクシー運転手をネチネチ苛めて(わたしは教育のつもりだったのですが)、大人気ないと細君に叱られた苦い思い出も付いてくるのが気恥ずかしい。
蕩尽先生はやはり、蕩尽できるほどのお金持ちなのか人がいいのか、要らぬものまで買う羽目に自分を落とし込んでいらっしゃる。わたしの細君なども先生と同じで、この人たちはせっかく日銭を稼ごうとしているのに可哀想だから買わなきゃ、などと宣もう。俺 Watermanは貧乏人だから noblesse oblige などないぞ、だいたい黙って通り過ぎればいいのに声など掛けるから買う羽目になるんだ、と心の中で思うが、物売りで溢れるLAの町には炎天下での子どもの売り子も多く、偶さかの出会いにほだされて、買うしかないかと観念する毎日だ。大方は細君が自分の「日銭」で払うので文句も言えない。
この細君は救世軍士官の甘ったれの末娘で、両親(共に士官)のしていたこと(貧乏人救済)は自分もしなければならないと思い込んでいる。更に、わたしまで両親と同じ思いだと信じ込んでいるのだ。無理もない。自分の兄弟よりは、旦那のわたしがはるかに両親に近いことをやっていると思っている。つまり、兄弟の誰も親の道を継がず、弁護士や医者になってしまった。けっ、神学か。言っておくけど、俺たちは金が欲しくて法律や医学をやるんじゃないよ。そりゃー、両親の社会事業とやらの道楽で子どもである俺たちは金銭的には惨めだったが、決して金のために職業を選んだのではないんだ。むしろ、親の理想(社会救済)をもっと大人の方法で実現しようと思っただけさ。その点、神学って何?
コメントとしての寸評ですから意を尽くしていないとは言っても、誤解はある程度までで、お互いがお互いの理解の違いはちゃんと出ていると思いますので、今回も寸評的に述べさせていただきます。直接的な議論はあまりありませんが(そもそもブロッグでできるはずはないのかもしれませんが)、以下の状況把握は同じだと思います。
日本の大学から神学がなくなるどころか、さまざまな大学(院)で、哲学科、哲学専攻、哲学専修などが姿を消し、ナントカ文化コースとかホニャラカ文化論に変わっていることも知っています。昔なら、哲学は文学部の最初の学科名としてデーンと構えていたのに。また、第二外国語の履修を義務付けない大学が増え、蕩尽先生のようにフランス語でメシを食うのもむずかしくなった。いくら翻訳文化の日本人(アメリカ人もそうなのですが)と言ったって、外国語なしで哲学なんて学べませんからね。哲学科だってなくなるわけです。人文科学系だけではない。医学部の最初の学科名にデーンと構えていたのは解剖学教室だったが、これも近頃はあやしい(日本だけではありません)。まっ、死体を探してくるのも難しいわけですが。電子顕微鏡などを駆使した細胞の微細構造などはやけに明るいのに、臓物を肉眼で見たら、何これ?モツ屋の親爺に聞いて来い!
学問が世につれて変わるのは結構。当たり前のことです。しかし、安直に流れすぎる改革が多い。今の学生や、ちょっと前まで学生だった蕩尽先生のせいではありません。団塊の世代以上のお偉いさん方でしょう、元凶は。高等教育での「ゆとり教育」ですよ。駅弁大学(この表現、ちょっと古すぎるか)をあちこちに造ってネコも杓子も大学へ。レベルが下がるのも当たり前。この程度の<神学>など修められたお嬢様お坊ちゃまは、神学が何か世界に貢献できるとでも思ってしまう。いや、どんなに高度であろうと、神学であろうが哲学であろうが、世界に貢献などできない。文化を守ることだってできない(かもしれない)。
愛とか信仰とか(もう少し過激に言って平和とかも)学問の対象などではありえない。わたしのブロッグにどのような検索で入るのか見たことがある。史的イエスの兄弟に関して書いたところに、あるキリスト教系の教授のサイトが同じキーワードで括られていた。その教授のサイトによると、「処女生誕について Raymond Brown の5-6百ページの研究書を見ても、しかとしたところ(史実かどうか)はわからぬ」とか「同僚の先生はだから聖書学など役に立たん」と言うのだとか書いている。この二人の先生は馬鹿か。多分、この先生の読んだのは “The Birth of the Messiah” だろうが、本当に読んだのか。あるいは、読むには10年早い学力か。聖書学がイワシの頭と関係があると思っている同僚の先生ともども、研究書を読む前に彼(Brown)の一般信徒向けの薄い本 “The Virginal Conception and Bodily Resurrection of Jesus” でも読めばいい。ちゃんとそういった「学」の何たるかを知らない人への注意書きがある。
こういった先生方が若者を惑わす「文化」というのを憂います。わたし一人が憂いたって単なる親爺の愚痴ですが。まぁ、ニーチェも愚痴ったつもりなんでしょうね。誰だって鳥になって飛んで行ってみたいですよ。やることもやらないで文句たらたらな rebellious son (イエスもRSだったと言う人もいますが) たちには受けがいい。おまけにニーチェ先生は勇ましいから、体育会系の政治屋さえ利用した。世直しは学問でも哲学でもありません。ニーチェは哲学者ではありえない。
愛も信仰も感性も文化も、学問とまったく無関係というわけではありません。わたしはそこまで過激ではない。蕩尽先生や我が細君が、ここは買ってやらないわけにはいかないと感じるのは、「知」や学問の及ぶところではないにしろ、教育や文化を含めた人間としての感性です。第一線の専門家の「学」は、高等教育機関での「知」に成長し、初等中等教育の現場では人間としての「愛」ともなるでしょう。学問が愛に到達するまでには複雑で長い道程があるはずで、一介の神学者があるいは哲学者が、短絡的に自分の学問は世界平和や人類愛に貢献するなどと思ってはいけない。それは原理主義的な妄想狂に転化する危険性を孕む。
実は、「キリスト教のトーテム的起源」と聞いて、ちょっと(口を開けて)ポカンとなりました。19世紀末の宗教史学派の発想法を思い出したからです。上記の Raymond Brown が皮肉とも取れるが多分真面目に次のように書いています。「1940年代まで、ローマ法王庁は、時の流れに媚びず、聖書学あるいは神学への近代的アプローチを禁止していた。だから、その間は(特にドイツの)プロテスタントの学者の独壇場だった。これが、その後(特に第2ヴァチカン公会議以降)のカトリック学者の飛躍のためになった。」つまり、プロテスタントの行過ぎた方法論上の誤りに乗ることなく、皆が誤りに気づいた頃に、近代的アプローチの良いところだけ利用できたというのです。
確かに今は(残念ながら21世紀を待たずに亡くなった Brown を含め)カトリック学者のほうが足が地に着いていて優秀な気がする。(宣教の成果ということでは、16世紀のプロテスタント側の宗教改革よりも、ローマの反宗教改革運動のほうが大きかったのはご存知ですね。)法王庁の懐の深さは認めなければならない。ローマのグレゴリアン大学が初めてカトリック以外の大学院生を迎えたのは、やはり1960年代ですが、この学生はイタリア系アメリカ人でセヴンスデーに属する者でした。わたしのプロテスタント系の研究所(CATS)にも沢山のカトリック司祭が研究のために訪れます。日本の人はあまり来ませんね。
そうそう、荒井献は、Theissen などを通して、世界にも知られ評判のよい人です。岩波の「イエスとその時代」などは通俗本かと思っていましたが、1970年代初頭までの研究状況(方法論)がよくまとまっていると感心しました(なにを偉そうに言うか)。ただし、米英を含めたその後はまた格段の進歩がありますから、弟子の大貫氏などが一般向けを続けて書いてくださるといいですね。荒井、大貫両氏は、わたしの先生方の口からも普通に出てくる名前です。田川建三氏は荒井氏のライバルだったと聞いていますが、半世紀前の学位論文以外引用されることはなく、それさえ最近のマルコ伝研究では引用もされなくなりました。
今日はここまで。(今日Nissinの「麺の達人」しょうゆ味を買ってきて食べましたが、へたなラーメン屋のものよりおいしかった。)
MWW