Dr. Waterman's Desk

An old desk of an American theologian ("日本語" speaker) / Check out another blog please "Comments by Dr Marks"

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American citizen but a foreign native born in southern Germany, raised in northern Japan. He holds a Ph.D. degree in biblical theology (Center for Advanced Theological Studies, Fuller Theological Seminary). Dr. Waterman mainly lives in Los Angeles, California. He studied various subjects (philosophy, sociology, etc.) and languages in Japan and in America (Hirosaki University, University of Tokyo, Fuller Theological Seminary, and other institutions). Email: markwaterman(at)fuller(dot)edu. Some call him "Dr. Marks".

Monday, January 15, 2007

Τι εμοι και σοι, γυναι -- O woman, what have you to do with me?















女よ、お前は私と何の関係があるのか。

ヨハネの福音書2章4節で、イエスが母マリアに向かっていう言葉。γυναι (ギュナイと発音)とは、ギリシア語で女性への呼びかけの言葉だが、ギリシア語であろうが(イエスが使ったであろう)アラム語であろうが、自分の母親にいう言い草ではないし、更に「何の関係があるのか」は母親に向かっていう言葉ではない。もともと自分のへそが繋がっていた関係(仲)ではないか。

長い間、更新しなかった。理由は、風邪がいつもの通りこじれて喘息を併発し気力がなく、更に新年からの仕事で時間もなくなったことである。喘息は本当に疲れる。咳をすると肺や筋肉が疲れる。発作に襲われると息がつまり気が遠くなって死ぬかと思うから吸引薬を使う。しかし、薬をを吸引しすぎると薬のせいで疲れる。夜もろくろく眠れない。終日ただボーッとなるのだ。しかし、今日は少し書いてみる。ほんの限られた方々だが、何日も新しい記事がないのでは、その方々に申し訳ないと思う。本当にいつもありがとうございます。

昨日の日曜日は、久しぶりに説教の真似事を二つの教会でさせていただきました。先に西ロスアンジェルスの日系教会で、その後そこから 60 マイル(100 km 弱)離れた軍の町 Lancaster という砂漠に向かいました。どちらもメソディスト系の教会で、プロセッションから礼拝が始まる伝統的な形を守っていますが、教会員や牧師の意識はかなり革新的でした。写真の会堂は Lancaster のもので、大きなパイプオルガンとステンドグラスが印象的です。アメリカ西部の教会としては古いほうで、創立130年になるそうです。West LA の教会にもパイプオルガンはあり、上手に弾いていました。

伝統的な教会の多くは、2007年の昨日の福音書朗読がヨハネ伝2:1-11だったはずです。私も、そこ、すなわちカナの婚礼を説教の題材にするよう指定されていました。水がワインに変わる奇蹟(しるし)の箇所です。さまざまな読み方、説教が可能で、さまざまな教会のさまざまな牧師がさまざまの説教をしたことと思います。私も基本的な筋書きは同じながら、前の教会と後の教会とでは、多少違った形になりました。なにしろ、前と後の教会では、与えられた時間が倍も違うのです。ただ、降誕(イエスの誕生)と公現祭(επιφανεια = epiphaneia イエスの初めての披露目)と初春の喜びを共有できるように、私は(写真のように)正式に博士のガウンを着用、テーマも「新しい時を求める」という前向きのものにまとめました。

この物語は、母子(マリアとイエス)の会話が噛み合っていないのがおかしい。マリアはイエスに助力を請いながらも断られるが、めげずにイエスが助力してくれることを前提にして、召使い達に指示を出す。イエスはイエスで、断っておきながら奇蹟をもって助けてあげる。まったくちぐはぐだし、上掲のイエスの言葉は、子が母親にいう言葉ではない。しかし、伝統的には、イエス(神)の主導権のマリア(人・イスラエル・教会)の要望に対する絶対的優位性の現われと解釈されている。ここでは、マリアは血縁上の母ではなく、霊的な第二のイヴであるから女(ギュナイ)と呼ばれているのであるし、第二のアダムであるイエスと対峙するものであると同時に新しい婚姻の相手でもある。

説教で喜ばれた話がある。どうしてマリアはイエスが来るなり「ぶどう酒がもうありません」と言ったかという話である。古くからある珍妙な解釈だが、マリアは花婿の親類として接客を手伝っていた。そこへ招待客としての自分の大酒飲みの息子が(彼が大酒飲みのことはマタイ伝11:19参照)手持ちの酒も持たずに空手で、しかも招かれていない大勢の弟子達を引き連れてやってきた。怒った母親は、慌てて「酒はもうないから帰れ」と言ったというのだ。子は子で、母親に反抗して「オメーには関係ねー」と言っているという話だ。まことしやかながら、ありえない話だ。

Lancaster の日系人の10人中9人の苗字は西洋人。その子女は従って混血。プロセッションの先導をした女子高生は立派な敬語で日本語を話した。あの辺りに日本語学校はないので、ご家庭で正しい日本語を使わせているのだろう。感心した。