Dr. Waterman's Desk

An old desk of an American theologian ("日本語" speaker) / Check out another blog please "Comments by Dr Marks"

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American citizen but a foreign native born in southern Germany, raised in northern Japan. He holds a Ph.D. degree in biblical theology (Center for Advanced Theological Studies, Fuller Theological Seminary). Dr. Waterman mainly lives in Los Angeles, California. He studied various subjects (philosophy, sociology, etc.) and languages in Japan and in America (Hirosaki University, University of Tokyo, Fuller Theological Seminary, and other institutions). Email: markwaterman(at)fuller(dot)edu. Some call him "Dr. Marks".

Saturday, December 22, 2007

Christmas Greetings from My Village



我が村からメリークリスマス!(写真はクリックすると拡大する)

昨夜、サクラメントの州政府研究所に勤める甥のE博士から、親父に E-mail でも電話でも連絡が付かないのでおかしい。様子を見てきてくれないか、との依頼が夜遅く入った。確かに電話が通じない。30分ほどで行けるところだが時間が遅いし、そんな時間に予約なしには訪問できない gated area なので朝になるのを待った。

翌朝、そこに行き、ゲートからコールしたが応答なし。たまたまゲートから出てきた車に近寄って事情を説明したら、このおばさんは最初取り合おうとしなかったが、私の車のライセンスプレートの DR MARKS をちらっと見て、OK, follow me と言って、もう一度ゲート内に戻ってくれ、私の車を一緒にゲート内に誘導してくれた。入ったらしめたもの。早速、兄(例のべらんめい口調ができる長兄)の家に行き、近所の人に聞いて事情を把握した。彼は、新聞を拾おうとして転倒、骨折して近くの病院に入院しているという。救急車が運び込んだその病院は確かに間近の病院だが、長老教会立のとても大きな病院で、広い敷地内に幾つものビルがある。

突然に病室に私が現れたので、兄と付き添いの彼の嫁さんはびっくり。誰が知らした、だと。この野郎、虫の知らせでお前の息子が心配していたから来たんだ、と伝えると、この期に及んで、その息子以外にはこの件を誰にも伝えるななどという。人のことは言えないが、何だ、この秘密主義は。とにかく、骨折は痛いが、それ以外は減らず口を含めて(人を矢鱈に馬鹿呼ばわりする)元気であることと、携帯はオフにしていたが、早速サクラメント(カリフォルニアの州都)に電話するということとを確認して部屋を後にした。

お腹が減ったので時計を見るともう昼時だ。エレベータで看護婦(←ざまあ見ろ、アメリカじゃ看護「婦」でいいんだ)に、ここのカフェテリアの食事はどうかと聞いたら、絶品(Superb!)だというから試してみることにした。10ドルでおつりが来て、鶏肉のフライと魚の白身、サラダとピラフ、コーヒーを腹一杯食べた。サラダは20種類ほどの野菜やハムなどから好きなだけ選び、全体の重さで値段を決めるシステムだ。実に健康的な食事で確かに絶品だった。

あーあ、またタイトルと違うことを書いてしまった。しかし、あれは本日のメーンイヴェントだったから、自分の日記としても書いておく。あの昼飯はうまかった。今度あの辺りに行ったら、下手なレストランなどに行かず、病院で食べよう。明るくてきれいだし、チップもいらないし(←けち!)。しかし、ここはチップの世界。クリスマス時になると我が家程度の暮らし向きでもチップは結構出る。隔週ごとに庭の芝刈りに来てくれるガーデナー(庭師)はもちろん、郵便配達人、近くの銀行の駐車場係など、日頃お世話になっている人にするのは当たり前な世界だ。本当は、昔の日本もそうだった筈。

そこでやっと、冒頭の写真へ。これは60年前(1948年)の近所の商店街(L-village)のクリスマス風景路面電車も走っていた。南から北に向かって撮っており、奥の山の中腹に有名な HOLLYWOOD のサインがあるが、少し角度がずれているので見えない。我が家はこの撮影地点から100メートルほどのところにあり、1923年にできた古屋である。ほとんど修繕も増築もしていないのでみすぼらしいことこの上ないが、逆にオリジナルの雰囲気はある。今日、兄のいる地域に行って気づいたが、昔の住宅地は、道路から一段高いところに土盛りして建てているので増水に強い。新開地の住宅地は、更地に平気でそのまま建てている。いったん水が出たらどうするのか。

この写真左手前に見えるような八百屋や肉屋のマーケットは早々にスーパーにやられて消えていった。写真館も素人写真が盛んになって消え、昨今はDPE屋さんも店仕舞い、今日は Home Depot や Lowe's という大型店舗にやられた金物屋も店仕舞いするというので60%引きでいろいろ買い付けてきた。馴染みの店員も寂しそうだった。それでは、そのような店の代わりに何ができたかというと、スタバなどコーヒー屋が3件もあり、ヨーグルト屋やアイスクリーム屋も数軒、本屋、文房具屋、洋服店、ヨガ道場、骨董屋、それにレストランがごちゃまんで、通りの賑わいは昔どおりだ。今じゃ我々地元民とうより、昔の洒落た雰囲気を求めて余所からやってくる人のほうが多いかもしれない。電車はもう通っていない、というか、通っていたことさえ、今では誰も知らない。

嗚呼、昭和は遠くなりにけり、メリークリスマス!

31 Comments:

Blogger SHIRO said...

素敵な写真ですね。
何処も街は「新しきが良し」とされる風潮ですが、
昔ののんびりしたムードの街は魅力的です。
明日、引っ越します。
明日のミサ(教会に足しげく通う方々は「御ミサ」などと言うが、ちょっと変だと思います)が楽しみです。
メリークリスマス!

4:08 AM  
Blogger Mark Waterman said...

Linus さん、

>「御ミサ」などと言うが、ちょっと変

この自然な感覚はキリスト者になっても持ち続けたいものです。

Merry Christmas to you, Linus!

Mark

9:17 AM  
Anonymous Anonymous said...

(行ったこともないのに)郷愁を覚えさせられる写真です。
>大型店舗にやられた金物屋も店仕舞い
我が家の近所でも個人商店は少なくなりました…。心付けもそうです。
いっぽうで、「心遣い」がいつのまにやら「空気読め!」と誤訳・強制される時代であればこそ、ほんらいの心遣いの「有り」「難さ」を感じます.ありがたや。

こちらは毎年クリスマスを過ぎる頃「おお、もう年の瀬であるなあ」と実感しはじめます。

めりいくりすます! ドクトル。

3:58 PM  
Blogger Mark Waterman said...

求道士様、

行ったこともないのに‥‥というのは確かにありますね。コメントをいただいて日本の歳の瀬も思い出しました。

よいお年を!

MWW

4:06 PM  
Anonymous Anonymous said...

大型店舗にやられて町の小さな店がつぶれていく、というお話を誰かがなさってましたね。確かに僕も、ずっとそう思っていたのです。だからこそ、僕は数十年にわたって小さな店、小さな企業、小さな金融機関などの見方だった。でも、10年前くらいから違っている。

今ではこう思う。「中途半端な店は、つぶれりゃいい」過激な発言だって?うん、そうですね。ちょっと過激すぎるかな?でも、小さな個人商店が、ほんとにその仕事が好きでプロ意識を持ってやってくれてりゃ、僕は命を賭けてとまではいかないけど、本気で応援する。

でもね。今の個人商店の大部分は、違うと思うんです。まるでプロ意識などない。客にあいさつもしない。客に文句を言う。客に説教する。愚痴を言う。八つ当たりさえする。電気屋の癖に電気のことを知らない。客に思いっきり嫌味を言う。殺してやろうかと思うくらいのことを抜かしやがる。

だから、僕は「町の小さな店に、人情なんてものはない。あるのは、つまらぬプライドと怠け心と、親や先祖から受け継いだ仕事を、何も考えないで漫然とやり続けているだけのクズども」としか思わない。

でも、そういう怠惰な個人商店の人だけじゃないでしょうね。ちゃんとした人もいるはず。でも、僕が接してきた個人商店の人たちの90%は、怠惰だったように思う。どうせプロ意識がないんだったら、大型店舗に僕ら客は行った方がはるかにいい。大型店の人の方が、自分の商品についてちゃんと勉強してる。ちゃんとあいさつしてる。自分の仕事に誇りを持っている。クズもいるだろうけど、きちんとした大型店の人も多い。

だから僕は、大型店舗の台頭を憂えてはいないんです。確かに、近くに小さな店があって、その店の主人と知り合えたらいいな、とは思う。でも、その連中に限って、昔からのなじみの客だからと言って、客を馬鹿にしてる。何十年経っても、腕を上げようなんてことを考えていない。

1:11 AM  
Anonymous Anonymous said...

Dottore がいみじくも語っておいでになりし "gated area" という言葉を目にするのは初めてなんです。

たぶん gatekeeper がいて、gate があって、その area 内にある住居に住む人かあるいはその住民から入場許可を得た人しか入れないようになった居住区域なんでしょうけど、そういう gate area って、アメリカには多いのでしょうか?

そして、おそらくは gated area に入っている住居って、家賃とか住居の価格が高いのでしょうね。ごく一部の人しか住めないような高級住宅なんでしょうね。

4:49 AM  
Blogger Mark Waterman said...

南都さん、

過激なブログへの過激なコメントをありがとうございます。日本に行くと確かにそんな雰囲気の小さな店がありましたね。ほら、あの店さ、売りたくない親父と売りたくないオバはんが店番してて「何っ、あんさん、ほんまに買いなさるんか?」。誰が買うかっちゅうの!

最近店仕舞いした写真屋と金物屋はとても愛想がいいし、とても仕事がしっかりしていたところでした。実は、この村では今どうやら地上げの問題もあるようで、私も好きなレストランが大家にだいぶ抵抗していましたが、大金手にして去って行きました。

MWW

6:03 AM  
Blogger Mark Waterman said...

南都さん、

Gated area と普通にいう場合、確かに並よりはいい所ですが、最高の部類というわけではありません。豪邸は個々に警備会社に依頼して安全をはかっています。

Gateで囲まれて部外者が入れないというだけなら、私が入っていたこともある大学のアパート寮や巷の安アパートもそうなのですが、確かにそれらを gated area とは言いませんね。あそこは一軒一軒が部屋番号とかではなく、独立の地番を持ち、個々にジャグジーくらいはあるのに、共用の広大なプールやテニスコートを備えた典型的な gated area です。

MWW

6:19 AM  
Anonymous Anonymous said...

>>> 個々にジャグジーくらいはあるのに、共用の広大なプールやテニスコートを備えた典型的な gated area です。


さすが、アメリカやな~。広いな~。ほんで、過激なブログへの僕の過激なコメントに対する、これまた過激なレスポンスに感謝します。笑いまくりましたわいの。

5時間30分にわたる必死のダンスに疲れて、丸2日くらいは、ほんまにしんどかったんですけど、今日は元気。数年前に妻子と共にクリスチャンになったばかりの弟が、今日はたくさんの食料と道具を持って、遠いところから家族三人で訪ねてきてくれて、おいしい鍋をご馳走してくれました。仕上げは、小さなアップルパイ。

弟たちが来てくれて2時間ほど話をしたあと、初めて僕は気づいた。「おっと、そうか、クリスマスは今日やったんか」...異教徒であるワテは滅ぼされそうや~。

6:28 AM  
Blogger Mark Waterman said...

へーっ、嬉しいな。日本では全人口の1%にも満たないはずのクリスチャンが南都さんの超身近な血縁にいる。こりゃー南都さん、大変でっせ、来年は。(何が?)

MWW

9:29 AM  
Anonymous Anonymous said...

僕の弟はでんな、そんじょそこらの奴と違(ちご)うてでんな、すごいんですわ。どこが、ってかいな?

まあ、いろいろでっけど、何でも命がけでやってまう奴で、基本的には勉強嫌いやと言いながら、仏教・キリスト教・哲学・心理学・東洋医学の本は読みまくってますわ。

ほんで、元々は過激な仏教活動家みたいな感じで、15年前からは命がけで聖書を読んでたそうで、神学とか聖書をきちんと10年間ほど自分なりに研究し尽くして悩みつくしたあとに洗礼を受け、そのあと数年後に妻子をキリスト教に改宗させた奴ですわ。

仏教も含めて、20年も宗教に打ち込んできた奴ですわ。本を読みまくるだけやなしに、死に物狂いでその宗教を実行してきた奴でんな。まあ、人はそれを過激と呼ぶでしょうな。もちろん、自分の腰の周りにダイナマイトを巻くなんてことはしまへんけど。

僕は、弟とはよく宗教・哲学・人生の話をしますわ。Dr. Waterman の話とか著書とか訳書を弟に見せましたよ。Dr. Waterman の博士論文である "The Empty Tomb Tradition of Mark" も僕は持ってるので、もちろん弟に見せました。博士が卒業した Fuller Seminary(フラー神学校)の名前を口にしたら、もちろん弟はよく知ってました。

ところで、その "The Empty Tomb Tradition of Mark" を一応はざあっと最後まで読んだんですけど、すみません、わかりません。でも、博士との交流がこのブログを通して続く限りは、いつも

「聖書を読め、Cady の公共生活の本を読め、私のマルコ伝の空墓伝説の博士論文を読め、史的イエスの本を読め」

って言われているような気がするので、ほんの少しずつですけど、勉強していきますわ。

いや、なに、僕は死ぬまでキリスト教徒にはならないと思うし、神学とか新約学を本格的に研究しようなんてことは思ってません。ただ、Dr. Waterman みたいなすごい人が、なんでよりによって(おっと、失礼)神学とか新約学なんかを命がけで数十年も取り組んでこられたのか、そこら辺に興味があるし、それから、そないにまで博士が大事やという分野やさかい、その中にはそれなりの何かがあるに違いないと思うて、僕には縁遠い世界やけど、ほんの触りの部分(「おさわり」の部分やないっちゅうのに)だけでも、ざあっとだけでも勉強しとこ~かいな、という、不純な勉強の仕方ですわ。

一応は、博士が推奨されてる史的イエス関係の基本的テキストである次の二つの本も買うだけは買ったんですけどね。(読んでませんけど。)

(1) Studying the Historical Jesus Evaluations of the State of Current Research

(2) The Historical Jesus in Recent Research (Sources for Biblical and Theological...


せやけど、さすがに史的イエスについての英文による本は、この三冊とも日本のアマゾンにはなかったんで、アメリカのアマゾンから取り寄せなあかんかったですわ。

例のフランス語の分厚い文法書とおんなじで、またもや身分不相応な本を買うてしまいましたけど、読めもせんくせに、あるいは読んでもわからん癖に、僕は志だけは高いもんで、いつも、永遠に読めそうもない本を並べてしまうんですわ。

まあ、どうせ三日坊主になるでしょうから、あんまり期待はせんといてほしいんですけど、それなりに僕も頑張ってますわ。

7:13 PM  
Anonymous Anonymous said...

Waterman先生、おひさしぶりです。いま日本じゃインフルエンザに怯える人も多いですが、そちらは大丈夫? ってお聞きするより、この記事を拝読するとお元気なご様子。
E博士のお父さんのこと、せっかく心配して居所をつきとめたのに。迷惑そうな態度で先生を迎えたなんてガッカリですね。こんな偏屈オヤジ、アメリカにもいるのが面白いです。先生を労わっているのか事件を面白がっているのか、わからなくなってきました。すみません。

ところでトップの写真、とても懐かしく拝見しました。というのは昔、祖父のアルバムに見つけた光景とよく似ていたからです。祖父の母から送られてきたXmasカードだったのでしょうか。戦争直後、アメリカが若いパワーを漲らせていたころの、セピア色の町並みですよね。時刻のせいでしょうか、通りを走る車や人影が少なすぎますが。帰米できなかった祖父の望郷を追体験できそうなひとコマです。

昔話といえば。事故などでお世話になるナースを、おれも「看護婦さん」と呼んでいます。セクハラで逮捕?――チラッと不安になりますが、やさしくしてくれた看護婦さんの白衣と帽子にあこがれる青少年時代でしたから。

お元気で。メリー・クリスマス!!

1:24 AM  
Blogger Mark Waterman said...

南都さん、

今度という今度は、流石に参りました。参ったことはいろいろあります。

学位論文ですが、その一つの意義というのは今まであまり顧みられなかった空の墓の伝承を現在の時点で問題点を整理したことです。確かに、ささやかな新発見もありますが、大方は、悪意のある言い方をすれば、単なる学説の羅列です。

キリスト教の始まりを見れば、人間的に考えれば実に馬鹿げた話ですが、十字架上で死んだはずのイエスが三日目に生き返ったという噂でした。噂には二つの流れがあります。一つは、実際によみがえった(生き返った)イエスに会ったという話(the appearances 顕現伝承)、二つ目は死体を納めた墓が空だった(the empty tomb 空墓伝承)というものです。

どちらが馬鹿げているかというと、初めから空の墓のようで、聖書には反イエスの言い分として、弟子たちが盗み出しておいて勝手な噂を流しているのだという話が書いてあります。もちろん、よみがえりのイエスに会ったという話も、当時の理性的な人ばかりでなく普通の常識的な人も信じてはいません。

現存している一番古い復活(キリストが生き返ったという事件)の話の文献は、パウロの手紙です。ここには空の墓の話はありません。従って、現代の学者でも、空の墓伝承はむしろ後代に捏造された嘘話ではないかと考える人も多い。しかし、そうした学者に多いのですが、復活の伝承が「顕現」に限られるとすると、種々の現代心理学や社会心理学などの手法で、会ったという人たちの「勘違い」に違いないと学問的に論じはじめるわけです。

空の墓の話の現存している一番古い文献がマルコ伝(マルコの福音書)です。「空墓伝承」の文献としてはここから始まるしかありません。そして、マルコ伝の古写本は種々ありますが多くは断片であり、復活部分が残っているこの福音書の現存する一番古い写本がシナイ写本(写本番号א)であるなら、そこから話が始まることになります。

続いて、どこがその墓かという歴史的な議論(これも大まかには2説あり、カトリックなどの主張する「聖墳墓教会下説」とプロテスタントなどの主張する「園の墓説」があり、どちらもエルサレム市内で観光客で賑わっています。もちろんそれ以外の場とする説もあります。さらに、いったい伝承や歴史とは何かといった哲学的神学的議論が続きます。

結論としては、空墓伝承は、キリスト教起源の重大な鍵を握ることが現代でも変わらないので、この学位論文を諸問題発見の足場として発展させるべきだというものです。

私自身は、マルコ伝作者の「史的マルコ研究」に着手したところです。マルコについては、イエス同様に、大人になってからの伝承はあるのですが、子供時代のことはわかりません。私は学位論文の中で、子供時代のマルコがある鍵を握ることをさらりと匂わせています。しかし、まだ想像の域を出ず、私が生きているうちに何かの証拠が出てくるかどうかわかりません。(来年の春ごろに ELAL Airlines に乗ってエルサレムに行く予定ですが、Mossad に知られると面倒なので便数は内緒です。←Mossad は嘘)

史的イエスの案内書としては、あれでいいはずですが、最近また出ているかもしれません。わが師が書いている長大な本の第1巻が脱稿したと先日言っていましたが、出版は何時なのか不明。わが師のものは、1993年にオックスフォードで講義したものの拡大改訂版らしく、原稿段階で私も一部読ませてもらった。将来、これが基本図書になるかもしれないが、これもわが師の命が続かないと無理。(私が、「人生の無駄」を口癖にする一つの理由は、何かしようとする場合に、命には限りがあるということです。)

最後になりましたが、印象として小さいからではありません、むしろこの感銘から長い長いレスが始まりました。弟さんは凄い。流石に南都さんの兄弟です。その意味はこうです。私は男兄弟の要するにビリですが、兄というものは、幼いときには新しい刺激を与えてくれる最も身近な指導者です。高校生の頃、初めは法律を学ぶはずの私が哲学に行ってしまったのは、当時の兄からのささいな刺激でした。兄にはその自覚はなかったのでしょうが、兄とは偉大なものです。

MWW

11:02 AM  
Blogger Mark Waterman said...

わどさん、

おじいさんは、帰米できなかった二世ですか?まだアメリカに親戚の方がいますか。

あの1948年クリスマスは、正確には来年のクリスマスの60年前ですが、ちょうどこの頃から自動車が急増して電車が邪魔にされだしました。この十年後にほとんどの電車は廃止になりました。(現在、このような路面電車は無理ですが、電車と地下鉄が復活しつつあります。LAの地下鉄もいいですよ。)

だから、今でもそうですが、車社会のLAは一部の通りを除けば、道を通る人はまばらで、寂しいくらいです。しかし、アメリカ第二の大都会です。

そうですよ。「看護婦さ~ん‥‥」ああ、甘酸っぱい‥‥。

MWW

11:21 AM  
Anonymous Anonymous said...

Waterman先生、こんにちは。

祖父は二世です。「祖国アメリカに銃を向けた」と、パスポートの申請が許可されなかったとか。そちらに親戚は一杯います。高校の夏休み、おれも一人で遊びにいきました。英単語を7000個くらい覚えて。こちらの辞書は単語に*とか**とかが付けられ、重要度を表しています。その印を頼りに。

でもダメでした。日本語をまったく知らないガキたちとは片言&ジェスチャーでしか話せません。新聞の記事も読めず、ホテルで見た現地TVの、早口でしゃべりまくる言葉なんてサッパリ。「こっちの中古車はいくらで、お勧めだよ。ハハハッ!」みたいな、こちらじゃありえないCMでしたが。
そうそう。みんなで入ったレストランのこと。あんなにオレンジ・ジュースを好むのにも驚きましたけど、一番の年長者(たしか19?)が最後に「shift!」と叫んだのが印象に残っています。こんな用法、日本にいるだけじゃわかりません。

また思い出しました、Los空港に降り立って見かけたデカイ花。まさか、こんな場所に造花?――触ってみると本物。真っ青な空のもと、吹いてくる風にそよぎもしない肉厚の植物。いきなりアメリカ文化の強烈な祝福を受けた気がしたものです。そのころSFには、まだ路面電車が走っていましたよ。

もうヨタヨタとしか歩けない祖父は、渡米したくないと申しています。一世、二世の多くが他界しているからでもあるんでしょう。

一葉の写真から、すっかり思いで話に。
先生、お元気で!
暴飲暴食にご注意!

10:59 PM  
Anonymous Anonymous said...

わどさんには、親戚がアメリカにたくさんおられるんですね。羨ましきことこの上ないです。ところで、"Shift!" って、どういう意味なんですか? それから、英単語を 7,000個も覚えたって?すごいな~。

11:31 PM  
Blogger Mark Waterman said...

わどさん、

担当者によっては日本軍に入っていても許可を出したのですが、おじいさんのようなケースも実際に多かったようです。もうお体も若いときのようではないのでしょうが、確かに1世はもちろん2世もほとんど存命でなく、3世、4世(5世も6世もいます)の日系人は、なぜかほとんど日本語を話しません。

なぜかというのは、そうでもない民族もいるからです。戦前の日系人は同化せざるをえなかったこともありますが、今では日系人のコミュニティーにも顔を出さないようです。代が進むと、混血も実に多い。自慢じゃありませんが(だいたい、そんな自慢はありませんが)、黒いほうから並べれば、50%黒から75%以上白まで、さまざまな混血の近い親戚がいます。(ということは、混血でなければ、100%の日本人、黒人、白人がそれぞれいるわけですが。)

会話は心。でも、やっぱり、また英語やっちゃってください。タクドラにも必要でしょう。実は、東京で一時タクドラした甥がいますと前に言ったかと思いますが、彼は日本語もできますが主にガイジンの顧客係だったようです。多分、根性なしだから、辛くて辞めたと思います。彼、まだ東京にいます。彼女が東京だから。

MWW

11:57 PM  
Blogger Mark Waterman said...

南都さん、わどさん、

実はそれなんでんすが、それこそ状況がわからないとわかりません。細君にこれだけでわかるかと、わどさんのコメントの状況を説明して聞きましたが、やはりわからないそうです。

どういう意味ですか、わどさん。僕も聞きたい。

MWW

12:16 AM  
Anonymous Anonymous said...

shift という単語のスラングとしての用法については、

Urban Dictionary
http://www.urbandictionary.com/define.php?term=shift

にいくらか載ってるんですけど、そこに載ってるいろんな定義の中で、ひょっとしたら「わど」さんの文脈に当てはまるかもしれないものが、三つほどあります。もしかして、「逃げろ」とか「帰れよな」とか「出て行け」とかいう意味でその子は言ったんでしょうかね。


2. shift
To make out, snog, french kiss
例文:"Will you shift my friend over there?"

3. shift
To "get away with" another person, snog,
例文:I shifted "yer wan" last night!

6. shift
To run off very very fast.
例文:Shit! Feds! Let's shift.

12:29 AM  
Blogger Mark Waterman said...

南都さん、(わどさん、)

そのすべての可能性がありますが、もっとありますね。それは、「最後」が別れのときの場合ですが、飲み物を飲んでいたときならどうでしょうか。

わどさん、返事して。 MWW

7:04 AM  
Anonymous Anonymous said...

あれれー? 聞き間違ったかも。
時差とかで、ボヤッとしてましたし・・・(いつもか)。

最初、Losで会いました。アメ車2台で迎えに来てくれてました。アメリカじゃ運転は何歳からOK? いま思うとブルッときますね。
まずDLで遊びました。手紙で打ち合わせずみの予定行動。それからフリーウエイとか通ってSFへ。路面電車が走ってました。最後にレストランで、マトモな食事。LosとSFって近いんですか? 2日分が圧縮されてないことを祈ります(笑)。

そこで連中、ペチャクチャ喋りまくってお互い何か相談してました。こっちはすっかり「ハァ?」なのに、気を使ってもらえない。
じつはレストランの近くにオジサン夫婦が住んでいて、家を再建したところだったんですね。いろいろ手がたりない。どうも、こいつら。手伝っていたのに抜け枝してきたみたい。
お喋りの内容は多分、「オマエたち、あっち片付けろよ。おれたちは、こっち」みたいな仕事分担の相談だった・・・(すべて勘です)。
で、最後に年長者が「シフト!」といって立ち上がったんです。まわりの連中もサッと立ち上がった。おれだけ、ノロノロと(笑)。

この流れから、「行くぜ!」とか「やろうぜ!」、「始めようぜ!」、または「場所をかえるぜ!(オジサンの家に)」
みたいな、レッツ・ゴー的な言葉というか命令じゃないかと受け取りました。

聞き間違いかも・・・。

12:44 AM  
Blogger Mark Waterman said...

わどさん、

聞き間違いではありません。意味もおっしゃる通りです。その状況でしたら間違いなく、Shift!= Move! = さあ、次だ!流石に小説家、よく状況もわかりました。

カリフォルニア州は student driver といって16歳(高校生)から運転可能です。DLやSFの街まで連れて行ってくれたわけで、とても親切な親類の「ガキ達」だと私は思います。特に、一人で運転した親分は大変だったはずです。

LAの南のDLは飛行場から1時間も掛からずに行けますが、SFはノンストップでも少なくとも7時間はかかったでしょう。SFでは路面電車(ケーブルカー)が今も中心部から浜辺まで坂道を走っています。

I left my heart in San Francisco
High on a hill, it calls to me.
To be where little cable cars
Climb halfway to the stars !
The morning fog may chill the air
I don't care !
My love waits there in San Francisco
Above the blue and windy sea
When I come home to you, San Francisco,
Your golden sun will shine for me !

素晴らしい体験と「ガキ達」ですよ。コメントへのレスありがとうございました。感謝!

MWW

7:09 AM  
Anonymous Anonymous said...

なるほど、Shift! = Move! というのは、面白い言葉ですね。これはもしかして、動詞としての用法ではなく、名詞としての用法だろうかと僕は想像したりなんかしています。

というのも、普通、自分も含めて周りの人にも何かをさせようとするときに使う英語は、"Let's..." とか "Why don't we...?" で始めて、we とか us を主語に立てるだろうと思うからです。ここでは Shift! を命令形の動詞だと考えると、相手にのみその行為をさせようとするということになってしまいそうです。

ここではおそらくそうではなく、あくまで名詞として Let's make a shift!" という意味で、"Shift!" と言っているのではないかと思います。ちょうど日本語でも、「行くぞ」とか「行こう」とは言わずに体言止めで、「出発!」っていうのと一緒ではないかという気がするのであるが、明智君、いかがかね。

7:27 AM  
Blogger Mark Waterman said...

そうです。または、Shift (ourselves)! の略。MWW

7:33 AM  
Anonymous Anonymous said...

シフトが名詞なら日本語と同様に、単純に交替(制)と云ふことでせう?
念のためSchicht(一回の就業時間)を独英辞書で引くとshiftと出て来ます。

4:39 PM  
Blogger Mark Waterman said...

そうです。2交替制、3交替制などのことです。 MWW

8:42 PM  
Anonymous Anonymous said...

ああ、そうか。あがるま提督の仰るように、shift は「一回の交代時間の全体」のことですね。なるほど。そうすると、例の子供さんが言った Shift! は、実は

(1) Let's go on the next shift!
(2) Let's go to the next shift!
(3) Let's move on to the next shift!

というような意味だったわけですね。その文脈では、オレンジジュースを飲んでいたその店での時間が the current shift であり、次の別の場所で遊ぶ時間を the next shift と捉えていたというわけですね。そして、上のような三種類の言い回しを省略して使い始めたっていうことなんでしょうね。

9:37 PM  
Anonymous Anonymous said...

形式面でも言葉は「一緒におこなう」ことを表すべきだとお考えになって、南都さんは「shift」を単純に「次だ!」「動け!」と約せず、動詞ではなく名詞だろうとご判断されているんですね。
でも、ちょっと違和感もあります。掛け声や命令は言葉の短さがポイント。「ゴーッ!」など、いつも決まって「お前たちだけ進め!」と翻訳されているなら別ですけど。

日本語にも「がんばれ!」「消せ!」「行け!」「退け!」「撃て!」などの命令や掛け声はいくらでもあって、じつは命令者が高みの見物するだけかどうか、グループの性質とか状況によるはず。そこを聴衆は瞬間的に的確に判断していると思いますね。

11:01 PM  
Anonymous Anonymous said...

わどさんの仰りたいことは、よくわかります。でもたとえば、「撃て」などという命令にしても、元々は命令者は射撃せず、声を掛けるだけの仕事をしていたかもしれません。そのときには、その命令者は「撃て」つまり「私は撃たないけど、あなたたちが撃ってくれ」という意味だったのではないかという気もします。

英語で、特に短く言う必要のないとき、少し余裕のあるときは、やはり自分を含めるか含めないかによって、we を前に押し出すか you を前に押し出すかが決まっているように思います。

わどさんは、自分も一緒に行くのに、Go! だけで済ましている例に出会ったことがありますか?僕は、(あまり日常会話に参加したことないけど)自分も一緒に行くときにはやはり

Let's go.
Let's move on.
Shall we go now?
Let's get going.

などと we を前に押し出しているように思います。そして、自分は行かないけど他の人たちだけに行ってほしいときにのみ、Go! と言っているように思うんですけどね。

さらには、純然たる動詞の命令形のように見えながらも、実は元々は名詞だというケースも多いように思います。それは、言葉を和らげるため、つまり純然たる命令形はきついので、名詞を単独で叫ぶことによって、やわらかい命令形を作っているという感じがします。

そういう例を英語の場合で引き合いに出したいけど、今は思いつかないのでルーマニア語で例文を出します。

Aplaudati, va rog!

これは Applaude, please! という意味で、拍手をお願いするときに使うのですが、「あなたたちは、どうぞ拍手をしてください」というのが文字通りの意味です。でもこれはあくまで動詞の命令形なので、やはりルーマニア人にもきつく聞こえる。だから

Aplaude, va rog!

と言い換えるのが普通だそうです。つまり、ここの aplaude は「拍手」という意味の名詞なのです。「あなたたちに私は拍手をお願いします」というのが元の意味なんでしょうね。

11:53 PM  
Anonymous Anonymous said...

映画好きとしては、

shoot!!

と叫んで一斉射撃する場面は、
何回もみた記憶がありますけど。
もちろん命令者も撃ちまくった。

翻訳は「撃て!」が自然です。
もっとも撃ても名詞が変化したと
主張されるなら、見解は平行線ですが。

2:01 AM  
Anonymous Anonymous said...

わどさんへ

そうですか。Shoot! と叫んだ本人も打ちまくるシーンをたくさん見られましたか。そういうことに、僕は今まで気づきませんでした。そもそも射撃のシーンをほとんど見たことがなかったもんで。

これからは、自分もその活動をするのに普通の命令形を使う(たとえば Go! Shoot! Jump! など)例に気をつけて見ていくことにしますね。

2:04 AM  

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