What's Blog?
ブログって?
昨年の夏、初めは日本の宗教学者の状況を知りたくて、日本のブログに遊びだした。今年の夏もそうだが、夏の間にまとめなければならないことがあって落ち着かないでいると、余計なことをして遊びだす。昔、試験の前に映画館に行ったことと変わりはない。
「ブログって?」などと言っても、何もたいそうな定義を試みるつもりではない。この一年で感じた一つのことを言いたいだけである。ブログはもともとネット上の日記にすぎないのであろうが、ネット上であるがゆえに双方向のコミュニケーションが可能な優れたものであると初めは感じていた。ところが、日本のブログでは、名のある人が(実名を出しているのは感心だが)、他人をあからさまに揶揄しているのにもかかわらず、コメントも一切受け付けず連絡先も公表しないのがあるのに最近驚いている。
昨年の夏は、好き放題のコメントをあちこち置いているうちに、待てよっ、自分もブログを持って好き放題に読者にコメントしてもらわなければ不公平だ、などと殊勝にも感じ、9月になってこのブログを立ち上げた。このネット上の我が老机も、もう少しで1年になるはずだ(この事情は私の第一回の記事に書いてあります)。今考えると、私の、時にはあるいはしばしば、傲慢なコメントを受け入れてくださったブログに感謝しなければならない。あまつさえ、川瀬氏などは私の不躾なコメントに一度たりとも返事(この世界で言う「レス」)を欠かしたことがないのである。
レスについては、アメリカ人学者の常に従い、私も欠かしたことはない(つもりだ)。あがるま氏などには、答をはぐらかしているなどと叱られることもあるが、ともかく全部に返事を出している。しかし、例えば内田氏のような非常に多くのコメントが寄せられるブログにおいては、全てに返事をするのは大変であろうし、全てのコメントがレスを必要とするものでもない。だから、私もレスがないから失礼だなどと思ったこともない。
(これは余談だが、今「アメリカ人の常に従い」と書いたが、私の個人的な経験では、アメリカの学者が丁寧な返事をするほどには、日本の学者はレスポンスができていない。こちらが日本語で書いてもである。学者だけでなく、出版社もしかり。例外的に感謝していることはある。日本の有名な宗教学者である井門氏に、見ず知らずの私が誰の仲介も経ずして便りをしたためたのに、即座に丁寧な返信が届き感激したことがある。井門氏はシカゴ大学で神学士を得たり、その他のアメリカの大学で学んでいるためかもしれないが、この先生ご自身のお心がそうさせているような気がする。なお、今まで日本の幾つかの図書館にさまざまな問い合わせをしているが、いつでも親切な回答やアドバイスをいただいているので、日本人だから失礼というわけでもないことはわかっている。もっとも、図書館員の職業倫理というのは、アメリカが発祥の地ではあるが。)
このエントリーの憤懣の原因となった典型的な一つとして、あの「猫先生」のブログを挙げておこう。もちろん、猫先生は感心にも自分の実名はちゃんと名乗っている。しかし、彼は(←従って男だ)、平気で他人を名指しで揶揄しておきながら、コメントも置かせないし、私信を送るための連絡先も明記していない(どこかに隠れているのかな、それなら御免)。もっとも、私はこの「猫先生」のブログは好きなほうであり、同感することのほうが多い。
しかし、実名もなく、コメントも置かせず、連絡先もないブログもある。後で知ったが、何と東京大学の教授様だと!知ってる人は知ってるからいいと思っているのかもしれないが(確かに、知っていれば勤め先に連絡できるものね)、それならわざわざ偽名だか筆名だか使うなっつーの!だいたい、あんなマンモス大学の一教授の名前を皆が知っていなければならないのか。思い上がりも甚だしい。(これくらいにしておくか、俺の人格の醜さがどんどん出て来ちゃうから。)