Dr. Waterman's Desk

An old desk of an American theologian ("日本語" speaker) / Check out another blog please "Comments by Dr Marks"

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American citizen but a foreign native born in southern Germany, raised in northern Japan. He holds a Ph.D. degree in biblical theology (Center for Advanced Theological Studies, Fuller Theological Seminary). Dr. Waterman mainly lives in Los Angeles, California. He studied various subjects (philosophy, sociology, etc.) and languages in Japan and in America (Hirosaki University, University of Tokyo, Fuller Theological Seminary, and other institutions). Email: markwaterman(at)fuller(dot)edu. Some call him "Dr. Marks".

Monday, August 13, 2007

The Scottish "Not Proven" Verdict and the Authorship of Mark's Gospel

スコットランド式「未証明」陪審評決とマルコ伝の原作者

しばらく専門と関係のない話題だったが、今回は一応勉強もしているといった日常を pretend して述べることにする。しかし、これは日本向けだから日本語で書く。日本語で書くのは、その他に、これから述べる Joel Marcus 先生の目に触れてもらいたくないという理由もある。まだ、そこまでよくまとまってはいないからだ。

いきなり法律用語の登場だが、スコットランド式「未証明」陪審判決というのは、こういうことだ。普通、陪審員は二つの選択肢から一つを選んで評決を出す。その二つとは有罪評決か無罪評決かというものだ。しかし、陪審団の意見が一致しない場合は未決定審理(mistrial)となって、新しい陪審団を選定して裁判をやり直すことになる。評決そのものはあくまでも「有罪」か「無罪」の二つしかなく、この二つ以外の「未決定」は単なるやり直しである。

ところが、スコットランド式だと三つ目がある。陪審団は、有罪でも無罪でもない、「未証明」の評決ができるのである。「未決定」と大きく違うのは、アメリカ式の未決定(mistrial)ならば新しい陪審団が裁判をやり直すわけだが、未証明(not proven)の場合は、被告は無罪と同じ効果で釈放され、二度と同じ嫌疑で裁判にかけられることはない。これは、「疑わしきは罰せず」とも、また違う。未証明評決の場合、陪審団の心証は限りなく「黒」なのである。しかし、証明が不十分で有罪に付すに至らないというケースのことである。

何だお前は、専門の話をするといって法律の専門家か? "Sort of" とだけ言っておこう。それはともかく、以前に公刊した私の書き物の中で Joel Marcus 先生のマルコ伝注釈(The Anchor Bible: Mark 1-8)に否定的発言をした。彼は、マルコ伝の原著者が、新約聖書に登場する ヨハネとも呼ばれるマルコであることに強い疑念を抱いているが、私は彼とは反対の意見を表明した。

(アンカーバイブルの註解シリーズはカトリック系で、旧版のマルコ伝の担当は C.S. Mann 先生だった。この旧版の洞察もなかなかよくて、私はむしろ好きである。今問題のマーカス先生[本来マルクスという発音でしょうが、英語でならマーカスと読んでください]のものは新版であり、2分冊となった。しかし、まだ下巻は出ていない。上下に分けてもたもたしていると、Word Biblical Commentary シリーズのマルコ伝を担当した本学の Guelik 先生みたいに未完のままで死んでしまうこともある。幸いにして、Evans 先生が引き継いだが、彼も後半を書くのに10年かかってしまった。)

マーカス先生が「強い疑念」を抱いていることに変わりはないが、以前読んだときに見落とした語句があったことに最近気づいた。ともかく、あのときは彼の本が出たばかりで、何とか新しい情報を私の本の中に少しでも盛り込もうと、それだけにとらわれていて気づかなかったらしい。ただし、私が間違ったことを書いたわけではない。見落としたことについて、補足として述べようとしているだけである。

何とマーカス先生は、マルコ伝の原作者の考察の中で、"the nonprejudicial Scottish legal verdict of 'non proven' " (p24)という言い回しをしているではないか。ただし、これが彼の自説の「逃げ道 leeway」用なのか、あるいは歴史的証明全般の中で、マルコ伝原作者の探究が難しいと一般論を述べているのかは定かではない。

ここまで読んだ読者は、「えっ、マルコ伝の作者はマルコじゃないの?」と思われた方も少なくないはずだ。いやいや、一般にはそれで正解ですから、心配する必要はない。ただし、「どちらのマルコさん?」と聞かれたときが問題だ。ちびまるこちゃんもマルコだし、私の名前もマルコ。私はMark と書いてマークと呼ぶが、イタリア語なら Marco マルコ 、スペイン語なら Marcos マルコス、ギリシア語も Markos マルコス、ラテン語は Marcus マルクス、この最後の形が苗字になってマーカス先生の Marcus だし、カール・マルクスの苗字も Marx、どれもこれも元は一緒のマルコだ。(ちびまるこちゃんだけが女で、他のマルコはすべて男だ。念のため。)

どちらのマルコかという問いにも、一般には、ヨハネという別名もあって、エルサレムっ子で、お母ちゃんの名前はマリアで、バルナバのいとこで、パウロに見限られたり再評価されたりした男で、ペテロには「わが子よ」とまで呼ばれて可愛がられた人物だ、と答えれば正解である。これらはいずれも新約聖書に記されており、伝承も、また多くの学者も同一人物ということで意見が一致している。

しかし、実は、新約聖書のどこにも(つまり、マルコ伝にも)マルコがマルコ伝を書いたとは書いていない。もともと「誰々の福音書」または「誰々伝」というのは、福音書が二つ以上現れてから区別するためにタグを付けたわけで、もし多数派の学者が予想するようにマルコ伝が最初の福音書なら、「マルコ」という原作者名は必要なかったわけである。また、初期のクリスチャンの間で、あるいはマルコが属するコミュニティーにおいて、マルコが誰でも知っている人物なら、注釈は不必要だったのだろう。

マルコ伝が新約聖書に出てくるヨハネとも呼ばれるマルコであるとはっきり述べている文献はエウセビウスの『教会史』(3.39.15)である。ところで、日本語の Wikipedia ではマルコ伝の著者をどのように書いているのか覗いてみた。「マルコによる福音書」というエントリーであるから見てみたらいい。ただし、間違いだらけ。マルコ伝の原作者というテーマに関して、二つだけ指摘する。

一つ目。この Wikipedia の執筆者は、『教会史』の第3巻39章15節という引用箇所も示さず、「マルコ自身はイエスに会ったことはなく」などとおかしな日本語訳を載せている。確か、秦先生のギリシア語からの日本語訳があるはずだが、Wikipedia の執筆者は彼の訳を使ったのだろうか。それとも Wikipedia の執筆者の個人訳か。秦先生の日本語訳を持っていないので確かめられないが、会ったことがないなどと一言も書いてはいない。「直接彼[イエス]の声[話]を聞いたことがなく[イエス生前の]弟子ではなかった」ということであり、「会ったことがない」は意訳のしすぎである。むしろ、少数だが私を含めた学者は、弟子になるにはまだ幼すぎる頃のマルコが、母マリア(イエスの母マリアでなくマルコの母マリア)とともに遠目でイエスの処刑を目撃したと推測しているくらいである(←あくまで推測)。

二つ目。Wikipedia の執筆者は「エウセビオスの引用をよく読むとマルコの記録したものは単なるイエスの言葉などであって決して福音書のようなまとまったものでなかったことがわかる。この記述からはマルコが福音書を書いたということを結論することは難しい。」などと言っているが、なんじゃこれは?! ここはそのものずばり、「福音書の著者マルコ」の話である、とお主の引用した15節の一つ前の14節に書いてあるではないか。

その他に、執筆場所については「マルコ福音書がローマで書かれたというのが定説であったが、数十年の間に疑義が呈され、現在ではおそらくシリアのどこかであるというのが新しい定説になっている」などと言っているが、文献引用もないので Wikipedia の執筆者が自分で言っているのか。だいたい、マーカス先生も熱烈なシリア説の一人なのに、彼は流石に「定説」などという惚けたことは言わない(彼、賢いから)。その他の変なことは面倒なので書かない。

さて、本題に戻って、ヨハネ・マルコ(John Mark)がマルコ伝の原作者であると明言している(ペテロの通訳ということで他に特別の説明がなければ新約聖書のヨハネ・マルコであることは当時自明のこと)唯一の文献であるエウセビウスの『教会史』だが、マーカス先生の疑義の中心は次のことだ。まず、エウセビウスのこの記述だが、4世紀のものであり、しかも話の中身はパピアスの伝聞である。つまり、エウセビウスは、パピアスの2世紀初頭の話を書いているが、パピアス自身は1世紀末のヨハネという長老(ヨハネ伝の著者かどうかはわからない)から聞いた話ということになっている。だから、伝聞の伝聞にどれほどの信憑性を置くことができるかとマーカス先生は真面目に問いかけているわけである。

もちろんマーカス先生は、伝聞の伝聞が正しくないという証拠もないので、スコットランド式「未証明」評決を言い出したわけだ。他に、日本語 Wiki によると、マルコがエルサレムのヨハネ・マルコなら、余りにも地元の地理に誤りがあるとか、ユダヤ人のくせにユダヤの慣習に疎いとか挙げているが、日本語 Wikipedia の執筆者さん、それは一方的というものだ。一時はやったんだよね。重箱の隅をつつくってやつ。マルコ伝の記述と実際のパレスチナの地図を比べてみたりユダヤの当時の習慣と照らし合わせてみたり、鬼の首を取ったように、「マルコが間違ってるー、ほらっ、見て見てー、僕、マルコの間違い見つけちゃった、バンザーイ」、なんてね。

もう一度言うが、マーカス先生はこのマーク・ウォーターマンとは逆方向の先生です。しかし、ちゃんと Martin Hengel じいちゃん先生の反論も載せているし、近頃の考え方も載せている。それでは近頃の考え方とは何か。あなた日本人でしょ。今頃は地図も発達しているし、度々目にしていれば正確なんでしょうが、それでも水戸市と宇都宮市と長野市でどこが一番北か言えますか。あなた日本人でしょ。仏教式お葬式で仏壇と祭壇の区別がわかりますか。あなた日本人でしょ。2004年の芥川賞受賞者の名前を正確に書けますか。もうこのくらいで十分ですね。

だから、いくらマーカス先生でも、パレスチナの当時の地理や習慣に間違いがあったからといってエルサレムっ子のユダヤ人ヨハネ・マルコじゃやないとは言い切れないのだ。かくして、スコットランド式陪審員評決は「未証明」となるのである。ちゃんちゃん、お終い。