Some Notes on Gnosticism: Arai, Pearson, and Waterman
グノーシスに関する若干の覚書:荒井、ピアスン、そしてウォーターマン
このところグノーシスに関する記事を紹介したもので、いつものあがるまさんや新しく匿名の方などからコメントが寄せられている。私もいちいち回答を差し上げたので参考になることがあるかもしれない。しかし、それらの中で漏れたいくつかのことをこの際紹介しておきたい。
その一つが荒井献の学位論文についてである。この論文は現在日本では7つの大学図書館が所蔵するだけで、東大でも教養学部に1冊あるだけである。現在は、この論文の学問上の価値は急速に下がっており、今後引用される機会も少なかろう。しかし、当時としては十分に価値のある研究であったことは間違いない。だから、誤解のないように。私のいう価値が下がっているとは、この分野での研究のみならず、写本の写真、写本の活字印刷、写本のさまざまな現代語訳(ネットでも読める)の刊行が進んだ今、もはや荒井の研究にたよる必要はなくなったという意味である。
幸い、私の大学にはこの学位論文があるので、この記事を書くために借り出し、今晩夕食に招待されたノーベル家で食事を待つ間に大方読んでしまった。(食事はフカヒレのスープ付の中華料理だった。美味かった。食事を待つ間、顔をしかめながら熱心に読んでいたので、遠慮してか誰も話しかけなかった。食事の後、日本画家で戦前熊本の五高の英語教師だった黒田正次こと Robert Crowder のビデオを見た。彼、多分95-96歳だ。ビヴァリーヒルズで今も元気に描いている。)
田川建三のフランス語の学位論文と比べるともっと薄く意外なほど小さいドイツ語の論文であることは前にも書いたと思う。論文はエルランゲン大学の E. Stauffer の許で 1962年に完成し、同名の題で1964年に出版された。
Arai, Sasagu: Die Christologie des Evangelium Veritatis—Eine Religionsgeschichtliche Untersuchung (Leiden: Brill, 1964)VIII, 141.
和訳すれば『真理の福音書におけるキリスト論:宗教史的研究』とでもなろうか。「真理の福音書」とはグノーシスの偽典として知られていたが、ナグハマディ文書にあることがわかり、注目を浴びていたものである。荒井は、150ページにも満たないこの小品で、作法どおりテキスト本文や由来に触れた後、キリスト論に的を絞って議論を進める。現在、この研究をするとすれば、膨大な先行研究にも触れることになるので、この倍くらいの量でなければとても博士論文にはならないであろうが、荒井の頃の D. Theol. ならこれで十分であろう。(なお、ドイツで教授資格というのは、この学位だけでは普通は足りない。これに足してHabilitationsschrift を書き上げなければならない。)
結論は、これも意外なことに田川ほど大胆ではなく、現在の過激なほうの意見と比較すればむしろおとなしい。つまり、「真理の福音書」は神話的福音書で、聖霊キリスト論(対するのはロゴスキリスト論)の立場にたち仮現的にイエスを捉え、エジプトの宗教との習合が見られるというものである。これは今では常識的な見方だが、当時は新しかったのかどうか私は浅学でわからない。面白いのは、この著者がヴァレンチノスであると断言していないことだ。慎重といえば慎重、強く匂わせてはいるが断言しない。従って、「真理の福音書」の成立時期も2世紀から4世紀と幅を持たせた結論となっている。(ヴァレンティノスと断言すれば2世紀でいいことになる。)
今では、「真理の福音書」の著者はヴァレンティノスその人と断言する人のほうが多いらしい。それこそ詳しくはピアスン先生の近著 Ancient Gnosticism の第6章が参考になるし、ネットで「真理の福音書」の現代語訳も読める。英訳も2種類がネットに出ているから Gospel of Truth で検索すればよい。原文との対訳などは、やはりブリル社のNag Hammadi Codices (The Coptic Gnostic Library) が便利だが大きな神学部図書館でないと入手は難しいかもしれない。
学位論文の前書で、そういえば荒井は八木誠一に謝辞を述べている。そんな関係だったのか。断言するが、八木は現代のグノーシスである。一度だけある学会で顔を見たことがある。そんな顔をしていた。(←おいおい、またわけのわからないことを言って怒られるぞ。しかし、そんな顔だよ。あれってマニ教徒かもしれないね。)
私は、David M. Scholer 先生の弟子の端くれのはずなのに、グノーシスに積極的な関心はない。今後のことはわからないが、あのコプト語も面倒だし、研究論文を書くことはないだろう。しかし、不思議なことに、昨年上梓した拙著でショーラー先生の研究には一言も触れないのに、ピアスン先生は引用しているのだ。実は、私が引用したピアスン先生の研究はそれほど有名なものではない。私も書庫にうずくまってあちこち探しているうちに(コンピュータを使い、目録やキーワードで探す効率的な方法ではなく、この前近代的な行き当たりばったり方式も時にはいいのだ)むしろ偶然に見つけたものだ。その本の名は、
Pearson, Birger A.: Eudoxia and the Holy Sepulchre—A Constantinian Legend in Coptic (Milan: Cisalpino-Golardica, 1980)
というもので、ユードクシアという姫が夢で復活のイエスと語り、ゴルゴタでイエスの両脇で同じく十字架につけられた2人の悪人のその後の消息を知らされるという物語である。私の知る限り、これら2人の悪人の後日談は、このコプト語物語以外にはないように思われる。この物語の発掘者で英訳者がピアスン先生だったのである。