Romanian Ghiveci
ルーマニア鍋
近頃、勉強もしないでしょうもないことを書き連ねているが、意外とそのほうが読んでいただけるのかもしれない。夕食後、腹ごなしにキーを叩いているのだが、さすがに二晩続きの豚肉の鍋には参っている。あー、苦しい。
ギーヴィッチとは元々トルコ語で土鍋のことらしいが(「あがるま」さんあたりがよくご存知かもしれない)、近隣諸国にその名前と料理が広まったようだ。ルーマニア鍋もその一つ。肉か魚と一緒に野菜を煮込み、ご飯にかけて食べるかピタパンで食べる。
我が家には、月に一回程度この鍋が到来する。魚のことはなく、たいてい豚肉かソーセージだ。ハンガリー系のユダヤ人を夫に持つ(この旦那様もナチスに付けられた刺青がある)、ルーマニア系のユダヤ人MHさんが作ってくださる。こちらとしては炊いたご飯を差し上げるだけである。不思議なことに、私らのようにはご飯が炊けないらしく、パックのご飯を買ってくるそうだ。お陰で、ご飯程度で喜んでもらっている。
ところで、この鍋だが、大変に手間がかかっていることはよくわかる。おいしい。しかし二晩はきつい。なにしろ大きなプラスチックの入れ物に山盛りくれるのだ。出来るだけ人を呼んで食べさせるのだが、今回は残ってしまった。
読者の中で、あれっ、と思った方もいるかもしれない。ユダヤ人が豚を食うの?No, ホントは食わない。でも、彼らは自由主義的だから(共産主義じゃないよ、なにしろ共産ハンガリーとルーマニアから逃げてきたのだから)何でも食う。中華料理も好きで、魚にうろこがあろうがなかろうが旨い美味い(レビ記11章参照)。
以前、このブログ開設に祝辞をくれた Gertrude などは、彼らほど自由主義ではなく、改革派のユダヤ教徒でちゃんとシナゴーグにも行くのに、豚は堂々と食べる。不思議はない。俺はキリスト教徒なのに人非人ときているのだから。事ほど左様に、何々教徒だからとステレオタイプで人を見てはいけない。何だか、最後は宗教学の講義か教会での説教みたいになってきた。(やはり、これはオイラのブログか。)