9.11 after Six Years
六年後の 9.11
My friends, I'm here といって、このブログを始めたのは、昨年の9月の13日だから、9.11 の記事を書くのは初めてとなる。6年前の朝、細君と私は早めの朝食をとりながら、いつもの通り朝のニューズを見ていた。不思議な映像がニューズの画面に踊り、ニューズを伝える人たちも事態を把握しきれず、うろたえているのがわかる。続いて第二の飛行機の突入があり、ようやく大変な事態であることが、皆の了解するところとなった。
六年後の今、特別に何か表明したいわけではない。書かなければならないという強い思いもない。しかし、今日の午後、図書館で若いイラン人の書いた No god but God という新刊本を見つけ、飛ばし読みをして面白かったので紹介する。 小文字の god は普通、ギリシア・ローマの神々や八百万の神々のように、多神教の小さな神を意味し、大文字の God はユダヤ・キリスト・イスラム教の唯一の神を意味している。
Reza Aslan というこのイラン人の著者は、小さいときに4歳の妹の手を引いて、ホメイニがイランに帰国した日に入れ替わりにイランを離れアメリカに亡命した。サンタバーバラ(カリフォルニア州)とニューオーリンズ(ルイジアナ州)双方に住み、まだ博士の学位はないがイスラム学などを大学で教えているらしい。宗教的には、改革派のイスラム教徒である。
イスラム教は邪教であると主張するキリスト教原理主義者に激しく反発するところもあるが、概ねイスラムの世界を冷静に捉えていることがわかる。信頼できるムスリムのような気がした。(反発するのも当然だ。私自身も、イスラム教自体を邪教だなどとは決して思わない。)
飛ばし読みで誤解も多いかもしれないが、面白い言い回しを一つ二つ。
>宗教は、信仰ではない、と認識すべし。宗教は、信仰についての「物語」である。(p. xvii)
何か George Lindbeck を彷彿とさせる物言いだが、アメリカで小学校から教育を受けたのだから、彼のことを知らないわけはないだろう。同様に、次の言葉も、David Tracy の影響があるのだろうか。
>米国政府の「政教分離」の基礎は250年にわたる世俗化過程の賜物である、と児童生徒は歴史の教科書で読まされているが、実は、その世俗化の基は、世俗主義などではなく「多元主義」なのである。(p. 262)
Lindbeck も Tracy もわからない人は、私の薦める『アメリカの公共生活と宗教』を読んでみるといい。何? Wiki でたくさんだって。なるべく彼らの主著を読んでくださいよ。
それはともかく、Emmanuel Lévinas が Difficile Liberté (1963年版) にある Monothéisme et langage (p. 204-207) を書いた頃までは、パレスチナでもどこでも(トルコのアルメニア人虐殺などはあったが)、同じ神を奉ずるユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒すなわち「啓典の民」は、比較的友好的に暮らしていたはずである。宗教の先鋭化ではなく、むしろ世俗化が現在の争いを引き起こしている気がする。しばしば、この3教の争いより、それぞれの内部での争いのほうが絶望的な様相を呈しているではないか。
著者、Reza Aslan 君のようなムスリムに期待しよう。