Dr. Waterman's Desk

An old desk of an American theologian ("日本語" speaker) / Check out another blog please "Comments by Dr Marks"

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American citizen but a foreign native born in southern Germany, raised in northern Japan. He holds a Ph.D. degree in biblical theology (Center for Advanced Theological Studies, Fuller Theological Seminary). Dr. Waterman mainly lives in Los Angeles, California. He studied various subjects (philosophy, sociology, etc.) and languages in Japan and in America (Hirosaki University, University of Tokyo, Fuller Theological Seminary, and other institutions). Email: markwaterman(at)fuller(dot)edu. Some call him "Dr. Marks".

Thursday, November 30, 2006

Die Wahrheit wird euch frei machen.

「真理があな方を自由にする」 ヨハネ伝8:32

あがるまさんから久しぶりに次のような便りがありましたので、上記のイエスの言葉を、ドイツ語でエントリーにしてみました。ドイツ語にした理由は二つあります。それは、日本の国会図書館の入り口の言葉(http://www.ndl.go.jp/jp/aboutus/shinri.html)とドイツのフライブルク大学第一講義棟西壁の言葉(http://www.freidok.uni-freiburg.de/volltexte/2091/pdf/wahrheit_kg_I.pdf)を比較するため、そして、あがるまさんがドイツにいるからです。以下、><内の斜体の歴史的仮名遣いの文はあがるまさんからの便りです。

遅くなりましたが、お帰りなさい!

周知のやうに『真理』と云ふ言葉はヨハネ福音書に多出しますね、最後にはピラトはうんざりして、有名な言葉を発しますが、それにイエスは答へない。答へることが出来ないのか、それとも我が真理だと無言で云ふつもりなのか?何かと何かが同一なのが真理と云ふことでせうから、別にイエスではなくとも私も真理だと云ふことになりますが。

思ひついてウエッブ頁上にある前田護郎訳の新約聖書で検索してみると、共観福音書にはマルコ伝に一箇所あるだけ、ロマ書に少しある他に、ヨハネの手紙にも多く使はれてますね。この手紙の著者と書簡の著者は同一人物なのでせうか。


あがるまさん、ありがとうございます。

来年早々、同じ日に午前(West LA)と午後(Lancaster)ヨハネ伝から説教(実は漫談だったりして)する予定と書いたら、ヨハネ伝とヨハネの手紙(3通あります)に関するお便りです。正直言って苦手なのです。二つ理由があります。まず、ヨハネが特殊であり、その特殊さは、彼の極めて神学的(あるいは哲学的)な内容にあるのですが、これが私の「頭」を悩まします。次に、そのせいかもしれませんが、史的イエスの特殊講義で、ヨハネ伝の権威MMT教授に提出した小論文は、私の神学生生活の中では最悪の出来で、今尚トラウマがあります。(私は、本当に気の小さい男です。)

それはともかく、ピラトの言葉「真理とは何か(ギ Ti estin alêtheia?)」は、確かにヨハネ伝18:38の言葉です。聖書のその先を読んでいただければわかるように、イエスが答える前にピラトが自分で言葉を続けてしまうため、イエスの答はありません。しかし、イエスの答は既にピラトの質問の前に述べられていると言っていいでしょう。イエス自身が真理です(ヨハネ伝14:6)。むしろ、ピラトが何のつもりで「真理とは何か?」と言ったかです。「真理が何だ、何になる!」とイエスを小馬鹿にして言ったのか、深い自省から思わず「確かに、真理とは何であろうか!?」と考え込んだのか、言葉のイントネーションまで文字では伝わらないのでわかりません。しかし、この後のピラトのイエスに好意的な行動をみると、後者なのかと思います。

ヨハネ伝の作者とヨハネの手紙(1~3までありますが)の作者が同一であることは、昔から定説(Papias や Dionysius の証言)です。このことは、このヨハネが十二使徒のヨハネであるかどうかの議論を別にすれば、現代の学者も異論があまりないはずです。特に、ヨハネの手紙第一は、あがるまさんがご指摘のように、用語やそれにまつわる神学思想が共通します。

さて、エントリーのドイツ語は正しくギリシア語本文を訳しています。フライブルク大学第一講義棟西壁のドイツ語 euch(あなた方を)は、まさにギリシア語の hymãs のこと。羽仁五郎の「我らに(ギ hemãs)」とは似て非なるものであり、ここにはイエス不在です。また、たまたまですが、ウェッブ上を見たら、この件に関しては色々と間違った情報があるようです。フライブルク大学第一講義棟なのに、チュービンゲン大学図書館の言葉だとか、珍妙なギリシア語の解説だとか、etc.