Sig. Agalma
into the Vague
予想通り対話は続きます
それにしても audience が小さいな
今日は日曜日、朝5時に起きて、まず「あがるま」様のコメントをリリースするとL.A.から125マイル(200 km)東の砂漠の町 Palm Springs に向かいました。Freeway (無料の高速道路)ですから7時過ぎには着きます。用事を済ませ帰ったのは夕方でした。途中にある私と同名の通りに降りて1枚。見えにくかったらクリックオンしてください。拡大します。
まず、私のこのブログは当然ながら、いつも大真面目な内容に終始しているつもりです。そして、「あがるま」様のようなコメントが、私の今後の活動に資すること大であるために、大変感謝しています。今回は、簡単に「あがるま」様の著者・著書リストに若干の補足をして、次のエントリーに繋げて行きたいと考えています。(「あがるま」様よろしくお願いいたします。)
なお、一般の方のために、「あがるま」様がおっしゃった “agalma” についても先に補足しておきたいと思います。ただし、先生からのこの名に対する思い入れは分かりません。いずれご説明があるかと期待しています。
ギリシア語は、大きく分けて古典期のギリシア語、聖書時代のコイネー・ギリシア語、現代ギリシア語に分かれます。私がかつて習ったギリシア語の先生のように、三つともOKのすごい人もいますが、普通は、例えば日本の環境で言えば、哲学の人は古典期、キリスト教学の人はコイネーのギリシア語を習うのだと思います。アメリカの環境なら、キリスト教の人の標準辞典はBDAGと略称で呼ばれるものです。四つのアルファベットは4人の著者のそれぞれの頭文字で、Bはなんとあの私おススメの Walter Bauer です。そして、この辞書には、 “agalma” (発音はアッガラマが近い、以下ギリシア文字はローマ字に書き換えています)は見当たりません。しかし、古典期ギリシア語の標準辞典、例えば今私の手元にある Liddell and Scott と略称される(これも2人の著者の名前)にはちゃんとあります。多分、agallõ(こちらはアガッローと発音)という動詞と関係のある中性名詞です。意味は、「神への捧げもの、神像、偶像、イメージ一般」などです。こういった言葉は、現代の種々の学者や芸術家が、自分の新規性の表現に詰まると使いたがるものの一つかもしれませんが、元々は以上の通りで何でもないことです。
さて、本題です。
学問は一部の特権者のものではないし、キリスト教は一部の変人のものでもありません。学問は適切な指導があれば誰でも効率よく学ぶことができるし、キリスト教は冷め切った現代人にとっても理解あるいは納得可能なアイディアであるというのが、私の大真面目な信念です。(私もトミスト Thomist かもしれませんね。)
まず、Agalma 氏のリストにある人名は全て本物の聖書学分野の学者です。John Dominic Crossan も James M. Robinson もそうです。Crossan や Robinson の学風は私の気に入らない(私は近著で Crossan のテキスト理論の弱点を紙幅を裂いて批判しました)かもしれませんが、彼らは立派な学者です。また、個人的な人柄は愛すべきものを感じます。Crossan の自伝 “A Long Way from Tipperary” (彼の故郷アイルランドからの半生は、小説と考えても面白い)は感動的ですし、彼の著書は10冊ほど買っています。Robinson 先生は地元の学者ですし、彼が引退者ホームに入る頃処分した独文書籍の数冊は今私の本棚にあります。なお、 “Pagan Christs (1903)” の著者は William St. Clair Tisdall です。とりあえず読まなくていいものです。
ただし、私は彼らの本を初めに読む本としては薦めたくありません。(でも、クロッサンの本なんかは売れるんだよナー。安いし、やたら読みやすいし。俺の本なんかいいんだけれど、高いからナー。)以下、Agalma 先生の順に簡単に述べます。
Joseph Klausner (ユダヤ名Yosef Klozner のこと)は昔の人ですが、Agalma 先生の挙げた本でなくて、 “Jesus of Nazareth” (1922年へブル語で書かれたものの英語訳)が今でも重要です。入手が難しいのですが、大学図書館等で借りることはできます。(皆さん、大学人でなくても借りることはできるのですよ。近くの公共図書館に相談してください。ただし、この本も初めのうちに読むものではありません。)
E. P. Sansers の “The Historical Figure of Jesus” は初歩の方にお薦め。手に入りやすく、値段も安く、薄い本ですが、内容は本当にお薦めです。
Richard Elliott Friedman は David Noel Freedman の弟子で(字は違っても、師弟とも同じ発音!)、現在 University of Georgia の教授。初歩の次くらいに読むと面白い。Agalma 先生の挙げた本以外にたくさんあります。
Theissen のものは、Agalma 先生の挙げた本でなく、弟子との共著ですが、 “The Historical Jesus: A Comprehensive Guide (Der historische Jesus: Ein Lehrbuch)” を薦めます。題の通り、大学あるいは修士課程での教科書と考えて結構です。少し、厚くて高いのですが、新刊で購入できます。また、大学図書館は勿論、大きな公共図書館に所蔵していることがあります。
Ernst Benz も多作の学者でしたが、かなり古い。
Bruce M. Metzger はギリシア語本文校訂の委員をしていた学者で多作。元々ギリシア語で新約聖書を読む人向けが多いのですが、ギリシア語など勉強しなくても手ごろなものとして、 “The Bible in Translation: Ancient and English Versions” などがお薦め。入手も楽です。
他に、Agalma 様の気質(と勝手に決めていますが、私の好きな気質ですので)なら、先般紹介したトミスト John P. Meier の3巻本の第1冊目がお薦めです。ただし、この本の中にある彼の史実性(historicity)の基準は鵜呑みにしないでください。こういう方法論的問題があるのだというイントロダクションとしては役に立ちます。また、史的イエス論に使われる基本古代資料の説明なども大変有益で、本格的入門書として強く薦めたいと思います。
今回はここまでといたします。新しい読者からのご質問もお気軽にどうぞ。繰り返しますが、私は誰かをクリスチャンに無理に改宗させようと考えているのではなく、この分野の本当の研究状況あるいは学問をなるべく開かれたものにと、大真面目で考えているだけです。勿論、私の能力の範囲でのことですから、手に負えなくなったら別の先生もご紹介します。(英語版で、カトリックの学者ですが、Edward Lynn Bode 先生が私と同じようなことをしています。)
最近は地元アメリカからのアクセスも確認できるようですので、関連ブログを別に開設して、「日英両語で聖書を読む会」なども始めたいと思っています。こちらも取り敢えずは布教活動ではないので、会場費などはお互いに負担することで始められたらと大真面目に考えています。
Agalma 様は、こちら Los Angeles の地元では無理でしょうが、どうぞこのブログで対話を続けてくださいますようお願い申し上げます。
予想通り対話は続きます
それにしても audience が小さいな
今日は日曜日、朝5時に起きて、まず「あがるま」様のコメントをリリースするとL.A.から125マイル(200 km)東の砂漠の町 Palm Springs に向かいました。Freeway (無料の高速道路)ですから7時過ぎには着きます。用事を済ませ帰ったのは夕方でした。途中にある私と同名の通りに降りて1枚。見えにくかったらクリックオンしてください。拡大します。
まず、私のこのブログは当然ながら、いつも大真面目な内容に終始しているつもりです。そして、「あがるま」様のようなコメントが、私の今後の活動に資すること大であるために、大変感謝しています。今回は、簡単に「あがるま」様の著者・著書リストに若干の補足をして、次のエントリーに繋げて行きたいと考えています。(「あがるま」様よろしくお願いいたします。)
なお、一般の方のために、「あがるま」様がおっしゃった “agalma” についても先に補足しておきたいと思います。ただし、先生からのこの名に対する思い入れは分かりません。いずれご説明があるかと期待しています。
ギリシア語は、大きく分けて古典期のギリシア語、聖書時代のコイネー・ギリシア語、現代ギリシア語に分かれます。私がかつて習ったギリシア語の先生のように、三つともOKのすごい人もいますが、普通は、例えば日本の環境で言えば、哲学の人は古典期、キリスト教学の人はコイネーのギリシア語を習うのだと思います。アメリカの環境なら、キリスト教の人の標準辞典はBDAGと略称で呼ばれるものです。四つのアルファベットは4人の著者のそれぞれの頭文字で、Bはなんとあの私おススメの Walter Bauer です。そして、この辞書には、 “agalma” (発音はアッガラマが近い、以下ギリシア文字はローマ字に書き換えています)は見当たりません。しかし、古典期ギリシア語の標準辞典、例えば今私の手元にある Liddell and Scott と略称される(これも2人の著者の名前)にはちゃんとあります。多分、agallõ(こちらはアガッローと発音)という動詞と関係のある中性名詞です。意味は、「神への捧げもの、神像、偶像、イメージ一般」などです。こういった言葉は、現代の種々の学者や芸術家が、自分の新規性の表現に詰まると使いたがるものの一つかもしれませんが、元々は以上の通りで何でもないことです。
さて、本題です。
学問は一部の特権者のものではないし、キリスト教は一部の変人のものでもありません。学問は適切な指導があれば誰でも効率よく学ぶことができるし、キリスト教は冷め切った現代人にとっても理解あるいは納得可能なアイディアであるというのが、私の大真面目な信念です。(私もトミスト Thomist かもしれませんね。)
まず、Agalma 氏のリストにある人名は全て本物の聖書学分野の学者です。John Dominic Crossan も James M. Robinson もそうです。Crossan や Robinson の学風は私の気に入らない(私は近著で Crossan のテキスト理論の弱点を紙幅を裂いて批判しました)かもしれませんが、彼らは立派な学者です。また、個人的な人柄は愛すべきものを感じます。Crossan の自伝 “A Long Way from Tipperary” (彼の故郷アイルランドからの半生は、小説と考えても面白い)は感動的ですし、彼の著書は10冊ほど買っています。Robinson 先生は地元の学者ですし、彼が引退者ホームに入る頃処分した独文書籍の数冊は今私の本棚にあります。なお、 “Pagan Christs (1903)” の著者は William St. Clair Tisdall です。とりあえず読まなくていいものです。
ただし、私は彼らの本を初めに読む本としては薦めたくありません。(でも、クロッサンの本なんかは売れるんだよナー。安いし、やたら読みやすいし。俺の本なんかいいんだけれど、高いからナー。)以下、Agalma 先生の順に簡単に述べます。
Joseph Klausner (ユダヤ名Yosef Klozner のこと)は昔の人ですが、Agalma 先生の挙げた本でなくて、 “Jesus of Nazareth” (1922年へブル語で書かれたものの英語訳)が今でも重要です。入手が難しいのですが、大学図書館等で借りることはできます。(皆さん、大学人でなくても借りることはできるのですよ。近くの公共図書館に相談してください。ただし、この本も初めのうちに読むものではありません。)
E. P. Sansers の “The Historical Figure of Jesus” は初歩の方にお薦め。手に入りやすく、値段も安く、薄い本ですが、内容は本当にお薦めです。
Richard Elliott Friedman は David Noel Freedman の弟子で(字は違っても、師弟とも同じ発音!)、現在 University of Georgia の教授。初歩の次くらいに読むと面白い。Agalma 先生の挙げた本以外にたくさんあります。
Theissen のものは、Agalma 先生の挙げた本でなく、弟子との共著ですが、 “The Historical Jesus: A Comprehensive Guide (Der historische Jesus: Ein Lehrbuch)” を薦めます。題の通り、大学あるいは修士課程での教科書と考えて結構です。少し、厚くて高いのですが、新刊で購入できます。また、大学図書館は勿論、大きな公共図書館に所蔵していることがあります。
Ernst Benz も多作の学者でしたが、かなり古い。
Bruce M. Metzger はギリシア語本文校訂の委員をしていた学者で多作。元々ギリシア語で新約聖書を読む人向けが多いのですが、ギリシア語など勉強しなくても手ごろなものとして、 “The Bible in Translation: Ancient and English Versions” などがお薦め。入手も楽です。
他に、Agalma 様の気質(と勝手に決めていますが、私の好きな気質ですので)なら、先般紹介したトミスト John P. Meier の3巻本の第1冊目がお薦めです。ただし、この本の中にある彼の史実性(historicity)の基準は鵜呑みにしないでください。こういう方法論的問題があるのだというイントロダクションとしては役に立ちます。また、史的イエス論に使われる基本古代資料の説明なども大変有益で、本格的入門書として強く薦めたいと思います。
今回はここまでといたします。新しい読者からのご質問もお気軽にどうぞ。繰り返しますが、私は誰かをクリスチャンに無理に改宗させようと考えているのではなく、この分野の本当の研究状況あるいは学問をなるべく開かれたものにと、大真面目で考えているだけです。勿論、私の能力の範囲でのことですから、手に負えなくなったら別の先生もご紹介します。(英語版で、カトリックの学者ですが、Edward Lynn Bode 先生が私と同じようなことをしています。)
最近は地元アメリカからのアクセスも確認できるようですので、関連ブログを別に開設して、「日英両語で聖書を読む会」なども始めたいと思っています。こちらも取り敢えずは布教活動ではないので、会場費などはお互いに負担することで始められたらと大真面目に考えています。
Agalma 様は、こちら Los Angeles の地元では無理でしょうが、どうぞこのブログで対話を続けてくださいますようお願い申し上げます。