From a Comment on the Entry about Osui Arai
新井奥邃に関するエントリーのコメントから
わたしのブロッグに実は新井奥邃(あらい・おうすい)に関するエントリーなどない。2月14日付けのブルース・メッツガーの死亡記事エントリー(http://markwaterman.blogspot.com/2007_02_11_archive.html)に関する常連コメンテイター「あがるま」さん(あがるま氏はドイツから出てしばらく南欧で過ごされ、ドイツにまた帰られたのでしょうか、近頃はよく知りません)のコメントとわたしのレスポンスをめぐって、今日新たにD. コールという方からコメントがありました。綴りはわかりませんが、Dはダニエルということがわかっています。男なら Daniel Cole というのが一般的な綴りですが、コールさん、差し支えなければお知らせください。
さて、わたしのブロッグは純粋なアメリカ版なのでいろいろな点で日本のものとは違います。新しいコメントが入ったというお知らせが出ませんので、古い記事に対するコメントは誰も見ないことになるケースがほとんどです。今回、折角ですからこの主エントリーで紹介いたします。下記のコメントがありました。前後の脈絡は上記のURLをクリックしてください。
>あがるまさんが嗅ぎ付けたD.コールです。奥邃はT.L.ハリスの共同体に28年身を置いた、特異なクリスチャンでしたが、ハリスの世界観をそのまま鵜呑みにした訳ではありません。奥邃が若いときに身につけていた宋明学の素養とバランス感覚、そして賊軍のレッテルを貼られた仙台藩士だったということ(つまり富国強兵を通して”一等国”になることを国策とした明治体制に対して距離を置く姿勢をつらぬいたこと)なども相まって、晩年には非常に純化した信仰の持ち主でした。 彼の英文の著述はもともと1890年代に私家版の形で印行されてもので、今回の『新井奥邃著作集』ではそちらを底本としました。戦後、奥邃の弟子(彼自身はその様な言葉は嫌いで、もしろ「友」と言っていたようですが)がそれを別な形で出してますが、若干原著と違うところがあります。 『著作集』にはこのほかに書簡や遺墨、それから明治・大正時代の新聞雑誌に取り上げられたり、寄稿した文章も収集できた限りのものも掲載しました。
誰が自称クリスチャンと言おうが、実害がなければ、わたしは構わないという立場です。確かに、T.L. ハリスと新井は別でしょう。それは読んでみなくてもわかることです。どのような思想家かはわかりませんが、自分なりの信仰を貫いた方だそうで、その遺徳を偲び、横浜の出版社が著作集を手がけているようです。キリスト教は決して個人思想ではありませんし、ましてや個人崇拝ではありませんが、損得抜きの出版は大変なことで尊敬しますので、ここにご紹介申し上げます。
(わたしは読んでいませんので、内容については一切責任を負いかねます。ただし、お読みになった方が、聖書に照らしての疑問等ございました、新井のテキストの部分を添えて便りをお寄せください。伝統的なキリスト教の立場から、可能な限り、お答えしたいと考えています。なお、宋明学とは宋代明代の中国思想、特に儒学の総称ですが、新井の接した具体的なものは何か著作を見なければわかりません。しかし、要するに宇宙論的思想あるいは哲学であり、キリスト教と何の関わりもないことは明らかです。)
新井に関する出版社のURLは下記のとおりです。
http://www.shumpu.com/pub/publi.html
上述のとおり、ダニエル・コールさんのことは、MK(missionary kid)であること以外、わたしにはわかりません。工藤正三氏は工藤直太郎の遺稿の編纂をなさったことがあります。それ以外はわかりません。
アメリカの議会図書館のURLは下記のとおり。
http://catalog.loc.gov/