Dietrologia or Behindology Revisited
背後学再訪
背景(background)とは明らかに違うので背後学としたが、まさに背後霊的でぴったりの訳かも知れない。元々のイタリア語も辞書にはない造語なので、その後の英語も造語、日本語訳も新訳である。
地中海美術に詳しく、従って現代イタリア語などにも詳しい我が友あがるまさんのイタリア語解説は、先のエントリー "Ens et Esse" の彼のコメントを参照されたし。
彼はまた、これは paralogism(誤謬推理)かとも述べている。私も少なくとも半分はそうだと思う。
この言葉はもともと Bruce Chilton and Craig A. Evans (エヴァンズ小父さんは面白いよ。カナダの先生だが元々陽気な Californian。骨壷の骨を犬がくわえて走るという話などでは、研究者や学生の前でペンを口にくわえて走って見せたりする。)が編集した Studying the Historical Jesus という本の端書にあった Carlston の言葉です。
カールストンも、イエスの行動から彼の胸の内を探るのは、対象がイエスでなくても(人間誰であっても)土台無理な話だと考えます。いわゆる行動学、すなわち行動(犯罪その他あらゆる行動)の動機は何かという学問に対するネガティヴな見方です。この問題は、心理学や犯罪学では重要なテーマでしょうが、出てくる答は常に仮定に過ぎず、行動の外見から「推理」される一定の科学的根拠はあるかも知れませんが、その正しさの程度も常に蓋然的であるに過ぎません。死んでしまった人の胸の内は分かりませんし、生きている人の告白だって常に真とは限りません。
その意味で、dietrologia は少なくとも半分は paralogism であると、私も思います。残った多少の真は何かって? 心理学者やそういった手法を使ってイエスはこうだったああだったという史的イエス研究者のことも立ててあげなければならないでしょう、あがるまさん。