Long Time No See
お久しぶりです
いやー、Linus さんのことを心配していましたが、元気で嬉しかった。私の「度アップ」の写真(このブログの最初のエントリー)をご存じなかったらしく紹介しました。まあ、恥ずかしくもなく。拡大可能なので髪の毛1本の細部まで見える写真です。
今まで他のことで忙しく更新が延び延びになっていました。Linus さんを心配したように、私を心配してくださる方がいらっしゃればと思い、とりあえずご挨拶をと思いました。ついでに例のヤマカーを被ってガートルードおばさんとのツーショットをオンしちゃいます。頭が少し切れていますが、ちゃんと被っていますね。Yom Kippur の次の日に、おばちゃんの家を去る直前でしたからサングラスのままで失礼します。(ガートルードには許可なしにネットにのっけちゃってごめん。僕の顔だけトリミングしてもよかったが、このほうが自然だものね。)
そういえば、ジェフリーの『秘密のマルコ伝』に関する新刊のブラウンのグ~ンと長い書評読みました。資料的には大変参考になり、綴じてファイルしておくつもりです。しかし、これはいわゆる書評ではありません。ジェフリーの本のまとめから評に入るのが通常の書評でしょうが、それがないため肝心の書評の役には立ちません。
しかし、ブラウンはジェフリーの本を、秘蹟をめぐる教会学と同性愛をめぐる性論と捉え、この面から詳細な議論を展開しています。ただ、前述のとおり、ジェフェリーの説については詳しく説明せず(従って先にそれを読まなければならない)、ブラウン自身の持論の展開に終始しています。
ブラウンはもともと『秘密のマルコ伝』本物説なので、アレクサンドリアのクレメンス(ローマのクレメンスとは別人)や当時のアレクサンドリアに詳しく、その部分は面白いし、よい導入資料となる議論だった。確かに、ジェフリーは神学の素養はあるとはいっても単なる典礼学と音楽史の分野からの考察なので、ブラウンにとっては面白くないものであったろう。私もジェフリーの本は何となく自分で買うほどのことはないと思ってしまった。ただし、ブラウンの紹介ではよくわからないので、図書館に入った段階で目だけ通そうとは思っています。
大事なことを書き忘れました。ブラウンは Longer Mark という術語を使います。これは Secret Gospel of Mark の意味でもありますが、大まかに言えば、秘密のマルコ伝を含めた現存のマルコ伝よりも長い特別の版という意味です。ブラウンはその存在を信じています。結語で、ジェフリーはスミスの Longer Mark を否定しておきながら、テキスト理解では同じ間違いを犯していると結んでいます。
ただ、Longer Mark はマルコ伝の Longer Ending(マルコ伝16章9節以下を含む写本)と紛らわしい術語で、実際 Longer Ending の多様さを考えたら、正確性に欠く用語であると思う。(Longer Ending の詳細な分類は私の著作にあります。)