Japanese Books Newly Obtained
日本語の新規購入本
いやー、変われば変わるもの。専門と関係もない日本語の本を4冊も買ってしまった。実は、近頃、日本語ブログは読むようになったが、日本語の本は読んでいない。読みたいものがないわけではないが、入手が割高で面倒だし、時間がないのである。(←なら、ブログを書いたり、余計なコメントを置いてくるな!)
それでも、日本に行ったときなど、また当地の日系書店に立ち寄った際は、宗教思想の書棚は見てくる。先般、『イエス逆説の生涯』という本を目にしたのと、私の専門に重なる範囲なので、手に取ってみた。目次を見て、著者の引用文献を見たあたりで、この著者はあまり勉強していないなとすぐに思ったが、念のため読んでみた。立ち読みだ。立ち読みでよかったら買う。結構高い割には中の文字がスカスカで内容が薄いなと思った。そして、いつの間にか読み終わっていた。
私は、少なくとも英語と日本語なら、かなりの速度で読むのだが、とくに理解度が高い自分の専門に関するものは、ますます早くなる。このスカスカ、フカフカの本は味も素っ気もなく、これがイエスだなどと言いふらすニセモノ学者め! と、その本を床にたたきつけ(←これは嘘です。お店の人に悪いのでそっと書棚に戻しました。頑是無いキリスト教無知の方が読んでもいけないので、書棚の奥に平らにして隠してしまおうかとも思いましたが、それも思いとどまりました。少なくとも、日本の立派な牧師様や神父様、そして神学者の方々が適当に批判してくださるでしょう)その場を去りました。ゴミ、と一言呟いて。
買ったものは、以前からコメントを置いてきている内田樹氏の
『他者と死者』それに難波江和英氏と共著の『現代思想のパフォーマンス』
なんだ、やっぱり思想関係だけか、と思うでしょうが、実際、時事評論もどきの内容は、彼のブログで十分ではありませんか。手に取るまで、ゴミ本が来たらどうしよう、大枚はたいたのにと不安でしたが、まあまあのようですな。初めて手にした内田氏の著書だ。
それと、猫猫先生こと、小谷野敦氏の
『聖母のいない国』と『中庸、ときどきラディカル』
前者はなかなか面白い北米文学論で、後者は落語の読み本みたいで大笑い。彼の本職に関わる漱石論『夏目漱石を江戸から読む』はすでに大学図書館で借りて読んでいるが、彼の本を自分で買うのはこれも初めてだ。
しかし、本はあるときに買わないと手に入りにくくなる。それに、日本からの本はやはり高い。今回は買っただけの価値あるものだからいいが、買ってからゴミだったら泣く。金返せって。書評が充実していない国だし…。これからも余り買うことはないな、きっと。貧乏人が冒険してまでさ。