Just a Swallow
ちょいと一呑み
と言ってもお酒ではない。下戸の私はこの際コーヒー。 冒頭の写真だがその話は後で。まずは学会最終日の朝から順に。
最終日の20日火曜日の朝はてんてこ舞い。荷物をパッキングして風呂に入って、メールのチェックと各種の返事を書いていたら、やや今日の朝一番の発表に間がない。裸のまま電話してベル・キャップテンを呼ぶ。来たときと同じ大柄の黒人が入ってきたのは、ジーパンのファスナーを上げたのと同時。彼は手際よく荷物を積んでくれる。
近頃のホテルはクイック・チェックアウト・システムで便利になって、早朝に部屋に slip in された明細書をチェックし、クレジットカード用のサインをしただけで部屋のキーごと箱に放り込めばフロントに行く必要はない。そんな便利さとベル・キャップテンの手際に促されて、部屋に参加者ネームカード(←これが会場へのパスポート)と携帯電話を忘れたことを思い出し大急ぎで戻る。朝から駆けっこだ。
会場は一番遠いハイアット。何とか間に合って一番いいところに座る。しかし、今回の会場設置での不満は三つの会場の距離が遠すぎる。せっかくコンヴェンションセンターを主会場にしながら、私などは他の二つのホテルの会場に行く機会のほうが多く。2時間半の1セッション中に掛け持ちで他のセッションを覗くということが難しかった。興味というよりは移動がなるべく短くて済むセッションを選ぶ始末で、考古学のセッションは一つも参加できなかった。だいたい健常者でも移動が大変だったのだから車椅子の人たちや足腰の悪い人たちは困っただろうに。来週文句を学会に書き送ってやる。(来年のボストン大会は、SBLだけでするから会場もこじんまりとしていて、このように改善しましたと言うだろうが、本当に今年は辛かったと恨みを述べなきゃ。)
さて、私の参加した最後のセッションはマルコ伝グループのセッション2。シナイ写本(まとまったマルコ伝としては現存最古、4世紀のパーチメント=羊皮紙本)の頭とお尻の問題だ。頭というのは、この写本には1章1節の「神の子」という言葉がないことに関する議論で、お尻というのは、16章8節で終わってしまうという議論のことである。それぞれについて45分計1時間半だが、間にフリーア・ロジオン(ワシントン写本)というマルコ伝16章14節と15節に入ると想像される異本)に関する45分が挟み込まれた。この議論は、大きな意味ではお尻の問題に関係することになる。
しかし、正直言って当て外れ。大会前にあらかじめ送られたフルペーパーからある程度は察していたが、ディスカッションに好奇心があったので出かけたようなものであった。この問題については、私の近著をよく読んでもらいたいと思うような発表者もいたくらいだ。初めの頭に関する発表のコメンテイターに指名されているケンブリッジの Peter Head などは、発表が終わってから現れ(あらかじめFPを読んでいるので構わないことは構わないが、かなり失礼)、大柄に年上の先生に講義を垂れていた。しかも、最後のお尻に関するMおばさんの発表が終わったらディスカッションに入る前に早々と退散するとは。しかし、確かに、このおばさんの発表はお粗末で、いやそれ以前の問題で、今までの研究成果をちっとも勉強していない。FPの作り方も‥、ホントに彼女は学者?
おっとっと、Mおばさんに悪いからちょっと別な面で弁護。彼女、頭の問題のとき、「神の子」をシナイ写本が入れていないのは「神の子」の呼称がローマ皇帝にも使われていたからそのマイナスイメージを避けたとフロアから発言した。この場合に妥当するかどうかは別として、考慮しなければならない歴史的事実であり、プラスポイントを上げよう。結局、彼女の発表の後のディスカッションの途中、これ以上は意味なしと思って退席した。
(念のために:なぜこんな重箱の隅をつつくことをしているかといえば、マルコ伝の当初の意図は何であったかをなるべく正確に掴もうとしているからだ。更に言えば、歴史上のイエスや初期のキリスト教の状況はどうであったのかを実証的に探る営みの一つだ。今まで記事にしたQ問題やグノーシスも同じこと。ただ、どこに重きをおくかとか、専門にするかは、人によって違う。実証的な営みだから、世界の初めとか神の存在などの観念的な探究とは違う。)
すると突然空腹を覚えたが、そういえば朝から忙しくて食べていなかった。マリオット内のレストランに入り、朝昼分なのでしっかり食べる。貪るように食べて、ふと目を上げると、目の前の席でジムお爺さん(James M. Robinson)が孫のようなX嬢と食事中。えっ、と驚くが知らん振りを決め込む。先に、彼らが立ったとき、彼と目が合い、彼は優しく微笑む。私とはクレアモントやその他の場所でしょっちゅう顔を会わすとはいっても、こんな若輩を知っているはずはない。(マクドナルドおじさんなら多分知ってる。)単に目が合ったので微笑んだだけ。やはり、死ぬまで牧師か。
さらばマリオット、などと大袈裟だが、一応の区切り。なにしろサンディエゴなんて年に2回くらいは来ている所なので、遠くから来られた人たちのような感慨はない。そういえば、辺りに誰もいないところで20ドル札1枚を拾ってしまった。いつも言うように、急いで靴で踏みつけて、紐を直すふりをして辺りを見回して拾った。神様からの贈り物ORネコババ。でもね、この日はチップを上げまくった。ルームサービス、これは毎日のことだが、今日はベル・キャップテン、駐車場係、昼のレストランで計18ドル。(←けっ、たったそれだけか。)でもね、セルフサービスの駐車場などでチップを上げる人はいないが、私は料金係にも上げるの。あたしは頑張ってるという感じのラティーノのおばさんは思いがけないので大喜び。そしたら、それら全てが戻ってお釣りが来た感じだ。もっとも、1枚落とした人はがっかりしてるだろうね。いや、ひょっとしたら1枚落ちてもわからない金持ちか。
帰り道、せっかくなので San Juan Capistrano(サン・フアン・カピストラーノと発音)で一休み。ここはセラ神父が18世紀に開いたミッションの一つだが、毎年決まった日にツバメが集まり去っていくので知られる場所でもある。だから、みやげ物売り場で小さなコップに "Just a Swallow" と呑みとツバメを掛けた言葉を印刷したものを発見して早速買う(1ドル95セント)。それと、開くと ladybug(テントウ虫)が "I love you" といって出てくる鉛筆削りと小さな裁縫セット入り小箱を買った(いずれも2ドル98セント)。大きさ(すなわち可愛さ)は万年筆の大きさと比べてほしい。
このコップを早速洗ってスタバに入りコーヒーで一休み。このスターバックスは前に来たときは普通のカフェだったが今はスタバになってしまったらしい。内装は以前と変わらず、古いいい雰囲気であり、スタバのモダンさと合っている。例の小さなコップに注ぎながら飲んでいると、皆が「あれっ」とした顔で見て通り過ぎる。余りにも不思議そうにしていたおじさんには説明してあげた。ここには売っていないが、あの店にいきな、と。
帰ったら、日はとっぷりと暮れていた。くたびれたので冷蔵庫の有り合せで食事をしてすぐ寝る。早く寝すぎて早起きしたので、このブログを書く。終わり。(あれれ、また眠くなった。)