Overbeck Overturned or Overbeck 101
ひっくり返しのオーヴァベックあるいはオーヴァベック基礎講座
いやはや、忙しいといってもオフィスにいて忙しいのとは別で、あちこち飛び回る生活はブログ生活とは両立しないことを経験した。学会はまだ定点だからなんとかなる。近頃長いドライヴは酔ったような状態になり夕食をするとバタンキューだ。午前中は自宅なので眠くなったらまた寝てもいいと思い、夜中に起き出して書いている。もっとも、あちこち行っている間も学会で刺激を受けた関連の図書を携えており、今後のブログに反映してゆこうと思う。(それにしても、気になる事務がいくつかあるなー、あーあ。)
あがるまさんにFranz Overbeck (1837-1905) の解説をお願いしていた。前回記事で紹介のとおり、「背教者ユリアヌス」へのコメントなので既に読まれた方もいるだろうが、ここにそのまま再録する。その後で、私からのレスポンスというか、解説をしたいと思う。その前に、いつもの駄洒落の本日のタイトルについて蛇足ながら、
Overbeck Overturned とは、英語版WPにもあるように、フランツ・オーヴァベックが実際に読まれることなく、ただニーチェと親交があったということから誤解されているという意味で付けた。(Overbeck の発音だが、本人がどう発音したかはともかく、普通はドイツ語でも英語でもこのように発音する。日本の本で、オーフェルベックと書いてあるのを見たことがある。vをfと発音する場合もあることからの類推であろうが、ドイツ語の発音に関する初歩的な間違いである。なお、over = ober であり、over は外来語と考えていい。Beck とは brook = 川のことだから、日本語の名前で言えば、「上川」さんだ。)
Overbeck 101 とは、Oや0の丸いのを並べたかったというお遊びではあるが、アメリカの大学の教養課程の最初の(基礎の)講義には 101(ワンノウワンと発音) という授業番号が付くことから「オーヴァベック基本講座」の意味である。(アメリカの高等教育では各授業に3桁の番号が付いている場合がほとんどだ。400番台までは学部教育、500番台が修士課程、800番台から博士課程のように。)あがるま said...
落語の三題噺のやうに関係のないもの3つを繋げたためにお鉢が廻つて来るとは思ひませんでした!
1.「砂漠で一人瞑想する」と云ふのはF.OverbeckのD.F.Strauss,
P.deLagarde,A.Harnackの近代主義や教養としてのキリスト教を否定するテーゼ:「原始キリスト教は本来的に文化やその後の歴史的キリスト教とは関係なく、世界の否定を専らにする終末論的なものだつた。」のつもりだつたのですが、それがDr.Watermanによるとグノーシスだと云ふことになる。
2.仰る日本のグノーシスのグループはネット上で「文化と○○」と云ふのをやつてゐるグループで、その批判があるのだらう。(Christentum
u.Kulturと云ふのは彼の論文集の題名です、念のため。)
3.どちらにしてもオヴァーベックのテーゼは今でも生きてゐるやうだ。と云ふ私の思ひ込みです。
蛇足:
1.John Elbert Wilsonと云ふ方のクレアモントの博士論文 Continuity and difference in the
course of Franz Overbeck's thought : an analysis of Overbeck's concept of the
relation between history and religion ,
1975.があるさうです。(彼は前記の論文、「今日の神学のキリスト性」の英訳者です。)
2.Wikiによるとオヴァーベックはこの短い論文を発表したためにドイツの大学で教へられなくなり、バーゼルでは、自説を唱へることを禁止され、専ら新入生のための入門講座しか持たせて貰へなかつたさうです。
3.しかしバーゼル大学は、数年しか教へなかつた、哲学教授になり損ねてノイローゼのニーチェに沢山の年金を与へたり、当時学生が100人程しかゐなかつたさうなのに、余程金持ちだつたのでせうか?
4.所でYouTubeで偶然にKK氏のお話を聞きました。http://www.youtube.com/watch?v=GCXoamhqixYお嬢さんも日本に帰り度くないのかも知れない!(こんな悪口は「はてなブロッグ」向けか?)20.11.07.
以上が、あがるま氏のオーヴァベック解説だが、ドイツ時間2007年11月20日(20.11.07)付けで、私の学会期間中にいただいたものだ。既に2週間近く経ち、まことに申し訳ない。
さて、あがるま氏は今までも度々オーヴァベックをバウアー(このバウアーはイーアマンの心の師 Walter Bauer ではなく、Ferdinand Christian Bauer のこと)などと連名で引用してこられたし、日本語のWPにも項目がないので解説をお願いしたものだ。おおむね妥当な解説だが、若干の数字的修正と、私との関連で一言述べなければならないこともあるので、以下に簡単に記したい。(既に、長いのに、この上も長くなりそうだなー。)
私のブログの長い読者ならご存知のことと思うが、私の学歴上の正式な主専攻は神学である。「博士候補」(←これは博士になる前にもらう正式の称号で博士になると後で抹消されます)の試験では、神学3教科を受験し、副専攻の1教科は歴史学だった。なにゆえ神学かというと、私は学歴的には哲学と社会学からの転向であり、たまたま神学には聖書学のほかに哲学の素養が必要だったからである。副専攻の歴史学も歴史哲学に焦点を置くコースで受験した。
それでは、なにゆえ今は新約学に首を突っ込むかというと、個人的興味が、原始キリスト教(初期キリスト教)であり、もっと誤解のないように正確に言うと、制度的キリスト教以前のキリスト教の起源(史的イエスならびにイエスの死と復活思想)に関わるマルコ伝研究にあるからだ。また、学位論文が、新約学に分類されたりマルコ伝解釈に分類されることや、実際に論文執筆と論文審査の過程では新約学者の指導を受けることになったので新約学者と見做されることもある。しかし、自分としては、今でも本当の新約学者とは思っていない。
自分ではあくまでも神学者であり、新約学者ではないが、今では哲学を含めた神学が大嫌いで、新約学が大好きという、いわば「かたわ」である。言い換えれば、これが言いたいために長々と略歴を書いたのだが、哲学や神学は大学や大学院で教えるほど知っているが、余生をそんなゴミに費やしたくはないと思っているのである。哲学や神学を知らずして嫌いと言っているのでは決してない。
ふん、生意気な、と思っておられるかもしれない読者の方へ。同じような考え方の軌跡を残した一人が、実はフランツ・オーヴァベックだ。当時のリベラル神学が嫌いで、歴史的グノーシス(特にアレクサンドリアン)が大嫌いで、歴史的グノーシスに対抗するため哲学化したキリスト教神学が嫌いだったのがオーヴァベックその人だ。彼は、教会史家としてアレクサンドリアのクレメンスのStromateisのドイツ語訳を出版しているが(クレメンスについては私のブログ内検索をどうぞ)、彼ら教父(使徒時代以降の古代キリスト教の重要指導者のこと)がギリシア哲学を援用して護教にあたったことは、近代の神学者が近代科学を援用して奇妙な神学を作りあげたのと同じだと断罪する。
現代の正統派に引き継がれている可能性は別として、使徒時代までのキリスト教が本物(オリジナル)であるというのが、私やオーヴァベックの主張であり、あがるま氏の引用したように「原始キリスト教は本来的に文化やその後の歴史的キリスト教とは関係なく、世界の否定を専らにする終末論的なものだつた。」のである。これはイエス教、キリスト教なのであって、グノーシスではない。グノーシスというプラトニズムの皮を被った宗教思想もこれに対抗しようとして哲学化した神学も、科学をもって安直に神学しようとした近代神学もゴミなのである。簡単に言えば、これがオーヴァベックの反神学思想であり、むしろオーヴァベックは敬虔なキリスト教徒というのが最近の学界での認識である。
実際は、オーヴァベックは、彼の神学思想のゆえに大学で不利益を受けたことはない。まず、ドイツのイエナ大学を去ったが追われたのでは決してない。学位と教授資格試験合格後、イエナでに数年間私講師をしているときにスイスのバーゼルから専任講師として招聘されたのであって栄転だった。また、バーゼルでは1870年に着任してから1897年に定年退職するまで勤め上げ、新約学と教会史の正教授となった。彼自身、イエナよりも敬虔な雰囲気のあるバーゼルを気にいったと書いているし、著作では神学者を批判するが教会を批判しないと明言し、教会の事典編纂などにも参加協力している。
著作の舌鋒とは別で、彼の温厚な性格は現存するいくつかの写真からも見て取れる。おそらく資産家で、金持ちだった可能性がある。金持ち喧嘩せずだ。ニーチェとの親交からニーチェ的な思想と誤解されることが確かに多いが、彼との仲はバーゼルでの住居が数年同じだったことが発端であり、Über die Christlichkeit unserer heutigen Theologie (1987、初版)の出版に際してニーチェが手助けしたことがきっかけだった。オーヴァベックは自分より6つも年下なのに最短距離で正教授に駆け上がり出版界でも有名なニーチェに畏敬の念は抱いていたが、思想的に必ずしも同調していたわけではない。これらの事情は、1903年の同書第二版の中で彼自身が明らかにしている。(もっとも、ニーチェの「神の死」を「歪められた神の死」と解釈するとオーヴァベックと重なるとの解釈もある。)
この第二版は初版からほぼ30年後に出されたため、興味ある個人的事情も記されており、まさにブログ的記述で面白いことこの上ない。自分もチュービンゲン学派と目されていることは仕方なしとしながらも、バウアーなどは自分が大学に入ったときに退職していたし、生涯面識はなかったとも書いている。オーヴァベックにとっては、著作上批判する相手の一人でしかない。(同じ頃にバウアーを批判していたシュヴァイツァーほどではないが。)
この本はあがるま氏が紹介したように英訳がある。彼を初めて本格的に取り上げて学位論文を書いたことのあるウィルスン先生の訳だ(On the Christianity of Theology, 2002)。先生(John Elbert Wilson)はクレアモントで学位を得た後、スイスのバーゼルに渡り、近代神学史の研究を続け、現地で牧師となり、15年ほど滞在してアメリカに帰国した。帰国する数年前にはバーゼル大学で教鞭も執っており、ドイツ語のバイリンおじさんだ。従って、英語だけでなく、ドイツ語の著作も多い。現在はピッツバーグの教会史の教授となっている。(ピッツバーグ神学大学院では、ガンドリー先生の下のお嬢さんの旦那様である考古学者 Ron Tappy 君も教えている。)
ついでにウィルスン先生の宣伝をしておくと、最近になってWestminster John Knox Press から Introduction to Modern Theology: Trajectories in the German Tradition を出している。先生のこの本は、20世紀中ごろまでの神学史(特にドイツ神学)の101モノ教科書には最適なので私も早速買った。(嫌いな神学でも飯の種は買うんだよ!)事典みたいなものだからパラパラとめくっただけだが、ウィルスン先生もホワイトヘッドなどは小バカにしているのがよくわかる。あれはキリスト教ではないし、近代神学ですらない。ウィルスン先生の出たクレアモントではコッブのようなのがまだやっているらしいが、まさに現代のグノーシスだねぇー。
そうそう、クレアモントもそうだが、ハーヴァードも、またどこでも、同じ先生について、同じようなテーマを仕事としながら、全く違った方向にゆく。学会で日本から来ていた先生も同じことを言っていた。最近、ハーヴァードのKaren King の「マグダラのマリアの福音書」に関する近刊を読んでいたら、エジプトの2-3世紀のインテリにとってプラトニズムは今の心理学的知識みたいなもので常識だった、というくだりがある。インテリほどいかがわしいものに興味を持つという意味で書いているのだ。このように、彼女は私やオーヴァベックやウィルスンのようにグノーシスを捉えているが、同じハーヴァードやクレアモントでもグノーシスが中心のように考える者が出てくるから不思議なものだ。
ところで、ウィルスンのこの神学史の近刊でもほんの数ページだがオーヴァベックは登場する。カントやヘーゲルから始めて、1960年代で終わる30コマの授業にすると1コマの半分か1/3コマで済ます軽い扱いだ。ウィルスンの考えでは、オーヴァベックをバルトらの弁証法神学の先駆者としてだが、私は少し違うような気がする。実際、ウィルスンはバルトがオーヴァベックをどのように理解したかに関わるとは言っているのではあるが違うだろう。ただし、ウィルスンがオーヴァベックを Martin Kähler と同類にしたのには同意する。ケーラーとは geschchtlich と historisch を峻別することによって歴史の概念に新しい地平を開いた人であり、オーヴァベック同様にリッチルやバウアーに批判的だった。アメリカではシカゴのノーマン・ペリンが Rediscovering the Teaching of Jesus の5章でケーラーを扱っている。いわゆる歴史哲学だ。しかし、これも1960年代の話であって、その後の研究はめざましい。この辺りは、私の本来の専門に関わるので書き出すと切りがないから今は止める。
(しかし、猫猫先生と同じで好きだから、ちょっと世間話。ペリンはこの本を出してから間もなく脳溢血で死ぬが、彼の大学の執務室を整理していたのが日系の立教大学出身のジョセフ・キタガワ教授だ。エリアーデとの共同作業もあるので、日本で宗教学を修めた人なら誰でも知っているだろう。キタガワ教授とは違って、この人の兄さんはアメリカでずっと牧師をしていたはず。さて、キタガワ教授殿はシカゴ市内の小さな大学にいるある人物に電話する。「君の履歴書がペリン教授の机にあったが、これはどういうつもりのものか。捨ててもいいものかね。」言われた人物は「はい、捨ててください」と返事した。そうするしかないではないか。シカゴ大学の新約学の教授になりたかったのだが、パトロンのペリンはもういない。可哀想なこの人物の名前は、あの有名なジョン・ドミニック・クロッサン。その後もずっとシカゴにある小さなカトリックの大学で一般教養の学生だけを教え続けた。まー、お陰で素人相手の話がうまくなったのかもしれない。運はどのようにも向くものだ。)
最後に、オーヴァベックの神学者としての位置だが、ニーチェとの親交とバルトが1922年に “Unerledigte Anfragen an die Theologie” で取り上げたことから有名になったが、単にそれだけのような気がする。それだけ。今ではオイラが同感するほど当たり前すぎて時間を割くべき対象ではない。ウィルスン先生の今回の教科書用の新刊だって、時代の一断片として捉えるためのものであり、それだけのものにすぎない。ゴミをゴミとして分別するためのものだ。
時間を割くべき対象と言えば、神学徒諸君、いやしくも神学を志すなら、ホワイトヘッドなど放り投げて聖書を学びたまえ。グノーシスは何も正統派によって抑圧されてなくなったのではないよ。飽きられ呆れられて廃れた可能性のほうが高いとハーヴァードのカレン姉さんも言っている。今どき、ホワイトヘッドねー。彼のたった3冊の本に留まるのではなく、広く目を開きたまえ、諸君!
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Blue Dragon さんと南都さんは次回、または別宅(Comments by Dr. Marks)で。
どちらも本家よりアクセス数の多い分家に掲載いたします。分家のURLは
http://d.hatena.ne.jp/DrMarks/20071205
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IT に関するお願い。Internet Explorer 7 を入れろというのでほいほいと入れましたら、どうやら少なくとも私のブラウザーでは漢字のフォントが中国流。これってどうやって直すのでしょうか。
11 Comments:
Wikiを見て書いただけで、彼の本も持つてゐますが碌に読んだ訳ではないのです。
記事の中ではFranz Overbeckの先生であつたヘーゲル中央派のバウルF.Ch.Baurと左派のバウアーBauer兄弟BrunoとEdgarBauerが混同されてゐます。
チュービンゲン学派と云ふと現在ではSzlezak,Gaiser,Kraemerなどの『プラトンの書かれざる教説』論ですしJ.A.Moehler, F.A.Staudenmaierなどのカトリックのチュービンゲン学派も前述のヘーゲル(左)派のプロテスタントのチュービンゲン学派もあります。現在のEberhard Juengelも学派を形成してゐるのかも知れません。
Overbeckはニーチェと同様、お話Historieとしての歴史は認めたが、何等か本来的な出来事が生起するやうな世界史Geschichteは認めなかつた。それが重要だと思ひますし、バルトへの影響なしに考へることも出来ない。
Watermanさんは逆向きに同じことを言つてゐるのだと思ひますが。
いや、私の間違いではないのです。確かにブルーノ・バウア(日本式ではバウルと書く人もいる)についてもシュヴァイツァーは批判していますが、私が書いた通りチュービンゲン学派というとフェルディナンド・クリスチャン・バウアのことなのです。そして、シュヴァイツァーはこちらのバウアも有名な『史的イエス研究』で批判しています。
オーヴァベックは私が引用した本の第二版(ウィルスンの英訳あり)で、自分は確かにチュービンゲン学派とみなされてかまわないが(要するにチュービンゲンで学んだということですから)F.Ch. Baur が退職した後の学生なのでバウルに習ったことはないし、会ったことすらないと書いているのです。今手許に英訳しかないのであがるまさんのドイツ語版と合わないかもしれませんが、Introduction (Einleitung) の初めから3つ目の段落(英語版はP58)にあります。
そうです。ケーラーと共通するのでウィルスン先生はケーラーを主にオーヴァベックを従にしてまとめて一派としています。なお、バルトへの影響は、バルトが誤解しようがしまいが、バルト自身が影響を受けたといっているのですから、あがるまさんの言う通りです。ただし、バルトが誤解したかどうかはここ30年ほどの論争になっていて、ウィルスン先生自身も初め誤解説でしたが、今は逆にオーヴァベックを正しく理解して弁証法的神学へと発展させたと判断しているようです。
(私は、ヘーゲル史観はオーヴァベックにはないことを根拠として、ウィルスン先生には多少の異議があります。だいたい私は、かつて私の先生たちに、私を評してバルト的信仰の学生などと言われてその気になったこともあるのですが、今はバルトはあまり高く評価していません。わが師ブラウン先生がバルトの論文を書くまではバルト派だったが、その後ブラウン先生はバルトを見向きもしなくなったことに影響されているのかもしれませんが。
だいたい私は、この神学者に心酔しているといって一生それにすがっている人の気が知れないのです。バルトも時代的な意義はあるとしても、今の私には何の関係もありません。ひたすらイエスという男に興味があるだけです。)
いつも刺激になるコメントありがとうございます。(もう寝たかな?)
MWW
プロテスタントのTuebingerSchuleとはヘーゲル左派のD.F.StraussやBruno Bauer等のことを指すのだとばかり思つてゐましたが、彼らは自由文筆家で大学教授ではなかつたのでFerdinand Christian Baur (1792-1860)のことなのですね。でも彼らも含めた聖書の高踏批評の伝統を云ふのでせう。
ティラナのアポロニオスやマルキオン、グノーシスについての著作もあるやうなので、Overbeckのキリスト教神学=グノーシス論はF.Ch.バウルの影響なのでせうか。
ヘーゲルの影響は自由神学の元祖Schleiermacherを通じてオヴァーベックにもありますし、K.バルトと同様フォイエルバッハからも多大な影響を受けてゐます。
ニーチェのパウロ嫌ひも含めて、結局(悪しき)キリスト教神学の元祖は聖パウロだと云ふことになるのかも知れません!
Bauerをバウエルと云ふことがあつてもバウルとは書きません。
またオヴァーベックはチュービンゲンで学んだことはありません。
カタカナ表記による誤解はありますね。私はオーヴァベックと書くがあがるまさんはオヴァーベックですから。(日本じゃ神学史を教えられないな。)
チュービンゲン学派の定義は確かにさまざまですが、フェルディナンド・バウア(バウル)が祖ですが、彼の弟子のみならずリッチルなども入るわけです。
そこで、あがるまさんがオーヴァベックはチュービンゲンでは学んでいないというので例の彼の記述を読み直しました。そこで、一つ訂正があります。彼が大学に入ったときに退職したと先に書きましたが、大学を出たときにバウアが死んだの間違いでした。
昔は多くの大学を回っていたので可能性はあるのですが、チュービンゲンで学んだかどうかは確かにわかりません。ただ、その箇所および前後で、オーヴァベック自身が、私はチュービンゲン学派だったに違いないが、チュービンゲン学派とはいったい何だろう、と言い、バウア(バウル)に一度も会ったこともないし、私はバウアのヘーゲル流哲学とは何の関係もない、と言っています。
オーヴァベックはパウロをそれほど嫌っていません。証拠に(またその箇所を探すのが大変なので省略しますが)パウロはオーヴァベックの嫌いなキリスト教神学者ではなく「使徒」であると言っています。それはその通りだと私も思っています。
またまたコメントをありがとうございました。うろ覚えのところを読み直して確認することができました。彼が65歳のときに書き加えた部分なので、彼自身も勘違いがあるでしょうね。本人が書いているから正しいということもないというのが、我々「へそ曲がり」のスタンスです。
MWW
自分では常にオーヴァーベック(オーにアクセントがある)と書いてゐるつもりなのですが、改めて見ると違つてゐますね。
実はオーファーなのかオーヴァーなのかも知りませんでした - 誰かが発音してゐるのを聞いたこともありません。
後は歴史および歴史叙述とは何かと云ふ問題になります。
実は、あがるまさんのコメントがいつ入ったのかわかりません。私へのEメールへの連結がおかしくなったみたいで、何日も見過ごしていたら、本当に遅くなってしまいました。ごめんなさい。
そうですね。歴史と歴史叙述の問題が、ケーラーやオーヴァベックの問題ですが、年代的に両者の中間には、同じ問題意識を持っているランケ批判のディルタイなどもいます。イギリスでもフランスでも20世紀前半の歴史哲学者の中心課題の一つでした。
私がたびたび言っている、ancient mind and modern mind もその話ですし、フッサールの認識論とも私の内では繋がってきます。意外な関連でしょうが、私は結局のところ同じ円を描いて歩んできたのかもしれません。私なんて、単純なものでしょう。
ランケが言っているような客観的な歴史的事実などないのです。しかし、丁寧にその時代と現在の我々の意識を紡ぐなら、かなりの信憑性をもって過去の姿が浮かんできます。
MWW
Bauerと Baurは英語では同じ発音バウアになるのでせうか?
Overbeckの『絨毯』の翻訳が出版されたのは彼の死後30年経つてからですね、後2巻を残して現在刊行中の全集にもこの翻訳はなささうです。
さう云へばレヴィナスも古典的存在論(形而上学)の立場ながら、フッセルが『デカルト的省察』で出来なかつた共同主観性を地上に引き降ろし、超越ではあるが、最早、超越論的egologyではない、他人についての叙述としての現象学の試みとして読めるのでせう。
真善美は古代中世を通じて超越(範疇)だつたのに、カントは理性の事柄である真については知的直観が認められないので、図式論schematismに頼るしかなかつたが、善や美の領域には直観(face to faceの関係)を認めたので、そんな怪しげなものは必要としない、と云ふ1929年のダヴォスでのカッシーラの発言を、同席したレヴィナスは慥かに聞いてゐて、それを、レアルで否定不可能な他人との関係(これはサルトルの影響?)の現象学として、ハイデッガに反対して展開したのかも知れません。
またF.ロゼンツワイクの云ふ、常識を否定する哲学に対する健全な人間悟性(常識)の論理でもあるのでせう。
結局キリスト教は古代の神の殺害だつたので、その結末が、古典的存在論に依存する(組織)神学の内部では、無神論に至るのは全く論理的に見えます。
「神学はキリスト教の墓」ですがその墓がないと史的イエス研究もどうにもならないとしたら、どうなるのでせうか?
D.ボンヘッファーとオーヴァーベックを共に「宗教ではないキリスト教」を目指したとして論じたパンフレットを読んだことがありますが、飽くまでキリスト教とその神に拘るなら、的結局未決の領域である歴史に解決を持ち込むこと(終末論)しか出来さうもない。『西欧の先入見としての世界史』に凡てそれらは収斂されてしまひます。
Mag unsre Schaezung des Historischen nur ein okzidentalisches Vorurteil sein; wenn wir nur wenigstens innerhalb dieser Vorurteile fortschreiten und nicht stillstehn!
[Vom Nutzen und Nachteil der Historie fuer das Leben. Nietzsche-W. hg.v.K.Schlechta,Bd. 1, S. 218)= 反時代的考察2]
あがるまさん、コメントありがとう。
>Bauerと Baurは英語では同じ発音バウアになるのでせうか?
(MWW)外来語人名ですから人によってアメリカ人の発音は違いますが、我々の普通の発音をカタカナで表わせば、前者がバウアー(←最最後に多少の伸び)、後者がバウァ(←小さなァ)でしょうか。
>Overbeckの『絨毯』の翻訳が出版されたのは彼の死後30年経つてからですね、後2巻を残して現在刊行中の全集にもこの翻訳はなささうです。
(MWW)へー、日本語訳があるのですか。ありがとう。
>さう云へばレヴィナスも古典的存在論(形而上学)の立場ながら、フッセルが『デカルト的省察』で出来なかつた共同主観性を地上に引き降ろし、超越ではあるが、最早、超越論的egologyではない、他人についての叙述としての現象学の試みとして読めるのでせう。
(MWW)Intersubjektivität なら、その本でのフッサールの概念ですし、フッサールは常に地上にひき降ろした議論をしていて、後の Die Krises に書かれた Mitmenschenheit(共同性、仲間としての我々)や Wir-Horizont(我々の地平)、更に有名な Lebenswelt(生活世界)の認識論へと繋がります。フッサールは常に他我(他者 alter-ego)が問題であり、レヴィナスはフッサールのよいところに目を付けていたと思います。(ただ、日本のレヴィナス読みの人で、これがフッサールの受け売りであることを理解している人は少ない。というか、まともにフッサールを読んでなんかいない。)
>真善美は古代中世を通じて超越(範疇)だつたのに、カントは理性の事柄である真については知的直観が認められないので、図式論schematismに頼るしかなかつたが、善や美の領域には直観(face to faceの関係)を認めたので、そんな怪しげなものは必要としない、と云ふ1929年のダヴォスでのカッシーラの発言を、同席したレヴィナスは慥かに聞いてゐて、それを、レアルで否定不可能な他人との関係(これはサルトルの影響?)の現象学として、ハイデッガに反対して展開したのかも知れません。
(MWW)地上に落としたといっても、フッサールはプラトニズムの意味(人間認識の脆弱性)を再認識していたのに対し、ハイデッガーが世俗的レヴェルにまで落としたのです。そのことを軽く批判した人がいます。レヴィナスです(レヴィナスのDifficile Liberté参照)。レヴィナスがサルトルの影響など受ける可能性はありません。逆ならありますが。
>またF.ロゼンツワイクの云ふ、常識を否定する哲学に対する健全な人間悟性(常識)の論理でもあるのでせう。
(MWW)そうです。生活世界の哲学ですね。イギリス流の Hume は別の流れで常識派ですが、これもその後の亜流が単純化(数式化)しすぎたように思います。
>結局キリスト教は古代の神の殺害だつたので、その結末が、古典的存在論に依存する(組織)神学の内部では、無神論に至るのは全く論理的に見えます。
「神学はキリスト教の墓」ですがその墓がないと史的イエス研究もどうにもならないとしたら、どうなるのでせうか?
D.ボンヘッファーとオーヴァーベックを共に「宗教ではないキリスト教」を目指したとして論じたパンフレットを読んだことがありますが、飽くまでキリスト教とその神に拘るなら、的結局未決の領域である歴史に解決を持ち込むこと(終末論)しか出来さうもない。『西欧の先入見としての世界史』に凡てそれらは収斂されてしまひます。
Mag unsre Schaezung des Historischen nur ein okzidentalisches Vorurteil sein; wenn wir nur wenigstens innerhalb dieser Vorurteile fortschreiten und nicht stillstehn!
[Vom Nutzen und Nachteil der Historie fuer das Leben. Nietzsche-W. hg.v.K.Schlechta,Bd. 1, S. 218)= 反時代的考察2]
(MWW)そうです。偶像としての神の殺害です。ニーチェの「神の死」もそうであると見てとっていたのがオーヴァベックです。日本の俗人は単なる無神論と理解している。また、終末論をヘーゲル的なテレオロジーと見るのは誤解です。終末は歴史(時間)の彼方にあるのではなく、いつでも終末です。ニーチェのほうがまだキリスト教の理解は深い。
ところで、1年経ってみたら、近頃だいぶ議論の幅が煮詰まってきたような気がします。少なくとも、お互いが、何を問題にしているかがわかる。しかし、あの人たちは人生の無駄をしていなければいいのですが。
MWW
バーゼル学派とも云ふべき、ブルックハルトやバッハオーフェンの翻訳を続けてゐる奇特な一人の日本人がゐますが、彼もオーヴァーベックまでには手が廻らないでせう。
全集は十年以上前からドイツとスヰスの出版社が共同で刊行してゐますが、まだ数年はかかりさうです。
フッセルは共同主観性を叙述できなかつた、それは超越論的観点つまり明証性のある自己意識(の鏡像関係)に囚はれてゐたからで、レヴィナスが始めて『全体性と無限性』で『カルテシウス的省察』第五部で試みて失敗したことをやり遂げたと言ふつもりでした。
レヴィナスを純粋に現象学者として扱ふことは、私は読んだこともありませんが(Watermanさんも何処かで話題にされた)村上靖彦『現象学者レヴィナス』で為されてゐるのでせう。
古代の神は偶像ではありません、一者と云ふ理論的な基体です。
歴史やその元になる時間は、創造の源になるやうな根源無ではなく、単なる虚無に過ぎません。
歴史の中には、空虚な墓があるだけで、何も啓示されないのです。
バーゼル学派とも云ふべき、ブルックハルトやバッハオーフェンの翻訳を続けてゐる奇特な一人の日本人がゐますが、彼もオーヴァーベックまでには手が廻らないでせう。
全集は十年以上前からドイツとスヰスの出版社が共同で刊行してゐますが、まだ数年はかかりさうです。
フッセルは共同主観性を叙述できなかつた、それは超越論的観点つまり明証性のある自己意識(の鏡像関係)に囚はれてゐたからで、レヴィナスが始めて『全体性と無限性』で『カルテシウス的省察』第五部で試みて失敗したことをやり遂げたと言ふつもりでした。
レヴィナスを純粋に現象学者として扱ふことは、私は読んだこともありませんが(Watermanさんも何処かで話題にされた)村上靖彦『現象学者レヴィナス』で為されてゐるのでせう。
古代の神は偶像ではありません、一者と云ふ理論的な基体です。
歴史やその元になる時間は、創造の源になるやうな根源無ではなく、単なる虚無に過ぎません。
歴史の中には、空虚な墓があるだけで、何も啓示されないのです。
13.12.07
エントリーで紹介しておきます。
MWW
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