Dr. Waterman's Desk

An old desk of an American theologian ("日本語" speaker) / Check out another blog please "Comments by Dr Marks"

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American citizen but a foreign native born in southern Germany, raised in northern Japan. He holds a Ph.D. degree in biblical theology (Center for Advanced Theological Studies, Fuller Theological Seminary). Dr. Waterman mainly lives in Los Angeles, California. He studied various subjects (philosophy, sociology, etc.) and languages in Japan and in America (Hirosaki University, University of Tokyo, Fuller Theological Seminary, and other institutions). Email: markwaterman(at)fuller(dot)edu. Some call him "Dr. Marks".

Thursday, November 08, 2007

Julian the Apostate and Modern Apostates of Theologians

背教者ユリアヌスと現代の背教神学者

日本では、クリスチャンの間でなくても背教者ユリアヌスのことは割合に有名らしい。日本だけのことではないが、キリスト教史というよりは、多くはあることないことをまじえたフィクションの世界で有名だからである。

ユリアヌス(Flavius Claudius Julianus)は4世紀のローマ皇帝で、国教化したキリスト教よりもローマ古来の異教を復活させようとした偏屈あるいは変わり者的豪の者であると言われるが、むしろ今で言う自由主義的な立場の人であり、異教を復活させる代わりにキリスト教も自由に活動させるというものであったらしい。彼の母親 Baslina は、彼を産んで間もなく亡くなっている。寂しい少年時代だったらしい。しかし、政治と軍事を司ることが運命の家系だから、なかなか凡人には想像もつかない凄まじい人生だった。果たして、死の床で「ナザレ人(イエス・キリストのこと)、汝が勝てり」と言ったかどうかは定かではないが、何ほどかイエスを思うところがあったのではないかと想像する。

私のブログに登場する回数の多い神学者に新約学者の Bart D. Ehrman がいるが、来年の2月にGod's Problem: How the Bible Fails to Answer Our Most Important Question--Why We Suffer という本を出すらしい。新約学者が神学の本を出すという趣向だが、この中に彼の、いわゆる背教というわけではないが、不信仰に陥った個人的体験も書かれているらしい。彼は思春期に劇的な改心で信仰の世界に入り、新約聖書は全文暗記したというから並ではない。初めは Moody Bible Institute という超保守的な学校で学び、最後はプリンストンで Bruce M. Metzger の指導を受けPh.D. の学位を取得した。(クレアモントのMcDonald 先生もそうだが、ハーヴァードに行く前はなにしろあのBob Jones University だからね。そして結局へんてこな研究傾向になる。今イーアマン先生はノースカロライナで教えている。

大体だ、「なぜ俺たちは苦しむ」などという問題設定が問題だし誤解を生む元なのだが(Dr. Waterman 風に言えば、神学のゴミ)、神学の分科に Theodicy(神義論と日本語では言うと思う)というのが元々存在することは事実だ。20世紀後半でこの分野で有名な学者は John Hick。多分、日本語訳もあるだろう。このヒック先生はクレアモントでも教えていた。そして、このヒック先生と一緒に Why Believe in God? という本を書いた先生に(もう亡くなったが)Michael Goulder いう先生がいた。この先生はバーミンガムの僧正様だったが、「もう辞―めた、ついでにキリスト教信仰も止-めた」といってキリスト教の世界から姿を消した。1981年のことである。ある意味でプロテスタント系の学者の研究が袋小路に入っていた時期だ。

ゴールダー先生は、有能な若者のあたら青春を神学やキリスト教のために費やさせる呵責に忍びず、教えることを止めてしまったという次第。それから後、20世紀の終わり頃、イエス・キリストなど信じねー、と宣言したものだから、ゲッチンゲン大学のプロテスタント神学部を追い出され、一般教養学部に配置換えされた大将がいる。あの有名な Gerd Lüdemann だ。ただし、神学部を追い出されても新約学者で、いろんな変なことを教えている。しかし、ときどき鋭い聖書の解釈もする。

このリューデマン大将とイーアマン提督はサンディエゴの学会上に現れる予定。イーアマン先生、あんたは新約学者なんで、その限りは立派、余計なことに首を突っ込むと危ういなー。本が出たら、こきおろしたろ。

20 Comments:

Anonymous Anonymous said...

私の知り合つた日本のカトリック系大学の先生は、キリスト教はナンセンス、と常々云つてゐました。Dr.MWの言葉使ひではゴミJunkだと云ふことでせう。

プロテスタント系の大学では嘘でも洗礼を受けてゐると云はなければ教師になれないさうで、そんな道元の有名な研究家もゐたと聞きましたが、カトリックは大分自由なやうです。

英雄視されてゐるので、ユリアヌスは美丈夫だと思つて居たのですが、冴えない小男だつたやうですね。

4:37 AM  
Blogger Mark Waterman said...

あがるまさん

古くはヨーロッパの大学で教職を得るために形だけの改宗がありました。私の最初の研究領域だったフッサールは、ユダヤ人なのでプロテスタントに改宗して大学教授になりました。しかし、晩年、信仰からカトリックに再改宗しています。

友人のポール・シューが、チャプレン兼宗教学の准教授で教えている日本の青山学院なども、教会籍や洗礼証明書がなければ教師になれませんでしたが、もう大分昔にそれは撤廃されているでしょう。その代わり、学長だけは、と言っていたと思いますが、それも今ではないかもしれません。よくわかりませんが、学院長というのが別にいますからね。アメリカのIVリーグのほとんどやLAのUSCなどの古い大学も皆そうだったのです。

「冴えない小男」の根拠はわかりません。

MWW

7:02 AM  
Anonymous Anonymous said...

Hi Dr. Waterman,

It's me again, Takayuki Nanto. I've enjoyed this blog of yours just like I did your previous ones. I'm not quite a diligent student of theology or philosophy or anything of the sort, but I'll try to follow your blogs anyway.

I find it really interesting to note that anyone from such an ancient time (4th century) as Julian the Roman Emperor turned out to be such a rebel. That story is quite thought-provoking, making me imagine how difficult his life must have been in an era when any religious rebel, especially one at the top of society, would have been persecuted and regarded literally as insane. I happen to be the type of guy that tends to feel for such rebels.

As for Bart D. Ehrman's upcoming book about "Why We Suffer," you seem to make light of it. My first reaction to that comment of yours was "Ugh, Dr. Waterman is picking on someone again! I'm fed up with all that."

But then again, I gave it a second thought. As a result of much communications with you, I've finally come to realize that you, Dr. Waterman, is the type of person that appreciates it when others give you criticism. So I thought, "Maybe Dr. Waterman and many other people like to criticize one another. That's the way most people seem to evolve. Maybe I'm just a member of the minority."

So, Dr. Waterman, I'll be looking forward to your further criticisms, including one about Dr. Ehrman's. I myself would have loved to read his book if I had met it when I was around 20 to 25. I was totally into that sort of thing in my younger days.

But, maybe after I reached the age of 35 or so, I stopped searching the solution to my sufferings or anyone else's for that matter. I stopped looking for the ultimate reason why we live or why the universe exists.

Why? Because I simply don't think that there is any solution anywhere, neither here among humans or in the universe. Maybe theologians and Christians will sneer at me or oppose me vehemently saying,

"What are you talking about, Takayuki? Of COURSE there's a reason for all that! God created this universe and all beings including yourself. You live to praise Him. Your mission has been dictated by Him. There is absolutely no question about it. End of discussion!"

I'm not quite an atheist, but I doubt all that.

Takayuki Nanto
http://www.myspace.com/takayuki_nanto

1:46 AM  
Blogger Mark Waterman said...

南都さん

(日本語読者の皆様へ、以下の私の答に南都さんからの質問のほとんどが入っています。)

おはようございます。どうも冬時間になってしばらくは早く目が覚めてしまいます。今5時半です。

いつも誠実に私の言わんとするところを読み込んでくださってありがとうございます。私の書いていることに中途半端に神学などを学んだ人は反感をもって目を剥くかもしれませんが、心を開いて読んでくださることがいることは、書いている者としてとても感謝しています。

確かに、既にキリスト教化した古代ローマの皇帝を輩出する家系に生を受けた(コンスタンチノープル=イスタンブール生まれ)ユリアヌスにとっては居心地の悪い生活だったかもしれませんが、少なくとも彼自身の治世では彼の好きなことを実施したはずです。ただし、彼の死後、すべてが元に戻ってしまいました。

人々の話題としては絶好の人物ですから幾つもの小説が作られましたが、内容はどうかと思います。そういえば、彼は背教者と言われますが、元々彼はキリスト教徒ではないから背教者ではないと茶々をいれる人もいますね。

南都さん、私が学者、とくに有名学者を揶揄することはこのブログの使命です(ナンチャッテ)。ただし、私自身が心から「これはまずいなー」と思う社会的傾向になった(あるいはこれからなるだろう)ものが対象です。社会情報学の古典的法則に二段階の情報流通理論(two-step flow of communication)というのがあります。オピニオンリーダーが結局社会通念に発達するというわけですから、少しでもその流れに逆らおうという、いわばごまめの歯軋りの道楽がこのブログです。それが、飽き飽きする人は途中で読むのを止めるでしょう。

南都さんはその辺りのことを理解してくださっている私の得がたい読者の一人です。そして、多分、私は人を批判する場合もその人の価値に相応しい形で批判してきました。イーアマン先生は、細君に言わせると、近頃は学会場でも芸術家のようなアウトフィットで好かん、などと言いますが、何の何の、変わらず素晴らしい新約学者です。ただし、神学や歴史学になると、おやや、と思える解釈をしてびっくりします。ひとつ、彼の目に触れても構わないと考えて書いた彼への批判は英語で書いていますので南都さんは既にお読みですね。

南都さん、おっしゃる通りです。神学や教義学というのは私もつまらない。私は哲学の学びを本格的にしていますので、神学そのものが主専攻に形上はなっていますが(多少の業績もあります)、それらは所詮夢物語です。ところが、聖書や伝承というものは実際の人間の営みから語り継がれたものであり、現実味があります。遅くこの分野に入った自分の能力では限りがあるものですから、新約学や旧約学を主専攻とすることができなかったのですが、今は自力で細々とその分野(聖書学)に参入しています。そして、近頃気になったのは、昔の神学者や哲学者は十分な聖書学の造詣の上に、神学・哲学を行っていたのに、聖書を知らずに神学する新しい傾向でした。実は、この最後の気掛かりから、このブログを1年前に始めたようなものです。

MWW

6:31 AM  
Anonymous Anonymous said...

Thanks, Dr. Waterman, for your kind response. As for your post on Dr. Ehrman in English, I confess I hadn't read it. So I googled it right away and read it. Thank you. I haven't read all of your blogs yet. In fact I'd always been perplexed by your posts on theology, which seemed a bit too hard for me.

But now I think I'm beginning to understand much better what it's all about, although I'm just a layman in this field. I'll read more of your blogs every time I find time.

Takayuki Nanto

5:48 AM  
Blogger Mark Waterman said...

Nantoさん

失礼しました。

皆様

その記事は

http://markwaterman.blogspot.com/2007_07_01_archive.html

にあります。

MWW

7:37 AM  
Anonymous Anonymous said...

<「なぜ俺たちは苦しむ」などという問題設定が問題だし誤解を生む>

と云ふ発言と、ヨナスやレヴィナスなら「グノーシス」的状況とでも呼ぶべきもの
(1. La vraie vie est absente. 
2.Mais nous sommes au monde. 
3.La metaphysique surgit et se maintient dans cet alibi.)が関連してゐるやうですが!

古代のエヂプト人やギリシアの在論論者のやうに今生きてゐるこの世界に満足し、死後の世界にもそれを持つて行き度いと思ふ、のが本当なのでせうか?

12:57 PM  
Blogger Mark Waterman said...

あがるまさん

夜ホテルに戻らないとコンピュータにアクセスできないような状態ですので返事が遅くなってすみません。もうお休みでしょうね。

そうです。まったくの私見ですが、グノーシス的問題設定だと思います。人間の性で何でも知りたいのでしょうが、そのこと自体が false question(質問自体が有効性を持たないということ)ということです。

もっとも古典的な問題設定としては、旧約聖書のヨブ記にも見えますが、非常に論争の多い書物でヨブ記の成立事情や変遷によって議論の観点も変わることが知られています。

一見では、あがるまさんが述べられたように、現世と同じ(あるいはそれ以上の祝福にある)来世を迎えるという考え方ですが、それは単なる人間的な願望であり、神の約束との一致は確かめることができません。

そういう意味では、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が(ヨブ記を含めて)同じ信仰にあるのですが、イスラム教の場合は際立っているような気がします。

MWW

7:33 PM  
Anonymous Anonymous said...

「それは単なる人間的な願望であり」
と云つても人間が自然に持つてゐる悟性の作用ですから、絶対他者が介入した暴力的・偶然的なものではなく合理的なものです。
思考の原理は、対象の区別とその根拠になる同一性tertium comparationisで、当然意志も含んでゐます。

誰も見知らぬ場所で不幸にならうとする者はありません。これは幾ら宗教は不条理が身上だとしても同じことでせう。
現世で不幸であれば反対に来世では幸福になれると云ふのは倒錯した考へで、この世の中を幸福に生きることが重要で、それが死後にも続くと云ふのが普通の考へでせう。

9:07 AM  
Blogger Mark Waterman said...

あれ、前にも書いたような気がするのですが、来世のほうに期待を寄せるほうが多いようです。今幸せな王族などはその生活が死後も続くように願ったのでしょうが、多くの苦労して生活していた人たちは来世や「弥勒の世」を期待したのです。

MWW

7:29 PM  
Anonymous Anonymous said...

さう思つて居られるなら、日本のグノーシスたちを非難してはなりません!

王侯貴族(それに僧侶)だけが幸福で古代エヂプト人の大半(それにはユダヤ人も含まれるでせう)が(強制的にピラミッド建設に従事させられるなど)不幸だつたとか、中世の日本の民衆が虐げられてゐたと云ふ云ふなら、それはお話に過ぎないでせう。
エヂプトはともかく、日本でそれを書き残した人々はエリートたちで特別幸福な生涯を送つたに違ひないのですから。
18.11.07.

12:29 AM  
Blogger Mark Waterman said...

あがるまさん

>日本でそれを書き残した人々はエリートたちで特別幸福な生涯を送つた

だから、そいつらの世迷言はゴミだと言ったわけですが? ちょっとあがるまさんの言っていることがわかりません。説明してください。

MWW

9:00 AM  
Anonymous Anonymous said...

何故グノーシスはゴミなのか、仰る意味が好く分らなかつたからです。
それなら伝道の書や福音書やレヴィナスやヨナス、それに殆どの書物もゴミになります。
それこそ砂漠で一人瞑想しながら生きて行くしかない。

同性愛や偶像崇拝は自然であつたから禁止されなくてはならなかつたし、命令されても誰も守らない。

悟りが「悟りなどと云ふものははない」と云ふ悟りであるやうには、キリスト教は出来てゐない。
絶対的にPositivでなくてはならないやうな神は論理の必然で否定されるしかない。
18.11.07.

10:09 AM  
Blogger Mark Waterman said...

あがるまさん

今日は簡単にだけ説明しますが、

>砂漠で一人瞑想しながら生きて行く

のがグノーシスで、豊かな自然の交わりで生きていくのが人間です。

MWW

10:01 PM  
Anonymous Anonymous said...

さうですね何時かグノーシスの定義を聞かせて戴けると思ひます。
それに関連して(一時)中止された、例のグループの批判も期待できるのでせうか?
それにしてもオヴァーベックの判断は正確なものだと思ひます。
19.11.07.

1:11 AM  
Blogger Mark Waterman said...

あがるまさん

グノーシスの中身は千差万別ですが、一般的な説明ないし定義はそこらにある事典かWPで十分でしょう。以下は、私流の定義です。

今生きている世界の mystery について簡単にわかったと大言壮語したり、楽してわかると人に思い込ませるのは「グノーシス的」であり、「歴史的グノーシス」は、古代のアフリカを含めた地中海世界と中近東に広まり、哲学の衣を着せた習合的な宗教思想とでも言っておきましょう。

>オヴァーベックの判断

私の人生は限りがあります。余計なことをする時間はありません。

MWW

10:55 AM  
Blogger Mark Waterman said...

あがるまさん

>余計なことをする時間はありません。

言い方がちょと変でしたので。つまり、私には時間がないが、あがるまさんのほうから私にも読者にも教えてくださいということです。

MWW

11:56 AM  
Anonymous Anonymous said...

落語の三題噺のやうに関係のないもの3つを繋げたためにお鉢が廻つて来るとは思ひませんでした!

1.「砂漠で一人瞑想する」と云ふのはF.OverbeckのD.F.Strauss, P.deLagarde,A.Harnackの近代主義や教養としてのキリスト教を否定するテーゼ:
「原始キリスト教は本来的に文化やその後の歴史的キリスト教とは関係なく、世界の否定を専らにする終末論的なものだつた。」のつもりだつたのですが、それがDr.Watermanによるとグノーシスだと云ふことになる。
2.仰る日本のグノーシスのグループはネット上で「文化と○○」と云ふのをやつてゐるグループで、その批判があるのだらう。(Christentum u.Kulturと云ふのは彼の論文集の題名です、念のため。)
3.どちらにしてもオヴァーベックのテーゼは今でも生きてゐるやうだ。
と云ふ私の思ひ込みです。

蛇足:
1.John Elbert Wilsonと云ふ方のクレアモントの博士論文
Continuity and difference in the course of Franz Overbeck's thought : an analysis of Overbeck's concept of the relation between history and religion , 1975.があるさうです。
(彼は前記の論文、「今日の神学のキリスト性」の英訳者です。)
2.Wikiによるとオヴァーベックはこの短い論文を発表したためにドイツの大学で教へられなくなり、バーゼルでは、自説を唱へることを禁止され、専ら新入生のための入門講座しか持たせて貰へなかつたさうです。
3.しかしバーゼル大学は、数年しか教へなかつた、哲学教授になり損ねてノイローゼのニーチェに沢山の年金を与へたり、当時学生が100人程しかゐなかつたさうなのに、余程金持ちだつたのでせうか?

4.所でYouTubeで偶然にKK氏のお話を聞きました。
http://www.youtube.com/watch?v=GCXoamhqixY
お嬢さんも日本に帰り度くないのかも知れない!
(こんな悪口は「はてなブロッグ」向けか?)
20.11.07.

2:07 AM  
Blogger Mark Waterman said...

あがるまさん

ありがとう! まだサンディエゴで忙しいのですが近日中に本記事で紹介します。

MWW

6:58 AM  
Blogger Mark Waterman said...

あがるまさん

OK、「私信」は削除しました。しかし、前便はあの程度ならいいと思いますのでオンしました。ユリアヌスの風体もそのうち送ってください。期待しています。

MWW

7:02 AM  

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