What Is History?
歴史とは何か?
まるでカー (E. H. Carr )みたいな題で申し訳ない。実は、分家で小説の真似事をしていて、そこに「歴史とは何か?」という短い文章を書いた。ここでは、それを読んでみてくださいということと、そのことが聖書学や初期キリスト教史に関わっているということを申し添えたいと思います。
http://d.hatena.ne.jp/DrMarks/20080113
少ないと言えば少ない、多いと言えば多い、現存の写本の断片や、歴史的な原資料を初めて手にすると心躍ります。しかし、資料が本物でも、その資料が担う情報が本物とは限らないのです。
(お知らせです)
Fookai さんと南都さん、お騒がせしました。ひょっとしたらということで、身内のIT助手に電話して見てもらいました。やはり、Fookai さんのおっしゃるとおりでした。私や南都さんのブラウザでは問題ないのですが、自動的に対応していないブラウザでは、今回も前にご指摘をわどさんから受けたときと同じで、画面が崩れるそうです。
彼が、通常に見える場合と崩れて見える場合の双方を実演してくれました。確かに、文字が勝手に薄くなって読めません。一応今はどこからでも問題なく見えるはずですが、不都合があったらまたコメントください。(なお、ほとんどのブラウザは普通に見えるので気づかなかったはずだと言われました。)
更に、私のブラウザの中国漢字についてもわかりました。普通の日本語フォントがあるブラウザでは問題がないそうです。実演してもらいました。私の今使っている移動用小型コンピュータ(Compaq)にまともな日本語フォントが入っていないので中国漢字を unicode が利用しているそうです。近く、まともな日本語フォントを彼に入れてもらうことにしました。
以上、お騒がせしました。そして、コメントありがとうございました。謝謝、
沃徳曼敬白。
13 Comments:
読みづらいので(わざわざ反転させて読んでます)、壁紙か文字の色を変更してもらえませんか?
fookai さんから Dr. Waterman に対して要望がありましたが、もし fookai さんが Dr. Waterman とすでに仲がよいのであればこのような要望をたったの二行だけで何のあいさつもなしにするのも許されるでしょうけど、もしも初対面に近い関係なのだったら、このような一方的な要望を、Dr. Waterman やその他の読者の都合も考えないで自分の要望だけを前面に押し出し、しかもそれをたったの2行だけで何のあいさつもなしにぶつけるのは、とても失礼だと思います。
管理人である Dr. Waterman も必死でこの1年半にもわたってこのサイトを運営してこられたはずです。ただのボヤキや愚痴や偉そうな社会批判しかしない他のブログとは違って、このウェブサイトはレベルが高く、一つ一つのブログを書くのにとても神経を使うはずですし、時間もかかるはずです。何かを要望するのは大いに結構でうけど、そのような管理人、そして他の読者のお気持ちを少しでも考えてほしいと思います。
というわけで、これはあくまで fookai さんと Dr. Waterman とのあいだの問題でしかないから、僕みたいなただの読者が口出しすべきではないのかもしれませんが、Dr. Waterman はあまりにも失礼な人たちに対して今までずっと丁寧に接してこられたので、気の毒になってしまって、ついつい僕は余計な口出しをしてしまっています。すみません。
ただ、今回の要望に関しては、僕自身も実は、Dr. Waterman のサイトだけでなく大多数のインターネット上のブログの文字が読みにくいと感じてはいました。壁紙の色や文字の色を変えても、それでも読みにくさがあまり変わらないみたいです。それは、僕自身が運営しているあちこちのサイトでも同じです。管理人として一生懸命にやってても、うまくはいかないのです。
そこで提案ですが、できれば文字の大きさを大きく(おそらくは Dr. Waterman のサイトでは Large というサイズに)してもらえば、今までよりもさらに読みやすいと感じる人が増えるのではないかという気がしますが、それは僕の勝手な都合かもしれません。他の読者はどう感じるかわからないのですけど。
fookai さん、
はじめまして。コメントありがとうございます。今まで予想もしなかったコメントで驚いています。
実は、いろいろなテンプレートを試して、自分としては一番落ち着いていると思っていたのですが。そうですか。
ところで、壁紙とは左右の壁紙ですか? それとも文字のバックでしょうか? 文字自体は黒ですからもっともスタンダードだと思いますが。
南都さん、
いろいろとありがとうございます。しかし、fookai さんのコメントの仕方は問題ないでしょう。私も同じような形でコメントします。
文字の大きさですが、日本語のテンプレートではわかりませんが英語のテンプレートなら View をクリックして Text Size を選択すれば、読むほうでサイズを変更できるはずです。
皆様へ、
それよりも気になっているのは、私のブラウザでは、漢字が中国の書体になっています。皆様、日本語として読めていますでしょうか。例えば、「直」などは左の縦の棒がないため、読みにくいはずです。いかがですか?
間もなく出かけます。
MWW
>>>「直」などは左の縦の棒がないため、読みにくいはず
==========
「直接」の「直」は、縦の棒がちゃんと見えています。その他、僕は Dr. Waterman のこのブログサイトで、中国の文字を見たことはありません。あくまで日本語として読めています。
お、もとに戻りましたね。
数日前拝見した時はたしかに私の方でもfirefoxブラウザだと表示が変でした(operaブラウザでは正常でしたが)。今はfirefoxでもちゃんと綺麗に見えてます(OSはLinuxです、念のため)。
こちらの古文書みたいなデザイン好きです。真似したいくらいですけれど、「やーい、まねっこまねっこ」と馬鹿にされると嫌なのでやりませんが。
ついでに
前の前(くらいの)四福音書のお話は勉強になりました。
しばらく前に新約を読みつつ、四福音書がほぼ同じ内容ながら微妙に語り口が変わっていくところに色々と想像するところがあったもので。
Dr. Waterman による改訂補足版のブログも読みました。コンピュータに詳しい人まで動員して、いろいろと頭をひねって、大変でしたね。お疲れさんです。これからも、小説の執筆と聖書学についてのブログを期待してまっせ。
John. W. Wilson
"Introduction to Modern Theology
Trajectories in the German Tradition"
という本を Dr. Waterman は紹介しておられましたね。今日は、その本をちらほらと(最初の10ページほどだけ)拾い読みしてました。対して英語力のない僕が英文のよしあしなんてわからないんでしょうけど、僕の独断と偏見によれば、この Wilson さんの本の文章は、とても読みやすい。きれいな文章という気がする。
学者の書く文章は厳密さを優先するあまり、わかりやすさと美しさをある程度は犠牲にしないと仕方がないのではないかという偏見をついつい僕などは持ってしまいますが、そんなことはないのではないかと思わせるような文章を、この Wilson 先生はお書きになります。(少なくとも、今の段階で、僕はそう感じています。)
まあ、一冊をすべて読んでしまわないと本当のことはわからないのかもしれないけど、ともかく文章の美しさに惚れ惚れしました。本物の文学でなくても、美しい文章はあるのですね。当たり前のことでしょうけど。
UBSGWさん、
お恥ずかしい。ITオンチの私にも強い見方が側にいて助かっています。直ぐ近くに住んでいます。
そう言えば、IT助手の若い彼もやはり英語でfirefox、opera、なんじゃらもんじゃらと言っていましたが(特にfirefox で自分でリリースしたものをチェックしなさいと)よく私にはわからんかったのです。オペラだけに音痴ナンチャッテ。
南都さん、
確かにその通りです。あの本は大学生(一般教養)用の本ということもありますが、わかりやすい英語で書いています。自分で書く場合も Cady より Wilson 風のほうがいいでしょう。
MWW
Dr. Waterman に質問です。ドイツの神学の歴史に出てくる "the Awakening" とはどういうものでしょうか?
具体的に言うと、僕が手元に持っている
John E. Wilson
"Introdution to Modern Theology"
の p.9 の11行目に、次のように書いてあります。
Tholuck (Friedrich August Thulock) was a theologian of the Awakening.
ここ以外にも、この本には何度も "the Awakening" という言葉が出てきます。それについてのきちんとした説明はどこにもありません。Internet 上で検索しても、この "the Awakening" という英語のままでは適切な説明が僕には見つけ出せませんでした。日本語で「覚醒」っていうのかな、と思って、ドイツの歴史における「覚醒」という用語を検索してみたけど、どうもいい解説にぶち当たりません。
ドイツの思想・哲学・神学を知っている人にとっては常識なんでしょうけど、僕にはさっぱりわかりません。どういうものなんでしょうか?そして、ドイツ語の原語では、この "the Awakening" をどのように言っているのでしょうか? お手数をお掛けします。
The Awakening = The Great Awakening = The Revival Movement
Cf. http://en.wikipedia.org/wiki/Great_Awakening
これはアメリカ宗教史の言葉で Tholuck が使ったものではありません。しかし、対応するドイツ語はあります。Die Erweckung
MWW
The Great Awakenings についての Wikipedia の記事を読みました。ありがとうございます。そうかあ、アメリカ宗教史の言葉だったんですね。アメリカでは Great Awakening の時期が四回もあったのですね。それで、the Fourth Great Awakening は、公民権運動の高まりと連動した Martin Luther King, Jr. の活躍した時期だったわけですね。なるほど。
Awakening(s) と聞いて、どうも僕は映画の "Awakenings"
http://www.imdb.com/title/tt0099077/
を思い出していましたが、この映画のタイトルは、この "the Great Awakenings" に引っ掛けたタイトルだったのですね。
この Wilson さんの本は、最初にドイツの近代史を面白く解説してくれているので、ありがたいです。今はこの本の、Schellling による哲学や神学についての解説を読んでいます。大雑把に流し読みしてるだけですけど、その面白さは何となくわかります。
Schellling って、1840年代初頭のドイツの混乱の中で、哲学の救済者 (savior of philosophy) だと言われたほどの人なんですね。面白いです。
この本は読みやすくて初心者向きで、しかも役立つ本だと思うので、すぐに日本語訳が出るでしょうね。すでに出てるかな?
もう一つ質問。kerygma という言葉がよく出てきますが、どういう意味でしょうか?
僕の持っている英和辞典では、kerygma は次のような意味だと書いてあります。
kerygma
ケリュグマ、宣布 [キリストの福音を宣(の)べ伝えること]
(研究社「リーダーズ英和中辞典」)
さらに、僕が持っているギリシャ語辞典には、次のように書いてあります。
kerygma(ただし、辞書にはギリシャ文字で書いてあります)
(1) 伝令者の叫ぶこと(布告・公示・報告・命令・報酬など)
(2) 説教
(ギリシャ語辞典、古川晴風)
さらには、別の辞書には次のように書いてあります。
kerygma
Greek, 'proclamation': and so those parts of the NT identified by some modern scholars as preaching material rather than teaching material or descriptions of deeds. It includes the proclamation of Jesus' redemptive work in the passion and resurrection (e.g. Luke II: 32; I Cor. I: 21) usually with references to the fulfilment of OT prophecy. And there is a summons to repentance.
(Oxford Dictionary of The Bible, W.R.F. Browning)
ここまで読むと、何となく kerygma の意味がわかったような気がしないでもないのですが、次のような文を読んでいると、kerygma の意味がわからなくなります。
Among Bultmann's students, the question of the relationship between the historical Jesus and the ___kerygmatic___ Christ received the most attention. While Bultmann thinks we can know nothing of Jewsus' person because the Synoptic Gospels do not tell us about this, he does think we can know Jesus' teaching, even if in the Synoptic Gospels it is seen through the lens of the early church. (中略)
A group of Bultmann's students challenged the disctinction between the historical Jesus and the Christ of the ___kerygma___.
(上に挙げた文章の出所は、Dr. Waterman が紹介しておられた例の本である John E. Wilson, "Introduction to Modern Theology" の p.204, line 3 と line 16)
以上のことを総合して考えてみた結果、僕が思うことは、次のようなことです。
(1) the historical Jesus(史的イエス)というのは、「イエスの人となりや生い立ち」つまり「イエスがどういう人であったかということ」。
(2) kerygma というのは、簡単に言うと「説教」というほどの意味であり、"the kerygmatic Christ" とか "the Christ of the kerygma" というのは、(実際のイエスの人となりや生い立ちとは違って)「イエスの教え」というような意味。
質問攻めですみません。しかも、おそらくはきわめて初歩的な質問ばかりで、答える気にさえならないかもしれませんが、よろしくお願いします。
もっといろいろと読み進めていくうちにこういう疑問は解消されていくのでしょうが、今の段階で少し気になるので、質問させて頂きました。もし僕の質問がうるさければ、どうぞそう仰ってください。そして、もし僕の質問がうるさくなければ、これからもこれに似た質問をさせて頂きたいと思っています。他にはこんなことを尋ねられる人はいませんので。
自分で書いた次の文章に注目してください。
>(1) the historical Jesus(史的イエス)というのは、「イエスの人となりや生い立ち」つまり「イエスがどういう人であったかということ」。
>(2) kerygma というのは、簡単に言うと「説教」というほどの意味であり、"the kerygmatic Christ" とか "the Christ of the kerygma" というのは、(実際のイエスの人となりや生い立ちとは違って)「イエスの教え」というような意味。
(1)は Jesus、で(2)は Christ。
つまり、イエスは親からもらった名前ですが、キリストは苗字ではなく称号。
(1)は歴史上の物理的有様(ハード)
(2)は歴史上の信仰的有様(ソフト)
と見ることもできるでしょう。ただし、この関連性がどうかというのが、判断の分かれ道です。(1)を積極的に捉えようとする私でも、(2)を無視することはできません。(2)そのものも「歴史的」であるからです。
MWW
Dr. Waterman、お答えくださって、ありがとうございます。雲をつかむがごとく難しい言葉ばかりが並んでいるのですが、亀の如く進んでいきたいと思います。
ところで、Dr. Waterman はすでに blog の中で仰ってたんでしょうけど、この Wilson さんによる "Introduction to Modern Theology" に、Albert Schweizer の話がクローズアップされていて、彼がアフリカに貢献した例の有名な医者であると同時に、有名な神学者でもあって、しかも神学に大きな貢献をした人だということが、とても面白いです。historical Jesus の研究の発端を作った人でもあるらしく、
"The Historical Jesus in Recent Research"
James D.G. and Scot McKnight
という本の冒頭でも、Albert Schweizer による文章が出ていますね。ほんと、この人はすごい人ですね。Wilson さんによる Albert Schweizer についての解説も読みましたけど、面白いと思いました。Schweizer の人生観というか哲学には、僕は共感できます。
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