Dr. Waterman's Desk

An old desk of an American theologian ("日本語" speaker) / Check out another blog please "Comments by Dr Marks"

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American citizen but a foreign native born in southern Germany, raised in northern Japan. He holds a Ph.D. degree in biblical theology (Center for Advanced Theological Studies, Fuller Theological Seminary). Dr. Waterman mainly lives in Los Angeles, California. He studied various subjects (philosophy, sociology, etc.) and languages in Japan and in America (Hirosaki University, University of Tokyo, Fuller Theological Seminary, and other institutions). Email: markwaterman(at)fuller(dot)edu. Some call him "Dr. Marks".

Wednesday, October 31, 2007

Agalma in Egypt

エジプトのあがるま

ネット界の不思議男(本当は男かどうかも不明)ドイツ在住のあがるま氏から久々のコメントです。9月に下記のような哲学系のブログにコメントしていたのを最後に、私としては消息をつかめずにいましたが、田川建三先生についての私の記事に今朝コメントをいただきましたので紹介します。

単なるエジプト旅行でなく南エジプトと言っていますからナイルをかなりさかのぼったようです。しかし、ナグハマディまでは行かなかったのでしょうか。ナグハマディという所は上エジプトのナイル川沿いルクソールの古代都市の近くですからグーグルマップででも見てください。(まず、Google Maps を出し、Nag Hammadi, Qina, Egypt として検索してください。サテライトにすると細部まで上空からの写真が見えます。)

あがるま said...

やつとエヂプトから帰つて来ました。アレクサンドリアはグレコ・ローマン美術館が現在改装中でここ3年間ほどは見ることが出来ないさうで、一番の目当てがなくなり、ファイユームは工場ばかりだと云ふしナグ・ハマディに行つても勿論何もないだらうし。観光地を巡るにもガイドと武装ガードがないと何も出来ない大変な土地ですね。

<我々は食って寝ることによって生きる>それしかなく、それが大変なことだと云ふことが行つてみて - 特に南エヂプトで - 実感しました。

ドグマではなく信仰と云ふ人生態度がなくては彼らは生きて行けないでせう。人を騙し殺して、その財産を奪はなくては自分が滅ぼされてしまふ、しかしそれは西欧のキリスト教とも違ふだらうし、特に日本のやうに神がなくとも幸福に生きて行ける国に生まれた我々には理解できないことです。

TVを見ても人殺しばかりだし、彼らの日常生活も既に戦争の一部なのだと思へて来ます。
1:52 AM

Mark W. Waterman said...

ひえー、あがるまさんエヂプトにいたの! その間私はずっと古代アレクサンドリアのキリスト教徒に関する文献を読んでいました(ブログでは詳しく書かなかったけど)。

例の「口舌の徒のために」の9月の面白いコメントは読んでいたのですよ。その後の足取りが見えなかったのですが、エジプトですか。羨ましい。文献と現地の風は違いますからねー。しかも、ナイルをさかのぼっての風土は古代そのものなのでしょうね。

お知らせ

南都隆幸様から幾つかコメントをいただいていますが、このブログの良くないところで、最新のコメント以外は目に付きにくいものです。最初のコメントが田川先生のところ、次がこの記事について(この記事のコメントをクリックしてください)、三つ目が大昔のあがるま氏との対話です。

この記事についての南都氏のコメントは長いもので重要なメッセージが含まれています。私からの長いレスポンスもありますので、お読みいただければ幸いです。なお、南都氏は実名でサイトを開いていらっしゃいます。「天使のささやくルーマニア語」と言います。訪問してみてください。

7 Comments:

Anonymous Anonymous said...

またもや "Anonymous" のモードで投稿しますが、それは "Blogger" モードで投稿すると、操作がややこしくて、またもや投稿文を失ってしまいそうだからです。というわけで、南都隆幸ですが、お言葉に甘えて気楽に書かせていただきます。

Dr. Waterman も Dr. Marks も面白いですが、ご来賓の方々のうちの貴賓であらせらるる「あがるま」様も面白いお方で御座いますね。あの方の歴史的仮名遣ひを見てゐると、何とも言へぬ強襲(では御座りませぬ、「郷愁」で御座ります)を感じるので御座います。

それはともかくと致しまして、「あがるま」(挙がる魔)様の今回のエヂプト奇行(紀行)のお話は、極(きは)めて興味深く拝読させて頂きました。氏の仰せらるるが如く、南エジプトや古代の中東世界に於いては、人を騙して殺し、他人の妻や財産を奪はなければ自らが殺され奪はるるやうな世界であつたのであらうと思はるるので御座います。そして斯くの如き世界に於いては、氏のいみじくも仰せらしが如く、絶対的に強力な唯一神の存在を信仰せねば存続し得なかつたのであらうと痛感する次第で御座います。

小生は余り聖書を深く読み込んでゐる訳では御座いませぬが、例へば Exodus や Leviticus を読んでおりますと、そこに書かれてゐる極(きは)めて緻密な民法体系と申しませうか、精緻な掟を数千年前に於いてさえ確立せねば社会が存続し得なかったであらうと思はせられ、そのやうな精緻かつ執拗な法体系や絶対神がなくても存続しえた平和な日本の社会に生まれ育つたことを、本当(ほんたう)に悦ばしく思ふ次第で御座います。

旧約聖書の世界は、日本の古事記や日本書紀の平和さとは大違いと云ふ気がするので御座います。(とは云へども、聖書にしても日本の古代文学にしても、小生は深くは読み込んでおりませぬゆゑ、余り偉そうな口は叩けませぬが。)

南都隆幸

8:52 PM  
Blogger Mark Waterman said...

南都さま

Anonymous モードでかまいませんが、そちらのサイトが出るようにもできますので、お手数ですが、一度文書にキープしてからお試しください。

さて、「平和な日本の社会」ですが、他国と対比できるほど実際に「平和」であったかどうかは、外から見た場合は多少の疑問が残ります。大化の改新、源平の争い、戦国時代などの政変と、度々の飢饉や都の荒廃などでは、庶民もあるいは貴族も、神仏にすがらなければならなかったことを忘れることはできません。歴史の流れのいたずらで、キリスト教信仰が日本では押さえられてしまいましたが、16世紀に爆発的にキリスト教信仰が広まった典型的な国が実は日本です。

もっと新しいところでも、軍国日本の大東亜共栄圏という「平和観」が、あの忌まわしい第二次世界大戦の原因の一つであることをまるで忘れてしまい、戦後は口先だけの「平和」が好きな国民が日本人であると思われても仕方がないと考えます。もちろん、日本人の一人一人は心優しく、争いを好まないことは承知しています。

実は、旧約の民でさえ、一人一人は心優しく、争いを好みません。誰が平和を希求せずにいられましょうか。しかし、いや、だからこそ、重い現実の中で、人間の弱さ・人間の儚さの自覚の中で、神を知り、神の戒めを守って生きざるをえなかったのでしょう。

そして、平和の基がどこにあるかを知らずして、自然に平和を享受していると勘違いするなら、遠からずその平和を失うかもしれません。

MWW

11:09 PM  
Anonymous Anonymous said...

南都隆幸です。私がコメントした過去の blog の箇所を一つ一つきちんと目立つように紹介してくださり、しかも私のサイトまで紹介してくださいまして、恐縮しております。ありがとうございます。

Blogger モードでいろいろとやってみたことはあるのですが、うまくいくまでにはかなり根気がいりそうなので、諦めて Anonymous モードにしております。

日本人の平和観についてのコメント、ごもっともだと思いました。それにしても、16世紀にキリスト教信者が増えたということはぼんやりとは知っておりましたが、それでも外国に比べればきわめて少ないのだと私は思い込んでおりました。そんなにまで爆発的にキリスト教信者が増えたのでしょうか?無知で恐縮です。

さて、日本人が自分の国が比較的に平和だからと言って、何もかも平和だとついつい思い込んでしまいがちなところは、ちょうど「日本は単一民族国家 (homogeneous) だ」と思い込んでしまうことと共通するのでしょうね。確かに他の多くの国に比べると「どちらかというと単一民族に近い」ということは言えますが、外国人もちゃんといますし、特に在日朝鮮人(韓国人)と言われる人たちは、いつも自分の本名や本籍などを書いた外国人登録証を持ち歩かないといけないれっきとした「外国人」であるにも関わらず、自分が韓国人(朝鮮人)であるということが周囲に知れると就職や結婚や社会生活に支障を来たすので自分の本名や出自を隠して生きざるを得ないという現実があるにも関わらず、大多数の日本人は「日本は単一民族国家だ」と信じ込んでいるかのように思えます。

そうそう、それから「われわれ日本人は」という言葉を日本人はよく使いますが、アメリカ人などの外国人に対してそういうのならまだ話がわかりますが、日本人そっくりの風貌を持ち日本語を native speaker のように操る人々を前にして、「私たち日本人」という言い方を平気でします。その中には外国人が混じっているかもしれないなどとは考えないようです。

英語などの外国語や、英米文化などの外国文化や外国の事情に明るい、その道の専門家でさえ、「われわれ日本人」を連発します。これはどういうことなんでしょうかね。不思議です。まだ外国や日本について無知な人がこのような言い方をしてしまうのなら、少しは許せます。

でも、日本や外国について敏感でなければならない外国語の専門家や外国文化の専門家たちが、平気で「われわれ日本人」という言葉を連発するのです。これは、目の前にいるかもしれない在日朝鮮人(韓国人)や在日中国人、あるいは在日ベトナム人もおられるかもしれませんが、ともかく、日本人とまったく同じ風貌をして、日本人とまったく同じような日本語をしゃべり、日本人とまったく同じような名前を名乗っている人たちを排除していることになると思います。

と言うわけで、長々と書きましたが、私が言いたいのは、日本が確かに他の多くの国に比べると「比較的に平和」であるからと言って何から何まで平和だと思い込むのも大間違いだと同じように、多くの外国の国々に比べて外国人の数が少ないからと言って、日本を単一民族国家だと言って憚らなかったり、あるいは目の前にいる人をみんな日本人だと決め付けて話を続けるのも、やはりこれは間違いだろうと思います。

このような日本人の間違いとよく似たものを、どの国の人もおかすのかもしれません。たとえばアメリカ人は、50年代には社会がどんどん豊かになり、何もかもうまくいっているかのように思っていたようですが、それは実は WASP を初めとする中層または上層の社会階層の人たちだけに言えたことであり、たとえば南部の African-Americans にはそのような平和さとか豊かさはまるっきり浸透していなかったのに、あたかもアメリカ全体が豊かで平和であったかのようなイメージがアメリカ全体を覆い、それを受けて他の国々の人もそれを信じ込んでしまいがちだったようですね。

日本人が一部の問題をついつい忘れがちである(あるいはわざと忘れようとしている)のと同じように、アメリカ人や他の国の人もやはり、なるべく一部の問題は忘れたいのでしょうね。

もしかしたら Dr. Waterman の blog やコメントエリアの趣旨をまるで外れたことをどんどん書いているかもしれませんが、もしそうであれば、適当に無視してくださったら結構です。ありがとうございます。


南都隆幸
http://8003.teacup.com/gosh/bbs

12:41 AM  
Anonymous Anonymous said...

キリスト教社会や神学についての質問
   (1) 同性愛について
   (2) 進化論について

************************

立て続けに、南都隆幸です。実はずっと前から Dr. Waterman/Marks にお尋ねしたいことがありました。その前にお断りしておきますが、もし Dr. Waterman の興味の範囲外あるいは専門外のことであるか、あるいはこの blog で取り扱う分野ではないとか、あるいはそう簡単には答えられないということであれば、そう仰ってくだされば結構です。

おそらくはきちんと答えようと思ったら膨大な字数と時間を要する大問題かもしれないし、第一、この分野についてきちんと本を読もうとさえしていない私に、そのことについてのエッセンスだけをここで教えろ、なんていうふうな虫のいいことは申しません。「自分で勉強しろ」と仰ってくださっても結構です。

というわけで、質問です。

一つ目。キリスト教社会や神学では、同性愛というものをどのように考えているのでしょうか? 私なりにあちこちの情報は聞きかじり、読みかじってはおります。

少なくとも、聖書を文字通りに読もうという態度を取れば、同性愛は罪であり、神ははっきりと「同性愛」の行為を営んではならないと言っていることになります。どの聖句かは忘れましたが、旧約聖書の最初の方にも、いくつもそういう聖句があることは知っています。

このような聖句を盾にして、たくさんの保守主義者たちは同性愛を罪だとして盛んに排撃しています。フランスでは歴史的にかなり同性愛を寛容に見ているように思えますが、英米では昔からかなり厳しいですね。

聖句を文字通りに読む人たちがいるかと思うと、それをあくまで寓話のように読み、自分たちでその時代や社会情勢に合った読み方をして解釈し直そうとしているように思える人たちもいます。そういう人たちはアメリカにもちゃんといて、現に同性愛者による結婚さえ認め、その人たちに、異性愛者 (heterosexuals) の結婚の場合と同じような特典(と言うんでしょうか benefits というんでしょうか)を認めていますね。

Nebraska などの田舎ではかなり保守的で、20年くらい前からずっと町の大々的な行事として「同性愛を撲滅せよ」という感じのパレードが行われているという新聞記事を読んだことがあります。そうかと思うと、San Francisco を初めとする各地では、gays たちのパレードが盛んに行われます。そして gays が coming out して、「僕はクリスチャンだけど、同時に gay だ」と公言しています。YouTube や MySpace 上でもそういうふうな人たちが大々的に顔を見せてしゃべっています。

神学の世界においては、この同性愛 (homosexuality) という問題をどのように扱っているのかと思いながら、アメリカを初めとする欧米社会をぼんやりと私は眺めています。


次に、二つ目の問題です。欧米社会においては、神が宇宙や地球を創造しただけでなく、動物や人間をも最初から現代のようにさまざまの種類の生き物を最初に創造したのだという考え方(創造論つまり creationism)と、神は確かに最初に生き物を創造したけれども、そのあとに Darwin の進化論の説くように生物は進化していった、という考え方(進化論つまり evolutionism)とが拮抗しているようです。さて、前者(creationism)のように進化論を認めない立場の人は、どれくらいいるんでしょうか? そしてそのような人たちは、どの程度に社会でインパクトを持っているのでしょうか?

最近、アメリカの有名な歌手 Britney Spears の伝記である "Britney: The Unauthorized Biography" (Sean Smith) という本を読んでいろいろと教えられたのですが、その中で少しばかり驚いたところがあります。それは、例の superstar である Britney Spears が Louisiana 出身ですが、その深南部にある彼女の学校においては、彼女が中学校や高校に通っていたころ(つまり今からほんの10年くらい前)でも、まだ進化論を学校では教えておらず、神が文字通りに7日間で世界を創造し、すべての多様な生き物をすべて最初に創造されたのだ、と学校で教えていたというのです。10年後の今ではどうかは知りませんが、ともかくたった10年前でさえそうであったとは、私にとっては驚きです。

このような原理主義的(と言うのでしょうか?)なキリスト教信者がアメリカにはまだたくさんいて、進化論を学校で教えるべきかどうかというような議論も盛んに行われていることは知っていましたが、まさかここまで極端だとは思っておりませんでした。

こんなことを知らなかったのは、ひとえに私が世間知らずだからなのかもしれませんが、ともかく驚いたのです。このような進化論を認めない学校教育というのは、アメリカ(そしてその他の国)ではどのくらい流布しているのだろうか、と思います。

**************************

以上、またもや長々と書きました。すでに申しましたように、Dr. Waterman の専門分野を外れていたり、この blog にはふさわしくない問題であれば、そのように仰ってくだされば結構です。

第一、おそらくはこの二つの問題は、それぞれ、膨大な学問体系を成しているのだろうと思いますので、いくら Dr. Waterman が答えようとしてくださっても、そう簡単に私のような無知な人間に対して説明はできないような大問題なんだろうと思いますので、適当にあしらってくだされば結構です。と言うわけで、失礼しました。

南都隆幸(なんと・たかゆき)
http://8003.teacup.com/gosh/bbs

2:44 AM  
Blogger Mark Waterman said...

南都様

とても有益なコメントを丁寧にまとめてくださってありがとうございます。何かというと吼えたり叫ぶ自分が恥ずかしくなります。ところで南都さんがおっしゃった同じ顔でつい先日こんなことがありました。

日系人と在米日本人がやっている時勢に関する日本語の研究会があるようで、ある人から度々誘われるものですから(それとその人の発表があるというので)出かけました。彼は5人くらいしか来ないよと言っていたのですが、20人くらいの人が集まっていました。

中国人の話になってある人が場内からコメントしました。実は私は台湾人で、と。そのうち客家(ハッカ)民の話になりました。その人がまた流暢な日本語で、私も客家の出です、と。どうやら、アメリカにいても顔が同じで日本語を話していると安心するのか、

>、「私たち日本人」という言い方を平気でします。その中には外国人が混じっているかもしれないなどとは考えないようです。

となってしまいますね、本当に。

また有益なコメントお願いします。MWW

6:41 AM  
Blogger Mark Waterman said...

南都様

またまた有益な(helpful)コメントを感謝します。私は、学者としてはこれらの問題の専門家ではありません。学問的な興味は沸かないからです。しかし、神学の実際においては、神学者の常識程度には説明義務がありますし、キリスト者個人としての意見があります。

南都さんの問題提起を踏まえて、メインの記事で一両日中に書こうと思いますが、土日と出張でこれから(20分後に)出かけます。コンピュータにはときどきアクセスしますが、まとまった時間が取れなければ月曜日以降になります。

以上、取り急ぎ、ありがとうございました。
MWW

6:52 AM  
Anonymous Anonymous said...

Dr. Waterman,

南都隆幸 (Takayuki Nanto) です。私はよほどパソコン音痴であるらしく、以前も今も、やはり何度やっても Blogger mode での投稿に失敗します。というわけで、またもや Anonymous。そういえば昔、Anonymous というペンネームを持つアメリカのエロチシズム小説家がいましたね。

私の投稿文をさっそく release してくださり、しかもコメントまで急いで書いて下さって、ありがとうございます。

Dr. Waterman のあちこちの blog を読んでいて、Dr. Waterman がいつも週末はあちこちを飛び回らないといけないということも知っておりましたし、平日もいろいろとお忙しいということも知っておりました。さらに、私の問いかけの内容がおそらくは Dr. Waterman の専門分野の外にあるということもわかっておりました。Dr. Waterman の専門は、私の理解が正しければ、初期のキリスト教ですからね。

決して学問的に深めたお話を伺おうとは思っておりません。第一、その方面の教養書さえろくに読んだこともない私ですから、あまり学問的なお話を聞いても私にはチンプンカンプンだろうと思います。

ただ、神学者であり、クリスチャンであり、アメリカで長く教育を受けられ本格的に定住され仕事をなさってこられた日本語の native speaker である Dr. Waterman が、アメリカ社会を内側から眺め、しかも日本的な感覚と比較しながらそうしておられて、どのように私の問いかけである「進化論」や「創造論」の問題や「同性愛」の問題を感じてこられたかを、雑談程度でよろしいのでお伺いしたかったのです。

(注:なぜ上のパラグラフで、私は「日本人」と言わずに「日本語の native speaker」というまどろっこしい言い方をしなければならないかは、もちろんお分かり頂けると思います。それにしても、日本語にはこういう適切な用語がないみたいなので、困ります。正確かつ politically correctな(差別的でない)日本語を使おうとすると、気取っているようにも聞こえますもんね。)

私は、クリスチャンでもなく、ろくにキリスト教について知っているわけでもありません。ただ私は、11歳くらいのときから北米の英語の美しい響きに魅せられ、それ以来 40 年にわたって英語にのめりこんできました。

英語の音そのものに魅せられているわけですが、英語を本当に習得し理解し、その奥底までを垣間見ようとすると、どうしても英語圏のあらゆる文化や社会情勢や歴史を知らないといけなくなります。そういうわけで私は、英語圏のいろいろな情勢、特にアメリカの情勢を(私なりのヨチヨチ歩きでしかありませんが)追っかけてきました。英語を本当に習得しようとすれば周辺の諸言語も習得しないといけないというわけで、他の数ヶ国語も勉強し、さらには英語圏以外のいろいろな国々の情勢についても勉強せねばなりませんでした。

私はクリスチャンではありませんし、これからもクリスチャンになる見込みもありません。でも、16歳のころからずっと聖書は、あるときには拾い読みをし、あるときには教会に通い、あるときにはじっくりと数百ページを読み続けました。現在のところ、新約聖書はすべて読みましたが、旧約聖書はたぶん半分だけ読んだと思います。

というわけで、キリスト教の信仰についても、聖書の講読についても、あるいは神学についても無知に等しいのですが、やはりヨーロッパの言語と文化、特にアメリカの言語と文化に 40 年間も没頭してきた私としては、キリスト教は少なくとも教養として、あるいは必須科目として勉強しないといけないものだと感じてきました。

そういうわけで、私の興味は、

(1) 創造論 (creationism) が正しいのか、進化論 (evolutionism) が正しいのか。同性愛は罪なのかどうか。

ということよりもむしろ

(2) 創造論を正しいと思っている人はどのくらい、どの地域にいて、どのくらいのインパクトをその人たちは(特にアメリカ社会で)持っているのか?

ということにあります。言わば、私の態度は信者としての態度、あるいは宗教学的な態度ではなく、むしろ社会学的な態度とでも言えばよいでしょうかね。

ただし、クリスチャンやキリスト教に対しては、いつも敬意を感じており、クリスチャンでない私だけども、なるべくクリスチャンに近いような生き方や考え方をしながら生きるようにしてきました。それどころか、私は18歳のとき、本気でクリスチャンになろうとして教会に数ヶ月通っていたこともありました。そのあと、ある出来事が無理やりに私をキリスト教から引き剥がしてしまい、そのあとは実存主義めいたものに沈潜してしまいましたけど。

というわけで、またもやお忙しい方に私の長ったらしい雑文を読ませてしまいまして、すみません。

南都隆幸
http://8829.teacup.com/takayuki3/bbs

9:43 PM  

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