The Arts in Latin America, 1492-1820 (LACMA)
ラテンアメリカの美術展 1492年から1820年まで (ロスアンジェルス郡美術館)
予定どおり行ってきたが、夏場のこけら落としの招待は、夏時間で8時過ぎまで明るいため、ガキンチョたちもOKのバーベキューディナーだから、碌な食事は出ないし大人のムード一切なし。もちろん食うためだけの集まりではないから当たり前か。
今回は、どうせ撮ってはいけないので愛用のキャノン(EOS Rebel XT 8Meg)は持っていかず、すべてセルフォーンの写真だ。入り口の前にあったアステカの暦の一部分である石を撮っていただけで、わざわざ中から出てきた「番兵」さんが、その後ずっと撮られまいと付いてくるのには、こちらが呆れた。
年代の1492年はコロンブスの年とすぐわかると思うが、1820年はスペイン本国のフェルデナンド7世が力を失い、ラテンアメリカのメキシコなどが独立しだす年のことだ。今回LACMAが、その期間に新世界で作られた美術工芸品を中南米のみならず北米やヨーロッパからも借り出して一堂に集めたものである。適当に感想だけ書くので、別種の解説が必要な人はLACMAのサイトに行ってほしい。
まず最初の写真だが、LACMAのウィルシャー通りの入り口だ。多分、拡大してもよくわからないだろう。上記、LACMAのサイトをクリックすれば、この絵がどこかに出てくるはずである。実はこれ、こまっしゃくれた娘が、キンキラキンのおべべを着て糸を紡いでいる。ええーっ、と驚いてはならない。これが聖母マリア様、イエス・キリストの母親だ。私の好みの絵ではない。ペルーのリマにある美術館(Museo Pedro de Osma)の所蔵で La Virgen Niña Hilandera (「糸を紡ぐガキンチョのマリア様」という意味)という作品だ。17世紀末から18世紀初頭の油絵で、技術的な完成度は高いのかもしれないが、「ふんっ」と思ってしまう。
もちろん、私は美術評論家でもないし、また評論家を気取っているわけではないから、純粋に個人的な好き嫌いを言っているのだが、ホアン・ロドリゲス・フアレス(メキシコの画家、1675-1728)の La Huída a Egipto(ヘロデの手を逃れてヨセフとマリアが幼子イエスを連れてエジプトに避難する図)には、現実味のある表情があったし、10か月で死んだ男のガキンチョにドミニコ会士の正装をさせて描かせた絵には感動するものがあった。この絵の題は、絵に書き込まれたそのままで、Retrato Funerario de Don Mariano Francisco de Cardona という。貴族の子であるマリアノ君の葬式のときの絵ということだ。1768年メキシコでのものだが、今は米国テキサス州のサンアントニオ美術館の所蔵である。このマリアノ君だが、薄く目を開けさせてもらっている。近づく天国を仰ぎ見ているらしい。洗礼を済ましたガキンチョは、無条件で地獄でも煉獄(天国と地獄の中間地帯)でもなく天国に行けるという考えからだ。
今回の展示で、じっと見入ったのは、絵よりも工芸品だった。彼らラテン人が日本から受け継いだものに Biombo (すなわち屏風)があるが、1点だけ展示があった。逆に、安土桃山文化に多大な影響を与えたのだろうなと思われるものはたくさんあった。聖餐具と茶の道具、仏壇と祭壇、東西の僧服と袈裟あるいは女性の華麗な内掛けも、厳密な関連性は専門家に任せるが、素人目には共通性があって面白い。圧巻だったのは、展示場で上映された3種の中南米のフロートプロセッション(花などで飾られたイエスやマリヤの像の大きな台を大勢で担いで練り歩く行列)だ。これは、まさに日本の神輿か山車であり、夜間の行列はまるで青森の「ねぶた」だ。隣にいた細君がポツリと一言、「こんなのもうヨーロッパの本国にもないかもしれない」。
このガキンチョ娘は
ラテンのリズムに
酔っちゃって
踊りだしたところ
(帰るときは靴も脱いで裸足)
こんなところ↓で食べた
奥にこの楽団がいますね
食べたのはこんなジャンク並みの物だから帰ってからお茶漬けさらさら
ガキンチョは美術館の裏の芝生の庭でバーベキュー(夜の7時頃)
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