現代人の精神構造と古代人の精神構造―バート・イーアマン博士の場合
Modern Mind and Ancient Mind—The Case of Dr. Bart D. Ehrman
Bart D. Ehrman published one of his popular books entitled Peter, Paul, and Mary Magdalene: The Followers of Jesus in History and Legend (Oxford University Press) last year. Although he is now a popular writer in early Christianity, as seen in his Truth and Fiction in the Da Vinci Code (Oxford University Press, 2004), he has been a professional researcher in the above-mentioned area and a New Testament scholar trained under Bruce M. Metzger.
Therefore, I can basically rely on his works in the field of ancient writings, especially non-canonical literature. So, too, with regard to this book, I have no objection against his understanding of ancient literature, except for an odd statement on Papias and modern scholars. Strangely, Ehrman believes that modern scholars are practicing of “selective preference.” In other words, it is an arbitrary decision, “preferring to regard as fact what one wants to be fact, and discounting everything else” (9). Is it really so? Then are you doing so, too, Dr. Ehrman?
As I mentioned in the entry on Dr. Tagawa, I am not thoroughly satisfied with Ehrman’s historical interpretations of the three figures, Simon Peter, St. Paul, and Mary Magdalene. (Ehrman spends some 70 pages on each person.) But for now I would like to concentrate on Simon Peter, in whom I am always interested in connection with Mark the evangelist. Maybe Dr. Ehrman’s first concern is the relationship between St. Paul and Simon Peter. However, from the very beginning of this publication planning, I suspect, “Mary Magdalene” would have been a person to simply attract a popular audience’s concern.
To be sure, Ehrman, too, emphasizes the “ancient mind” I wrote about in the entry on Dr. Tagawa, saying, “Jesus was a first-century Palestine Jew. Any attempt to understand his words and deeds must take that historical fact seriously” (28). On the other hand, however, he also lets himself indulge in a twentieth-century European or twenty-first-century American mind, comparing the social issues of poverty, oppression, racism, and sexism expressed by the folk-singers of the 1960s, “Peter, Paul, and Mary,” to the apocalyptic situation of the first-century Palestine, where Simon Peter, St. Paul, Mary Magdalene, and Jesus of Nazareth lived (xi-xii, 257-60).
In any case, the following are my three comments on (or objections against) Ehrman’s understanding of history:
(1) According to Ehrman, “What we have are handwritten copies (manuscripts) that come from many decades—in most instances, many centuries—after the originals had been produced, copied, and lost” (51), by which he means that our present copies have been distorted decade by decade, century by century. This is the same idea as expressed in his Misquoting Jesus (HarperSanFrancisco, 2005). Surely, we have many different versions (manuscripts) but nevertheless some unchanged cores still exist in the variety of versions. As I have emphasized in my book The Empty Tomb Tradition of Mark (Agathos Press, 2006), it is called the “tenacity” of texts.
(2) Ehrman believes that Peter was illiterate. According to him, the literacy rate of ancient Palestine was “10-15 percent” (26). Peter was indeed a fisherman in the lower class of Galilee, and therefore, Ehrman believes, Peter could not even read a word. To tell the truth, no one knows the literacy rate in the first-century Palestine. Some say 3%, some 5%, and some 15%. At least we can say that the literacy of Jews has historically been higher than that of other nations. However, the question is why we must put Peter into the illiterate group. He might have been a chief of fishermen and possibly the owner of the boat. It is probable that as a leader of fishermen Peter could understand some Greek (then the international trading language) and some Hebrew (biblical language; Aramaic was used then for daily conversation). In any traditional rural village, several literate men served for the community.
(3) Acts 4:13 reports that Peter and John were agrammatoi and idiotai men. Ehrman reads aggramatoi (aggrammatos) as “illiterate” (26, passim), but many understand it as “unschooled” or “uneducated” or “unlearned” (“unlettered” in the King James version) because as a pair of words the Greek word idiotai (idiotes) indicates “non-professional”—not “idiot.” Peter and John might have had some knowledge of reading and writing even though they had never been trained as rabbis or teachers of the law. These untrained and non-professional rural men preached by quoting the Scripture. This is the message of Acts 4—“illiterate men from Galilee” is not the point of this passage. From this misunderstanding, Ehrman cannot accept the writing skill of Peter and the other followers from Galilee (76). I do not believe that Peter wrote many non-canonical writings under his own name nor the canonical letter Second Peter. But I do believe that he actually wrote the First Letter of Peter. It is quite natural that Peter and other disciples could use Greek for their mission and improve their skill in Greek in the following decades.
Ten years or twenty years, possibly thirty years of life can change common human beings, especially ordinary persons of determined faith, into trained and intelligent leaders. For example, we sometimes see that unschooled criminals repent and later publish their books after much learning in jail. There is no particular reason to suspect that Peter and the other followers could not have matured into literate, dynamic leaders in the early church.
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9 Comments:
使徒が文盲であつたことが何故問題になるのか良く分りませんが、
3)に関して余り納得が行かないのは
οτι ανθρωποι(ヨハネとペテロ) αγράμματοί εισιν καὶ ιδιωται
(ちなみにαγράμματος́と云ふ言葉は新約聖書ではこの個所でしか使はれないさうです)
kaiで、問題の二つの言葉を繋げた訳ですがWatermanさんの仰ることは『彼らはラビではないlaymanである』(ことが皆に分つた)と云ふことを2重に強調しただけのことになります。
(教育は文字と聖典の教育であり、ラビのための学校しか存在しなかつたでせうから同じことかも知れませんが。)
また専門家がこの簡単な単語を誤解することは考へられません。
それにイエスが死んでからまだ40日程度なのですから、そんなに早く言葉を取得出来るとは思へません。
殊によつたら、ペンテコストの夜の後では、聖霊により誰にでも何処の言葉も可能になつたのかも知れませんが、話すことはともかく書くことは無理でせう。
あがるまさん
話が逆です。
イーアマンはペテロが文盲であると仮定しているのですが、一つの根拠がペンテコストの日(五旬節、すなわち過ぎ越しの祭から50日目)にペテロやヨハネは「無学のただ人」(←これが昔からの日本語の言い回しです)と記録されていることです。
しかし、これこそイエスの死から50日(イエスが復活後40日弟子たちといたということであり、過ぎ越しの祭から復活まで、また昇天から五旬節まで、それぞれ数日を足します)の出来事であり、「無学のただ人」だったのはこの時点でのことにすぎません。更に、このペテロが現在残されている『第一ペテロ』を書くまでには長い年月がかかっているのです。もちろん人にもよるのですが、大人になってからでも10年20年と続けると結構外国語は身に付くものです。
ところで、イーアマンは「アグラマトス」を意識的に「読み書きができない」と解釈しているのであって、誤解しているとかどうかの問題ではありません。彼は確信しているのです。この点、昔からの日本語の「無学」のほうが一般的な解釈で正しいのです。無学とは読み書きができないということではありません。私はもともとペテロはアラム語の(ひょっとしたらギリシア語も)簡単な読み書きはできたと考えています。その後は、ギリシア語が公用である世界ですから、ギリシア語を習得していったに違いありません。私は、LAという多国語の環境にいる人たちが英語を公用語として習得していくのを実際に見ていますから、それが当たり前であることが手に取るようにわかります。(日本人やメキシコ人は自国語にこだわるようでいつまでも英語が下手ですが、それ以外の国の人たちはすぐに上達しますよ。)
また、彼の異常さは、『第一ペテロ』の扱いにも出ています。もちろん彼自身が書いたかどうかは別として、『第一ペテロ』はシモン・ペテロ本人の言葉とするのが圧倒的に多数派ですが、彼はそれを否定するわけです。(なお、『第二ペテロ』やペテロの名を冠した外典はすべてシモン・ペテロとは関係がないでしょう。これは多数派の意見であり、私も同じ考えです。)
Mark W. Waterman
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聖書に沢山出て来る『無学』の反意語のΓΡΑΜΜΑΤΕΥΣと云ふのは、ユダヤの聖典のことを良く知つてゐる学者、と云ふ意味でせうから、『無学』とは(哲学や数学などは論外として)、書かれた文字により『神についての知識を持たない』、或いはラビに師事して『伝承された聖典を学びその解釈をする資格』を持たないと云ふことになる。
古代のユダヤの辺境と、現代のLAではそれこそ大分事情が違ひさうです。
勿論ペテロが誰かの助けを得て、自分の手紙を(ギリシア語で?)書くことも可能でせう。でも口述筆記をさせたか、誰かが彼の話を覚えてゐて書いたことの方が古代では自然に思へます。
何処かで聞いたやうなことですが、我々は誰かの編輯した書物(聖書)を誰かの編集した辞書で読むに過ぎないのですから、Ehrmanが独自の読み方をするのも許されると思ひますが。
しかし何故ペテロが文盲であつてはいけないのですか?
あがるまさん
そこなのです。まず、無学とか学があるというのは、使徒行伝のペンテコステのようなコンテクストでは律法(ユダヤ聖典)の正規の学びがあるかどうかなのですが、イーアマンがそう解釈しないのです。
イーアマンはもちろんクリスチャンで牧師の資格のある人ですから、反キリスト教のつもりではありません。彼なりの言ってみれば「護教」なのかもしれません。かなり保守的なグループもイーアマンと結果として同じ考えのようです。つまり、あがるまさんが前のコメントで言ってくださったように、神の(聖霊の)満たしによって雄弁に福音を伝え続けたのであり、「無学のただ人」よペテロに続けとなるわけです。実際、イーアマンも聖書の伝統は「何の粉飾もなく」ペテロの低い知的経歴をそのまま述べていると書いています。
このように、キリスト教の信仰の立場からすると、ペテロが読み書きができようができまいが関係ありません。問題は歴史です。歴史的な研究をしている立場からすると、ペテロ自身が読み書きができたと考えるほうができないと考えるより合理的なのです。そして、その合理性は今のところ蓋然的であるにすぎませんが、イーアマンの歴史を無視した立場よりは納得のいくものです。
LAの今の状況とはもちろん違うところもありますが、似ているところもあちます。解釈においては ancient mind と modern mind のバランスが大事です。例えば、イエス当時の(今は廃れてしまいましたが)Sepphoris(ヨセフスの『古代史』などにも出てきます)の町などはガリラヤの国際都市でしたし、イエス当時のユダヤ人の名前はかなりの部分がギリシア語化していたものです。イエス以前にマカビの乱がありハヌカの祭も始まっていたとはいっても、根付いた文化が一掃されるまでには長い時間がかかります(旧約聖書続編のマカバイ記参照)。
例えば、イエスはピラトと通訳を介して会話したのでしょうか。そうかもしれません。しかし、そうでないと考えることもできます。より具体的ですが、教会が最初に分裂の危機に瀕したのは何が原因だと思いますか。信仰箇条でもなく、誰がリーダーかとの争いでもなく、グノーシスのような異端の出現でもなく、実は言葉の問題だったのです。使徒行伝6章を見てください。ギリシア語を話す人たちが沢山いたのです。
LAの町には日系のキリスト教会が沢山ありますが(そしてそれぞれの民族はそれぞれの教会があります)、日本語の説教があり、英語の説教があります。また、多くの牧師が両方で説教することができます。LAのような環境(パレスチナのような環境)で育てば当たり前なのです。
ペテロが字を書けようが書けまいが、特にギリシア語が書けようが書けまいが、信仰には関係がないでしょう。しかし、新約学者ではあるが歴史学者ではないイーアマンが、ペテロに関する歴史的状況に関して出鱈目(例えば当時の識字率などは専門家ほど数字など出さないものです)を言っていることが問題なのです。この点ではクロッサンより始末が悪いと私は考えています。
(お知らせ:ここに削除されているコメントが一つありますが、それは私自身の二重にオンされてしまったコメントです。今まで機械によるものなのか悪質な、いたずら的な書き込みを消したことはありますが、普通のコメントを消したことはありません。皆さん、どうぞご自由にご意見をお寄せください。)
MWW
さう云へば『文字は殺し、霊は生かす』と云ふのがありましたね。今調べたら第二コリンとの3章6節にありました。
τὸ γὰρ γράμμα αποκτείνει, τὸ δὲ πνευμα ζωοποιει
ペテロもその仲間だつたのかどうか知りませんが、ペンテコステ派は好んで『異言』を云ひますね。laleoは新約聖書では話すと云ふ普通の意味ださうですが、
ο λαλων γλώσσηは舌がもつれながら話すと云ふことのやうです。
単に我々が外国語を話す時のやうな状態に過ぎないのかも知れません。
illiterateではなくともDyslexiaと云ふ病気もあるさうですね。米国の大統領もさうだと聞いたのでgoogleで検索すると+bushで156万件+g.w.bushだと550件ありました。レオナルド・ダ・ヴィンチもフロベールもさうだとか。
日本の小泉純一郎も3フレーズ以上は記憶できなかつたさうで。
あがるまさん
色々と面白いことを書いてきましたね。
第二コリントの言葉は、頭だけの信仰を戒めたものですね。
異言は第一コリントによるとパウロもしたそうです。実際はどういうものかわかりませんが、現在、ペンテコステ派の人たちがしているのは幾つかのパターンがありますがほとんどが明らかに霊とは関係がありません。真似なら私もできます。私がやっているのをペンテコステ派の人が見ても自分と同じと思うはずです。しかし、さまざまな宗教でリズミカルに祈りの動作をしていると同じような現象になるようです。パウロもそれだけでは意味がないと戒めています。
読んだことが頭の中で概念化しにくい心理状態ですが、私の奥さんもそうです。彼女は自分で読むより聞くほうがいいようです。私は逆で読んでもらうより書いたものを見るほうが楽です。誰でも多少そんなことはあるでしょう。
ブッシュもそれの真性の障害者ではありません。エールとハーヴァードの両方をちゃんと卒業していますし、ジェット機のパイロット試験にも合格していますからね。だいたい大統領職は字が相当に早く読めないと無理ですね。彼がそうなら、エジソンやアインシュタインもそうでしょう。そうそう、今までの大統領の中で名誉博士ではなく、本当の博士(Ph.D.)がたった一人だけいます。さあ、誰でしょう。わかった人はコメントを投稿してください。
MWW
<今までの大統領の中で名誉博士ではなく、本当の博士(Ph.D.)がたった一人だけいます。さあ、誰でしょう。>
はてなブロッグでエアマンのことから此処に戻つて来たら忘れてゐたこの質問がありました。W.ウィンルソンが晩年失語症になつた時ギリシア語だけは話せたと云ふ話を思ひ出しました。Wikiで確認すると1886年にジョンズ・ホプキンス大学から政治学の博士号を得たさうです。「唯一の」とも書いてありました。
あがるまさん
流石、推理のの勘がするどい。当たりです。そのとおり。意外と知られていません。いずれこれもメインの記事に出します。
MWW
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