Announcement 2 (Prof. Ichiro Suzuki, Dr. Bart D. Ehrman, and . . .)
お知らせ その2 (鈴木一郎先生やらバート・イーアマン博士やら)
前回のコメントというかあがるまさんとの対話がかなり長くなりました。コメントが13個です。その次の話はここに書きます。
あがるまさん、鈴木一郎という同姓同名は本当に多くて、彼より5歳若いだけの牧師さんも沢山の本を書いていることがわかりました。別人です。私の遊び友だちだった変なおじちゃんは1920年サンフランシスコの生まれです。宗教系というよりは、何か昔嫌なことがあったのか、牧師大嫌いの俗世大好きおじさんでした。お年寄りなのに食欲旺盛だったし。それでもクリスチャンはクリスチャンだったようですから、私が神学の勉強を始めたことは喜んでいました。確かに一時は日本宗教学会にも属していたようですが、そこも退会して、一種の文化外交官の仕事をしていたほか、方々のキリスト教系大学で教授をしていたようです。しかし、一体、何を教えていたものだか。
日本の旧制高等学校を出ていない彼は、特別選抜で東北帝国大学に入学し哲学を専攻したのですが、戦時中に当時設置された特別大学院の学生として大学に残されたため、学徒動員にもあわず生き延びました。戦後はすぐに、二重国籍の強みとアメリカには銃を向けなかったことが幸いし、奨学金を得てボストン大学に行きます。そこではあのマーチン・ルーサー・キング牧師と机を並べました。以上は、彼から直接聞いた話です。それ以上の個人的なことはあまり話さず、容貌は純粋な日本人というよりは4分の1くらい白人のような気がしました。よくはわかりません。娘さんはフランス語の先生をしていましたが、立派な日本語も話していました。
彼の初期の翻訳書は岩波新書のアンドレ・ジークフリード著『ユダヤの民と宗教』とアイザック・ドイッチャー著『非ユダヤ人的ユダヤ人』です。古典のものとしては、まず神学ではテルトォリアヌスの『護教論』、古代ローマ喜劇ではテレンティウスやプラウトォスを訳し、ホラティウスなどは翻訳のほか研究書も日本語で出したようです。このようにギリシア語とラテン語の世界に埋没していましたが、フリブールに留学したときは大変だったようです。確かボヘンスキーだったと思いますが、授業で古典の中味をドイツ語だかフランス語に訳して読んでいくとき、鈴木先生が下手くそなので笑った学生がいたそうです。するとボヘンスキー先生は(←確か彼だと思うのですが)「お前たちの中でこれを日本語か韓国語に訳せる者がいたら笑ってもいいだろう。鈴木は今それほど困難なことをしているのだ。」と言ってたしなめたそうです。昨年、会いたくなって、出版社に教えてもらった住所に手紙を出したのですが、返事はありませんでした。ご存命なのかどうかもわかりません。
*******************
イーアマンの近著について書くつもりだったが、最初に英語で書いてしまうと、こういった内容をまた日本語で書くのが面倒になった。このお調子者のために宣伝しているようなのもしゃくにさわる。しかし、そのうち日本でもクロッサンの次だなどと言われてもてはやされそうなので警告はしておきたい。オックスフォード大学出版局などという出版社名に騙されてはいけない。
前回のコメントというかあがるまさんとの対話がかなり長くなりました。コメントが13個です。その次の話はここに書きます。
あがるまさん、鈴木一郎という同姓同名は本当に多くて、彼より5歳若いだけの牧師さんも沢山の本を書いていることがわかりました。別人です。私の遊び友だちだった変なおじちゃんは1920年サンフランシスコの生まれです。宗教系というよりは、何か昔嫌なことがあったのか、牧師大嫌いの俗世大好きおじさんでした。お年寄りなのに食欲旺盛だったし。それでもクリスチャンはクリスチャンだったようですから、私が神学の勉強を始めたことは喜んでいました。確かに一時は日本宗教学会にも属していたようですが、そこも退会して、一種の文化外交官の仕事をしていたほか、方々のキリスト教系大学で教授をしていたようです。しかし、一体、何を教えていたものだか。
日本の旧制高等学校を出ていない彼は、特別選抜で東北帝国大学に入学し哲学を専攻したのですが、戦時中に当時設置された特別大学院の学生として大学に残されたため、学徒動員にもあわず生き延びました。戦後はすぐに、二重国籍の強みとアメリカには銃を向けなかったことが幸いし、奨学金を得てボストン大学に行きます。そこではあのマーチン・ルーサー・キング牧師と机を並べました。以上は、彼から直接聞いた話です。それ以上の個人的なことはあまり話さず、容貌は純粋な日本人というよりは4分の1くらい白人のような気がしました。よくはわかりません。娘さんはフランス語の先生をしていましたが、立派な日本語も話していました。
彼の初期の翻訳書は岩波新書のアンドレ・ジークフリード著『ユダヤの民と宗教』とアイザック・ドイッチャー著『非ユダヤ人的ユダヤ人』です。古典のものとしては、まず神学ではテルトォリアヌスの『護教論』、古代ローマ喜劇ではテレンティウスやプラウトォスを訳し、ホラティウスなどは翻訳のほか研究書も日本語で出したようです。このようにギリシア語とラテン語の世界に埋没していましたが、フリブールに留学したときは大変だったようです。確かボヘンスキーだったと思いますが、授業で古典の中味をドイツ語だかフランス語に訳して読んでいくとき、鈴木先生が下手くそなので笑った学生がいたそうです。するとボヘンスキー先生は(←確か彼だと思うのですが)「お前たちの中でこれを日本語か韓国語に訳せる者がいたら笑ってもいいだろう。鈴木は今それほど困難なことをしているのだ。」と言ってたしなめたそうです。昨年、会いたくなって、出版社に教えてもらった住所に手紙を出したのですが、返事はありませんでした。ご存命なのかどうかもわかりません。
*******************
イーアマンの近著について書くつもりだったが、最初に英語で書いてしまうと、こういった内容をまた日本語で書くのが面倒になった。このお調子者のために宣伝しているようなのもしゃくにさわる。しかし、そのうち日本でもクロッサンの次だなどと言われてもてはやされそうなので警告はしておきたい。オックスフォード大学出版局などという出版社名に騙されてはいけない。
追加(July 2, 2007; 10:15 a.m.): クロッサンの次だと書いたら実際にMark Goodacre はそのように書いているし、今では Dom Crossan (John Dominic Crossan) 以上に有名だ、とも書いている。いやはや、グッドエイカー先生は本来はイーアマンとは違う立場だが英国紳士で私の師同様に人の悪口は言わない。(私は言う。)彼はイーアマンよりうんと若いし、オックスフォードを出てロンドン大で学位を得たイーアマンの奥さん(Sarah Beckwith)が同じ大学の教授だし、このイーアマン夫婦はグッドエイカーの近くに住んでいるわけだから悪く言うわけにもいかんのだろう。
イーアマンはもともと新約学者で、プリンストン神学大学のメッツガーの許で学びながらもヴァルター・バウアーに心酔していたようだ。昨年の誕生日に甥の一人が、イーアマンの Lost Christianities のDVDをプレゼントしてくれたので、彼の講義の様子も知っている。先日、Secret Gospel of Mark のエントリーを書いた後だったが、気になってSecret Gospel of Mark の部分を聞いてみた。何かあらを捜してやろうと思ったが、知識も正確でなかなかよい講義だった。そういえばちゃんとネクタイをして講義している。
最近の彼はちょっと芸術家ぶっているらしく、学会でもエリなしのTシャツ風の下着の上に直接ブレザーを羽織っているのを見た。今回の著書 Peter, Paul, and Mary Magdalene の著者の写真もそのいでたちである。どうも近頃の大家はそうするのだろうか。あるいは英文学者の奥さんの影響だろうか。
それはともかく、彼の外典等の知識は正確でよろしいが、歴史に関わるほどの能力はないと見ている。歴史に関わってくると突然に高校生レベルの判断や推論を平気でするのである。その幾つかはこれから同時にオンする英語版を読んでいただきたい。この本も私の批判も英語なので日本語読者には申し訳ないが、この本の日本語版が出るようなら、その時は頑張って日本語で批判を書きたいと思っている。
*******************
そうそう、このブログにはコメントのインデックスがないので新しいコメントが見落とされがちですが、コメントが入っていたら小まめにクリックしてみてください。新しいコメントが古いエントリーに入っていることがあります。
あっ、冒頭の写真は Ventura に遊びに行ったときの写真です。本当は海の様子や町の様子やミッシオンの教会か素敵な市庁舎の写真、または炎天下の農場で働く(多分ノーペーパー=不法移民)人たちの写真がよかったのですが、ころっと忘れてしまい、あわてて携帯のカメラで撮った混んだ(これでも混んでいるほう)フリーウェーの様子です。車(トヨタの Avalon)はLAに向かっています。
6 Comments:
質問の場所が違ふかも知れませんが、英語のエントリに対しては英語で誰か反応するかも知れませんのでそれを妨げないために。
Simon Peterと云ふ名前のことですが、ペテロと云ふのが名前でΣΙΜΟΝと云ふのが(鼻の曲がつた ― この形状も良く分りませんが - と云ふ)綽名かと思つてゐたのですが、ラテン語での名前の付け方から見ると最後に来るのが綽名で良いのかも知れません。
ネット上で見ると、本来の名前はシモンでイエスによりペテロ(ケファリΚΕΦΑΛΗ頭?)と呼ばれるやうになつた、とあります。
更に『黄金伝説』によれば、シモンΣΙΜΟΝとは素直なと云ふ意味で、ΠΕΤΡΟΣは岩のことかと思つたら『認識する人・解く人』と云ふ意味もあるらしい。また彼の3つある綽名の一つはSimon BarjonaだがBarは息子 Jonaは鳩と云ふ意味だと。
さすればBart Ehrmanの名前はペテロに因んだのかもしれない。
またSimon Peterと此処で呼ばれるのは、ペテロと云ふ名前の有名人物が他にも聖書に登場するのでせうね?
bあがるまさん
むしろこの話題はここでいいと思います。いつもながらするどい勘、あるいは着眼点ですが、たまたま結果として間違っていることがあります。
まず、シモン=ペテロですが、ペテロという名が他にあるのではなく、逆にペテロの本名であるシモンが確か全部で9人出てきます。それらのシモンの中で区別するためにシモン=ペテロです。もっともペテロとだけ言っていればいいわけですが、習慣的にシモン=ペテロと言っています。なお、シモンは本当はシメオンというヘブル語形のギリシア語形です。その当時からユダヤ人の間で流行した名前です。本来のミリアムがマリアムとかマリアムネになったようなものです。
しかし、不思議なもので、シモンがこれほどまでにユダヤ人の名前として広まると、今のユダヤ人は Simon と書いて英語風にサイモンと発音されるのを嫌い、Shimon と書く人たちがいますね。ペトロスとはギリシア語で確かに岩のことで日本のクリスチャンで岩男などと名付けられた人がいますね。しかし、イエスはアラム語で彼をケファ(岩)と言ったのであり、ギリシア語でペトロスと言ったのではないかもしれません(ヨハネ伝1:42参照)。
シモン=バルヨナもイエスが呼んだ名前です(マタイ伝16:17参照)。ただし、この場合は兄(多分)ペテロと弟(多分)アンデレの父親の名前がヨハネなので、「ヨハネの子」という意味でバルヨナと言っただけのようです(ヨハネ伝1:42参照)。
バート・イーアマンですか? バートというのはそれだけで完結した名前のようです。もちろんバートレットとかバートロマイという名前は沢山ありますが、イーアマンの年頃にはバートという名前が結構います。私の知っているイーアマンと同じ年頃の日系3世の弁護士もバートさんです。イーアマンねー。うーむ、確かにユダヤ人にある名前です。
最後に私の大好きな「おまけ」。イーアマンの嫁さんの名前は Sarah Beckwith です。ねー。また、このベックウィズ家には Simon も Peter もいることが、今回のイーアマンの本の初めに書いてあります。チャンチャン。
MWW
私のは冗談半分の思ひ付きに過ぎません、真面目な(つもり)のものもあるのですが、それにはWatermanさんは(賢明にも)取り合つて呉れません。
<シモンは本当はシメオンというヘブル語形のギリシア語『形』です>
ギリシア(シリア)ではシメオンと云ふ、柱の上で生活したと云ふスフィンクスのやうな、聖人がゐますから、<ヘブル語系のギリシア語>なのでせう。
ネットで見るしからありませんが
Bartやそれに似た名前はΒαρθολομαιοςなどから来てオランダ人にも多いさうですね。米国では1960年代に流行つたのですね。映画俳優などに居るのでせう。バル=トロメオはアラム語で"son of תַלְמַי (Talmay)" でTalmayは『皺のある』と云ふ意味らしい
あがるまさん
名前の流行は面白いものです。コーリンなんて今では珍しい名前ですが、私の師や前の国務長官が同じ名前です。我が師の奥さんの名前なんか笑っちゃいます。漫画に出てくるオリーヴですよ。フランク・シナトラと同年代の人になると、日系人でもフランクという名のおじいさんがぞろぞろ。
何をはぐらかしたのかよくわからないのですが、『黄金伝説 Aurea Legenda』ならイーアマンの奥さんの専門領域で、歴史として見るなら嘘ばかりとイーアマンも言っていますよ。この伝説に見るような聖人伝で記憶に残るのは(私自身は聖人伝に興味なし)、オーストリの Ludwig Bieler の "theios aner" 研究に関するセミナーで、私が Bieler はその後アイルランドのダブリンに聖人伝研究に行って、生涯そこで過ごしましたよ、といったら我が師も知らなかったらしく驚いていました。今、Wiki で theios aner と入れたら、ドイツ語版だけでしたね。
Ehrman の ehr(e)は ahron(aron)をドイツ語化させたものでしょう。Hannah Arendt の Arendt と同じですよ。うんっ、Waterman? Wasserman? Wasser=maim? Maimon? Maimonides? 連想ゲーム、必ずしも正しくありません。
MWW
結局Bar(t) とはシリヤ語で、Benと同様に息子を意味するのですね。
Legenda aureaは由緒の分らない雑学が色々詰まつてゐて面白さうです。誰も歴史的に正確だとは夢にも思はないでせうが、その時代の常識が分つて、聖書よりも史料価値が高いかも知れません。
ahron(aron)が何を意味するのか知りませんが、そこからEhreやAhrendが来たのですか.まさかα・φρον!ではないでせうね?
星座ではなくWassermanと云ふ名前で一番有名なのは小説『カスパル・ハウザー』を書いたJakob Wassermannでせうが、慥か彼はユダヤ系だつた。Watermanと云ふ家系を辿ればユダヤ人のMaimon(ides)に至るなら面白いですね。
CohenとかKohn とかKahnはラビの家系と誰にも分かるので、日本の河野與一もナチス時代にKohnoと表記するとユダ人と間違はれるから長音を表すhを入れないやうに注意されたさうです。
話題にしたLoewithもライオンLoeweからではなくLevinas やLevi-StrausのやうにラビLeviから来るとのこと。
しかし彼の父親Wilhelmはミュンヒェン・アカデミーの有名な画家でした。
あがるまさん
ベン=バルです。因みに私の妻の長兄はベンです。Ahron,Aaron,Aron とはモーセの長兄で祭司です。その子孫は祭司で、Cohen と同じです。
なお、イーアマンの奥さんの苗字 Beckwith はベックウィズと読むのであって、ベクヴィトと読んではいけないのでしょうね。あっ、また余計なことを…。
MWW
Post a Comment
Subscribe to Post Comments [Atom]
<< Home