A Private Translation into Japanese: "The Letter of Clement of Alexandria to Theodore" with "the Secret Gospel of Mark"
私訳:「秘密のマルコ伝」断片を含む「アレクサンドリアのクレメンスからテオドロスへの手紙」
まず、あがるまさんへの伝言:二度目のコメントとそれへのレスポンスは読みましたか。
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忙しいのに我ながらよくやる。モートン・スミスが発見したとする古文書「秘密のマルコ伝断片を含むクレメンスの手紙」、これ自体断片ではあるが、すべてを日本語にとりあえず訳してみた。スミス訳の英文でも勝手に読みなさいと書いたのだが、やはり苦労される方が多いので、サーヴィス精神旺盛な私としては、この午後、やるべきこともやらず翻訳に費やした。あぁ、明日が大変だ。(ところで誰か教えてほしい。日本語訳は本当に出版されていないのか。もしそうなら、私訳とはいえ、これが最初の日本語訳なのだろうか。)
ギリシア語の本文はコピライトフリーなのだが、スミスの英訳を日本語に重訳するとなると著作権が絡んでくる。以下の訳で、引用を示す括弧など多くの点でスミスの解釈を参考にさせていただいたが重訳ではない。可能な限り拡大した手書きの原文を確認しながら訳出した。それゆえ、この午後、結構な時間が掛かってしまった。しかし、私の力では手書き筆記体のギリシア語本文は手に負えないことが多く、後日、クレアモントでスミスの読み取った本文と対照する必要がある。だから、私訳でもあり試訳でもある。いずれにしても、随所に入れた訳注を含め、この日本文の著作権は私に属する。ただし、私めにご一報のうえ訳者名(Mark W. Waterman)を明らかにしてくださるのであれば、いつでも引用・利用していただいて結構です。個人は無料、出版社は有料です。
以下、全文。太字部分が『秘密のマルコ伝』断片。なお、原文としては、「彼(は、の、に、を)」とすべきところも、ことさら厳密さを装うことをせず、わかりやすいように具体的に「イエスは」とか「若者に」などと明記した。人名・地名などの固有名詞はなるべく日本語の習慣に合わせた。
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『ストロマテイス』(注:アレクサンドリアのクレメンス[2-3世紀]の著作なので、ここからクレメンスとはローマのクレメンス[1世紀]ではないことがわかる。Stromateisとは、ギリシア語で布の「パッチワーク」の意味だから、著作としては「雑録」あたりが適訳だろう。断片が現存している。)の著者である聖クレメンスの手紙の一通より。テオドロスに宛てて。
あなたがたはカルポクラテス派(注:2世紀、カルポクラテスというグノーシス主義者が始めた放埓を主義とする集団)のお話にならない教えを封ずるためによく働いてくれた。というのは、この輩は、預言に「さまよう星々」と記された者どもで、戒めの狭い道から迷い出て肉欲の罪の無間の奈落に落ち込むからである。つまり、彼らが言うところの「サタンの蘊奥の」知(注:グノーシスの知)を誇って、虚偽の「暗黒の地下世界」に投げ捨てられていることを悟っていないし、自由なることを誇りつつも、欲望に盲従する奴隷となってしまったからだ。だから、たとえ彼らが何がしかの真実の一端を語ったとしても、真理を愛する人は尚更のこと彼らに同意してはならないのである。そのわけは、およそ真なるものすべてが真理とは限らないからであり、人の知による単に見かけの真なるものより、神の知である信仰による本当の真理を選ぶべきであるからだ。
さて、彼らが神の霊感によるマルコの福音書について言い続けている事柄だが、そのうちのあるものはことごとく出鱈目であり、またたとえあるもののうちには真実が含まれていようと、それが正しく伝わっているわけではない。なぜなら、作り事と混ぜこぜの真実などは出鱈目にすぎず、ことわざにもあるように、結局のところ塩さえもその風味をなくしてしまうからである。
次に、マルコについてだが、彼はペテロのローマ滞在中に主(注:主イエス・キリスト)の御業の物語を書きつけたが、主のすべてにわたって述べたのでもないし、他に隠されたものがあるとほのめかしているのでもなく、教えを受けている人たちの信仰を強めるのに役立つとマルコ自身が考えたことだけを選択したにすぎない。しかし、ペテロが殉教の死をとげると、マルコは自分自身とペテロの備忘録を携えてアレクサンドリアに至り、先に書いた福音書にその中からあらゆる認識を深めるのにふさわしいものを書き移したのである。かくしてマルコは、完全を期したい人々の用に資すため、初めのマルコ伝よりも霊的な福音書を書き上げた。しかしながら彼は、口にしてはならないことまで漏らしているのでもなく、主の聖なる奥義そのものを書き出しているのでもなく、すでに書かれた物語の上に更に別のものを加え、しかも、秘密の奥義を知る者の一人として、七つの幕に隠された真理の座である至聖所(注:司祭だけが入ることのできた神との直接会見の場)に聴衆を導く解釈だとマルコ自身が考えるある種のみことばだけを導入したのである。このように、総じて見れば、彼は、出し惜しみして、また逆に軽々しくいい加減に事態に備えたのではなく、私見ではあるが、死の前にアレクサンドリアの教会にその書き物を残し、最高の奥義を伝授された人だけが目にできるように、その教会で極めて厳重に保管させていると思う。
しかし、穢れた悪魔というものはいつもカルポクラテスのような人間の集団に破滅の道具を工夫してやり、指示を与え騙しの技術を駆使して、自分自身の神を汚す肉欲の理屈どころか一点の穢れもなく聖なるみことばをまったく恥知らずの嘘と混ぜ合わせて堕落的に解釈したその秘密の福音書の写しを入手するために、アレクサンドリア教会の長老の誰かを虜にしたのである。この混ぜこぜから、カルポクラテス派の教えが引き出されている。
だから、上述したように、決して彼らに譲歩してはならない。また、彼らが自分たちの曲解をことさら主張するようなら、秘密の福音書がマルコの手によるものであることを認めてはならないし、否むしろ誓いをもって否定しなさい。なぜなら、「すべての真理なるものがすべての人に語られるわけではない」からである。それゆえ、「神の知恵」はソロモンを通して、真理の光は精神的な盲人に隠されていなければならないことを教えて、「愚かなる者には愚かさをもって応えよ」と助言しているのである。また次のようにも言っている、「持たざる者は更に取り上げられる」と、更に「愚か者は闇の中を歩ませよ」とも。しかし、「天から」の主の霊の「黎明」により明るく照らし出されて、我らは「光の子ら」であり、また「純潔な者にはすべてが清い」のであるから、「主の霊のあるところ」に「自由がある」とも言っている。
従って、まさに福音書のみことばそのものをもって出鱈目を論破して、ためらわずあなたが先に私に尋ねた質問に答えることとしよう。例えば、「そして、彼らはエルサレムに上って行く途上にある」とそれに続く部分から「三日の後に彼(注:イエス)は復活するであろう」までの後に、秘密の福音書は以下の記事をそっくり持ってきている。(注:すなわち、以下は正典のマルコ伝10章34節に続くということ。)
「それから彼らはベタニアに至る。すると兄弟が死んだある女がそこにいた。そこで女はイエスに近寄ってひれ伏して拝み、『ダビデの子よ、私を憐れんでください』と言った。しかし、弟子たちは女を叱った。するとイエスは、憤って、墓のあった園に彼女と降って行ってみると、直ぐに墓から大きな叫び声がした。そこでイエスは、墓に近づいて入り口から石の扉を転がした。すると直ぐに、イエスは若者のいるところに行き、手を伸ばし、若者の手を取って立ち上がらせた。しかし若者は、イエスを見るなりイエスを愛し、イエスに共にいてくれるように懇願しだした。そして墓を出てくると、若者は金持ちだったので、彼らは若者の家におもむいた。そうして六日の後、イエスは若者になすべきことを語ったが、夜になって若者は裸の体に亜麻布を巻き付けてイエスの許に来た。それからその夜、若者はイエスの許に留まった。イエスが若者に神の国の奥義について教えたからである。そしてその後、イエスは立ち上がると、ヨルダン川の向こう側に帰っていった。」
これらのみことばの後には、次のような文章が続いている。すなわち、「そして、ヤコブとヨハネがイエスの許に来た」とその部分全体である。しかし、「裸の男と裸の男」、それにあなたが書いた他の事柄は見当たらない。
それから、「そして彼(注:イエス)はエリコの町に至った」というみことばの後には、秘密の福音書は次の文章を付け足しているだけである。(注:すなわち、正典のマルコ伝10章46節前半部以降ということ。)
「そして、イエスが愛した若者の姉妹と彼の母そしてサロメがいたが、イエスは彼らを迎い入れなかった。」
しかし、あなたが書いてくれた他の多くの事柄は、出鱈目に思えるし実際に出鱈目であろう。今や真実の説明と真実の哲学に合致する事柄は……。
(注:以下に余白があるのに、ここで本文が突然切れている。)
7 Comments:
残念ながら翻訳して戴いても分らないものは分らない!
どうやら推測するのは『秘密のマルコ伝』は『ストロマタ』の別の個所に書かれてゐるカルポクラテス派の聖典のやうで、ベタニアでイエスが?生き返らせた若者がこのカルポクラテスになるらしい。
そしてカルポクラテスと云ふのはエジプト神話のハルポクラテスから来るのでせう。
プルタルコスでは彼は沈黙の神(指を銜へてゐる形が、唇を閉ぢろと云ふ沈黙の合図に見えるからか)とされてゐる(らしい)が、それが闇の国からの福音を伝へる者にも、エジプトやユダヤを統一する国王にもなるのでせう。
(子供のホルスHorpachered/Harpokratesはイシスがオシリスの精液により生んだ子供で、何処の美術館にもある、マリアが膝に抱いたイエスに乳を飲ませてゐる形の原型になつたIsis lactansや、指をしやぶつてゐる側髪の単独像でお馴染みでせう - 私の見た一番美しいくて大きいのはテッサロニキ美術館にあるローマ時代の大理石彫刻です。)
<イエスは立ち上がると、ヨルダン川の向こう側に帰っていった。>
と云ふのもイエスがナイル河の西側の死者の国に帰つて行つたと云ふことのやうに読めます。
あがるまさん
再び興味深い話題をありがとうございます。さまざまな想像が可能なのが、キリスト教でもこの分野であり、ハーヴァードやクレアモントの影響下にある学者がこの南カリフォルニアでも色々言っています。
Carpocrates のことは Irenaeus なども言及しており、実際にアレクサンドリアの Clement はこの『ストロマタ』の3巻2章で Epiphanes と同列に名前を挙げ、(妻は社会的に共有すべきという)彼らの性的な放縦に警告を発しています。従って、神話的人物ではなく、一応ですが、歴史的に存在した人物と解釈されています。なにしろ、カルポクラテスとクレメンスは地理的にも時代的にも近かったのですから、情報は正確でしょう。しかし、人種が何なのかわかりません。やはり、ユダヤ人でも、ギリシア人でもなく、エジプト人なのでしょうか。
ところで、地理上のことですが、ベタニアからヨルダン川の向こうといえば西ではなく東になります。ですから、あがるまさんの解釈を利用させていただければ、イエスは東から来て、西の死の世界に至り、若者を生き返らせてから東の生の世界に戻ったのではないでしょうか。
あぁ、もう時間がない。また来週、あるいは日曜の夜に。
MWW
ちょうど最近このクレメンスの手紙の仏訳を読んだところでした。モートン・スミスって、もっといかがわしい人かと思ってました。こういう手紙に秘密のマルコ伝を挿入するなんて、偽書の王道だなあ、って思って読んでいたんです。「秘密の伝承」の心理学自体が興味を引きます。
sekko 様 ありがとうございます。
簡単に。Neusner の言葉を信じればスミスは相当に変な人ですが、スミスによる捏造の可能性はごく少ないように思います。ただし、クレメンスのこの手紙や、更に挿入の秘密のマルコ伝になると、18世紀までの段階で誰かが捏造した可能性は非常に高いと思います。
スミスの発見を信じる陣営に近いはずの Bart D. Ehrman でさえ、彼の "Lost Christienities" の講義(DVD)の中で、反カルポクラテス派として有名なクレメンスを登場させたり、クレメンスとマルコのそれぞれの文体との類似性が異常に高い文章であるから(例えばマルコの口癖である「直ぐに」など)、逆にイミテーションの疑いが強まると解説していました。早々、
MWW
まだWatermanさんが『秘密のマルコ伝』を取り上げられる理由が良く分らないのですが、これから説明されて行くのでせうか?
古代後期にハルポクラテス信仰が流行したことは(美術品などで)何となく知つてゐましたが、キリスト教的グノーシスの一派としても活躍してゐたとは。
さう云ふへばCelsusにより『神の正義』を唱える『ハ』ルポクラテス派として批判されてゐたやうな気がします。
ハルポクラテスは更に西に行つて龍(鰐Crocodileはオシリスの身体をバラバラにしたセトの象徴)を倒す聖ミカエルになつたと云ふことですが、東に行つては弥勒菩薩になつたのではないでせうか - 弥勒がミトラから来ると云ふのは性格が丸で違ふので疑問です。
錬金術にも関連があるやうですから、17世紀にも流行つたのかも知れません。
あがるまさん
実は、ローマ法王に覚え目出度いユダヤ教学者Jacob Neusnerについて書いたときに、ヌースナーがモートン・スミスに苛められた話も紹介しました。スミスとなったら『秘密のマルコ伝』ですから、話のついでにこうなったわけです。
しかし、私は何も正典の『マルコ伝』の専門家でもありませんが、たまたま『マルコ伝』について本にしましたので、先日もある先生にパーティーで捕まって、私の知りもしないことを質問されて往生しました。確かに、『マルコ伝』というと沢山の異本があり、今日の現代語に訳されている底本以外にも多いのです。まず、16章の8節で終わらず、短い付け足しをする古文書もあります。9節から20節まで長々と付け足した古文書もあります。更にその14節と15節の間に長い挿入を持つ古文書(略号W)も20世紀になって発見されました。
そういった事情の中でも、スミス発見の『秘密のマルコ伝』は異質の古文書です。私はこの文書に関してはネガティヴな判断ですが、拙速な判断も控えなければと思っています。いずれにしろ、いつの世もキリスト教に周辺の宗教との習合があったことも確かでしょう。キリスト教本流(←私の判断ですが)はいつもそれらと戦ってきたわけです。
MWW
済みませんすつかり話の展開を忘れてゐました。
ところでラッチンガーの本はどうですか?
ウェッブ上で2、3の批評を見てみました。彼の結論は史的イエスは神を持つて来た人間である、と云ふ、FAZの記事が一番納得が行きました。
それはシリアから東の世界で広く受け入れられたと云ふ『イエスは神のことを語つた人間』、或いはギリシア人の世界の『放浪する神』の延長のやうです。
日本の神話では既に神とそれを伝える人間(神官・天皇)の区別がつかなくなつてゐるのですから。同じことは何処でも起こる可能性があります。
聖霊は史的イエスの物語の中では唯一、洗礼者ヨハネから洗礼を受けた時に鳩の姿を取つたことしか書かれてゐませんし、これは明らかに比喩ですから、妥当なことのやうに思ひます。
M.ゴシェやG.ヴァッティモの云ふやうに西欧キリスト教は世俗化に一番適した宗教なのでせう。
ローマ法王がそこまで行くとは思へませんが。
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