LA Marathon
LA マラソン
我が家の恒例のLA(エルエイと発音)マラソン応援の日だ。昨年までは3番街とロスモアの角まで出かけていたが、今年からルートが変わり、家を出て角を曲がればそこがランナーの通り道。いったい誰を応援するかというとみんなを応援しているわけだが、とくに日本人、日系人、在日韓国系、在日中国系、在日ユダヤ系、等々、要するに「がんばれー」の声援がわかるランナーになる。細君はなぜか「しっかり、しっかり」だって。なんか怒られている感じがするなぁー。おかしなことに、「がんばれー」と怒鳴り続けていると、左右のおじさんおばさんまで口真似で「グァンヴァリー!」。
男性のトップ集団とカメラクルー
一般の比較的前の方(真面目軍団) 犬も正座して応援
なんじゃこのサムライは、走りながら刀など抜いて危ない奴か?
おじさん、暑かろうに
落伍集団
後ろからゲーム終了の車が来る
Photos by MWW
2 Comments:
こんなふうに街の出来事をお書きになっても、Waterman先生の文はけっこうワクワク読めます。なぜなんでしょう。と考えたりするんですけど。理由のひとつは、とても「明快」だからでしょうか。
びっしりと苔や黴でおおわれていそうな聖書の問題、複雑で厄介で異論も多いはずの課題のいくつかを解説され、もつぼれた糸を解きほぐす文章にも、この「明快」さがあるので驚きます。おれのような単純バカにも楽しく拝読できます。
こちらは、いま、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んでいます。つい必要ができてしまって。文庫本で8冊もあるんですよ! 全部で5~6000千円! バナナなら、トン単位で買えました!
それはともかく。本屋近くのサテンに入って、第一冊目の第1ページを開いた途端、上野公園に立っているー西郷さんみたいに、カチンと動けなくなりました。「明快」だったからです。読みやすかったのです。もちろん芝氏は小説家ですから、小説としての文体を工夫されているのですが。しかし、この読みやすさは何てことだ!? しばらくの間、最初の1ページ目から先には進めませんでした。国民作家のおひとりと呼ばれるだけのものを、目撃した瞬間だったのでしょうか。
内田先生やWaterman先生の文章から受ける感じと同質なのでは、と思いました。お二人とも小説文ではありませんけど。
これは下司のかんぐりにすぎませんが、「対象意識」とでもいいますか、自分がいま何を見ているか、何について考えているか、どうしたいのか、etc・・・を、とてもハッキリさせていらっしゃるからかなと想像しました。
とするなら、「明快」な文章の技は、真似できないものなだとわかってきたので残念です。暖冬つづきだった日本では、もうすぐ桜が咲くかも知れません。
Wordblowさま
いつもありがとうございます。日本はもう桜ですか。Washington, D.C. の桜は普通、東京と同じ頃の開花ですが、今年は日本のほうが幾分早そうですね。LAの桜はソメイヨシノではないのであまり感動はありません。
ところで、内田先生はともかく、私の文章までほめていただいて光栄です。Wordblowさんの文章も読みごたいがあると思っています。「真似できないものなんだとわかってきたので残念です」などととんでもない。そんなことはあり得ないと思います。
私はただ、「誤読」されないように、できるだけ気を使っているいるつもりですが、後で読んで「しまった」と思うことが実はしばしばです。私の先生の一人は神学者になる前に英語の先生をしていたそうで、私はコテンパンにやられますが、彼でさえ「文章は読む人へのサービスだから、今でも学生のつもりで努力している」と言っていました。
MWW
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