Dr. Bruce Metzger Died Yesterday at Age 93
ブルース・メッツガー博士、昨日、93歳で死去
ブルース・メッツガーが昨日、2月13日(火)、老衰で亡くなった。彼の名は、新約聖書をギリシア語で読む人で、知らないという人はいないだろう。長く Novum Testamentum Graece の編纂に携わり、英語訳聖書NRSVにも貢献している。その合議の結果の他にも、自らの意見(時には少数意見)も表明してきた人だ。新約聖書学を副専攻の一つとする以前より、また今でも、私などにとっては近寄りがたき大家であり、ドイツだけでなくアメリカにもこういう人がいることを世に知らしめてきた学者だ。(もっとも名前から想像できるようにドイツ系アメリカ人ではあるが。)
彼は、ほとんどの自分自身の教育と、その後の研究・教育活動をプリンストンで行っている。経歴など書こうかと思ったら、ニューズが流れて数時間のはずなのに、もう英語版の Wikipedia を書いた人がいるようで驚いた。そちらを見てください。奥さんの Isabel Mackay Metzger、そして2男1女が後に残されています。来週20日(火)プリンストンで葬儀が行われるそうです。
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イエスの兄弟ヤコブをもう少し紹介しようと思いましたが、さまざまなことがあり遅れています。なお、その間にも、あがるまさんとの対話が合わせて10個のコメントになっていますので、よろしかったらご覧ください。また、4つのブロッグに出向き、コメントしてきました。(そんな訳で新しいエントリーが遅れているのかもしれません。すみません。)
8 Comments:
てつきりG.W.ブッシュが米国人の代表だと思つてゐたのですが、
米国にはWatermanさんだけでなく奇特な方が沢山居られるやうです。
新井奥邃と云ふ名前は林竹二の著作で知つてゐたのですが、米国人らしいD.コールと云ふ方がその全集を出版したことを最近知りました。
一度『奥邃廣録』を見たことがありますが - そこには森有正の父親の森明牧師の著作集や十代で一高・東大の教授になつた神田乃武NaibuKandaの英文著作集も並んでゐました - その漢文体の難解な文章は私にはたうてい読むことの出来さうもないと思へました。
それを外国人が編集(『広録』の復刻なのでせうが)するとは!
奥邃には英文で書いたものもあると聞いて少しは納得が行きましたが。
あがるまさん
あなたの祖父様(でしたっけ?)の書架には、ある時代が詰まっているのですね。森家や神田家は学者の家系でしかもキリスト者。そんな時代でもありました。
日本でハリスと言えば、M.C.ハリス博士(Merriman Colbert Harris)が最も有名で、美以教会(みい教会、メソディストのこと)の監督(bishop)でしたが、日本の教育等にも影響を及ぼしたほか、アメリカの日本人排斥法の反対運動にも関わっていると思います。
Osui Arai の英文著作と言われるものが、調べたら Library of Congress に2冊ありましたが、いずれも彼の死後の出版です。私はこの人のことは知りませんが、この人に影響を与えた人が、上記のMCハリス(新井と同じ年に生まれ新井より一年前に亡くなり東京青山墓地に眠る)ではなく、Thomas Lake Harris なら、新井は伝統的なキリスト教に触れたのではなく、当時、雨後の竹の子のように生え出した科学的あるいは哲学的あるいはユートピア的な擬似キリスト教だったと思います。(骨董と同じで、fake も面白いのですが、まず本物に触れておかなければ。)
あがるまさんも多分同感と思いますが、言葉を巡る才能というのは実に多彩なものです。以前にも書いた デューク大の(勝手にばらしてすまないが)R.J.(流石にイニシャルだけにしよう)先生など、私も読めないような江戸末期から明治初期の半分以上が漢文の文献(ときには手書き)を読んでいるが、日本語の総合力(とくに会話)は私の足許にもおよばない。そんなもんです。(D.コールという人はわかりませんが…。)
今回も勉強させてもらいました。ありがとうございます。
MWW
メソディストと云ふとG.W.ブッシュやTV伝道師もさうですね。伝統主義者と分類される彼らが正統的とは思へませんが。
近年韓国からやつて来て日本の家庭を破壊し廻つてゐる原理主義者もメソディストを名乗つてゐます。
敗戦後の日本では原始キリスト教に戻ると称する原理主義者が跋扈したやうで、関根正雄などの旧約学者も怪しげな運動をしてゐたさうです。
ネットで見ると、奥邃は森有礼の斡旋でトマス・レイク・ハリスの許で数十年を過ごし、50歳過ぎて日本に帰つて来て影響を及ぼしたやうです。Th.L.ハリスは森有礼やT.S.エリオットのやうなユニテリアン(カント主義者?)かと思つたら寧ろカントから批判されたE.スウェデンボリの心酔者のやうです。
あがるまさん
返事が遅くなって、お目覚めの後になりそうですね。それにしてもまたブッシュ大統領ですか。
彼は今、奥さん Laura の母教会UMC(United Methodist Church)教団に属した教会に行っているようですが、特別な意味はないでしょう。彼は、一人のときは、PC-USA(Presbyterian Church-USA)や Episcopal Church に行っていたようです。
以上の3教団はアメリカで mainline と言われる教団ですが、特徴は三つです。巨大教団である(実は、最大はパプテスト系の教団)。比較的伝統的なプロテスタント教会である。現在はどちらかというと、多少自由主義的である。そんなところでしょうか。
Televangelist(テレビ伝道者)はどの教団にもいるわけで、メソディストとは限りません。ただし、テレビ伝道者に多いペンテコスト系の人は、分裂に分裂を重ねた John Wesley の流れなので、自称メソディストという人もいるかもしれません。
さて、正統とは何かということになりますが、異端の存在がなければ正統はありません。また、正統という定まった形があるのではなく、異端との比較として存在するにすぎません。キリスト教の歴史は、初めから正統と異端の歴史であり、今もそうです。何が正統かは常に比較する異端との関係の中でダイナミックに動いています。
二人のハリスのことで比べれば、MCハリスが所謂キリスト教(正統)であり、もう一人のハリスが擬似キリスト教(異端)であることについて、疑問の余地は一切ありません。長い歴史で、異端に概ね共通する古代からの特徴は、やたらと哲学的であるということです。ユニテリアンがカント的であるとか、スェーデンボリが反カント的であるとかは、カントにとっては迷惑でしょうし、カントに比べて、ユニテリアンとスェーデンボリはゴミです。
新約学が私の副専攻の一つと書きましたが、本当の専攻は神学です。つまり、教義学の批判的研究ということですが、哲学とも付き合うことが多く、またゴミとも付き合うのが主な仕事になります。個人的には、それが嫌いというわけではありませんが(だから主専攻だったのですが)、残りの人生をコミットするには価値がないと思い、今は骨董品(史的イエス)を専門にしているわけです。
実は私、PC-USA, Episcopal, UMC のやたら政治的で自由主義的なところが嫌いです。私は、多分、それらの教会に必要なことがあれば(先日説教したように)協力しますが、所属することはないでしょう。(属して管理されるのが嫌いなだけかもしれませんが。)ただし、それらの教団に属する人々(とくに学者)は非常に多彩であり、あの教団の人だからこうだというように、ステレオタイプで評価することはできないと思います。
MWW
米国、福音派と来ると自動的にG.W.ブッシュの顔を思ひ出すのは耶無を得ないですね!
正統かどうかと云ふなら、自由に聖書と伝統を解釈してゐるだけのプロテスタントは正統ではありません。(別に正教やカトリックが正しいと云ふ意味ではありませんが。)
本来、一神教は無神論ださうですから。
正統か異端かに拘るつもりはありません。二人のハリスを比較されたので、どつちもどつちだと云ふつもりでした。
ユニテリアンの元祖はM.セルヴェトゥスださうですから、そこからスピノザ(やカント)を想像したのでした。
カントはカント主義者ではありません、それは、聖書にあるやうなイエスがもし実在したとしたらキリスト教徒ではないやうなものです。
キリスト教的なら哲学ではないし、哲学は懐疑であつて信仰ではありません。
オウム教団が跋扈したのもそれに対抗できるだけの学識を持つた仏教学者も宗教学者も日本にゐなかつたために、暗黙のうちに認めてしまつたからだとすれば(積極的に認めた学者?もゐるやうですが)、知識を所有してゐるから正統だ(正しい)と云ふ訳には行かないやうです。
Watermanさんも擬似神学を告発して下さい!
あがるまさん
その通りです。以下、簡単に。
私はオウムで何でもかんでも宗教の自由と称してのさばらした宗教学者をクズ(ゴミ以上)と呼んでいます。しかし、世を騒がすだけで暴力的でもないゴミについては、なるべく若者に人生の無駄使いをしないようにと警告しているのですが難しいものです。
なお、正統と知識や学識は直接関係がありません。むしろ、柔軟で柔らかい心や常識が問題なのではないでしょうか。あるいは健全な教養でもいいです。いつの世も、ゆがんだ天才的な人物が危険ですね。また、その人物が純粋だったとして、追随する俗物とか、それを利用しようとする悪人がいるし、いたことも事実だと思います。
MWW
あがるまさんが嗅ぎ付けたD.コールです。奥邃はT.L.ハリスの共同体に28年身を置いた、特異なクリスチャンでしたが、ハリスの世界観をそのまま鵜呑みにした訳ではありません。奥邃が若いときに身につけていた宋明学の素養とバランス感覚、そして賊軍のレッテルを貼られた仙台藩士だったということ(つまり富国強兵を通して”一等国”になることを国策とした明治体制に対して距離を置く姿勢をつらぬいたこと)なども相まって、晩年には非常に純化した信仰の持ち主でした。
彼の英文の著述はもともと1890年代に私家版の形で印行されてもので、今回の『新井奥邃著作集』ではそちらを底本としました。戦後、奥邃の弟子(彼自身はその様な言葉は嫌いで、もしろ「友」と言っていたようですが)がそれを別な形で出してますが、若干原著と違うところがあります。
『著作集』にはこのほかに書簡や遺墨、それから明治・大正時代の新聞雑誌に取り上げられたり、寄稿した文章も収集できた限りのものも掲載しました。
D. コールさん
コメントありがとうございます。ここでは誰も見てくれません。折角ですから主エントリーで紹介しましょう。
MWW
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