Jesus' Siblings, et Cetera
イエスの兄弟姉妹、その他
「ヤコブの」は James's (アポストロフィー+s)なのに「イエスの」は Jesus' (アポストロフィーだけ)と書くのは、私たちの習慣。理由は、古典語(ギ、ラ共)やドイツ語などで所有を表す2格に s がないので、それらにならって一つ少なくしたとか言われるが、私は要するに多数派に従っているだけ(小心者だから)。
エントリーの題は、先の説教の中のイエスは長男という話に関わる。当日、3時間にわたって質疑応答というか談話を熱心な教会員と交わした際、一番問題になったのは、実は、兄弟姉妹のことではなく、イエスの父親のことだった。これは考えてみればとんでもない問題なのだ。このブロッグの初めの目的でもある史的イエスの問題とも重なっている。だから、いずれこのブロッグでもイエスの家族に触れる機会はあると思っていた。また、「ダビンチコード」的な生半可な知識に基づいた誤解が起きないようにワクチンを用意しておこうと思っていたので、これを機会に少しずつ紹介していきたい。
その前に、事務的説明二つ。
1)あがるまさん、ご覧のように、現代ギリシア語のレベル(Windows XP のELキー)ではギリシア文字にアクセントが付きました。しかし、古典語はこの weblog 仕様がサポートしないので、アクセントなしです。まっ、アクセント記号なんて、それこそ古典期にはなかったことなので、なくてもいいでしょう。ローマ字で書くよりは余計な説明をしなくていいので楽です。
2)Ph.D. の学位授与機関名と出身大学の一部、それに専攻した学問分野の一部を明記しました。また、Eメールでの連絡先も明らかにしました。(このメールアドレスは、今後変更の可能性もありますので、最新のエントリーをチェックのうえメールしてください。at と dot はもちろん記号に置き換えてください。)
上記、2に関しては、今まで続けてお読みの読者には自然とわかるようにしていたつもりですが、初めて訪れの方でもすぐわかるようにしただけです。というのは、アメリカの同業者(聖書学者・神学者・宗教学者)の場合は、ほとんどが実名で blogging 活動をしていますし、バックグラウンドの紹介もあります。書いていなくても、実名だから、学会データベースでさまざまなことがわかります。
(実は私、特別な事情から、大学でも学会でも、自宅住所や電話番号などの個人情報は非公開になっており、データベースにアクセスできる権利をお持ちの方も探すことはできません。必要がありましたら、上記のメールアドレスかこのブロッグのコメント欄をご利用ください。なお、コメントは私の確認の後にウェッブ上に出ます。たいていエラーではありませんから、24時間以内に出てくるでしょう。)
ところが、私が日本の学者や学者の卵(これは差別用語ではありません、まぶしくなるような輝かしい未来を予測させる言葉です)を訪れ始めた頃はあまり気づかなかったのですが(彼らの多くが実名だった)、その後、実名を使わない学者ブロッグのほうが多いことに気づきました。彼らは本や論文を書き、学会で発表し、講義も行っている方々なのに実名がない。中には、私が本名だと思っていたのに偽名だった例もありました。それは、決してペンネームではありません。せいぜい、よく言ってニックネームでした。ニックネームですから、どうやら仲間内では誰であるか特定できている様子です。
Weblog の社会的評価や役割は、こうこうでなければならないなどと定まっているものではありません。だから、匿名でブロッグを運営・主宰したからといって非難されることはないかもしれません。むしろ、多くの方にとっては、匿名のほうがいいのかもしれません。私も、初期のブロッグ(昨年9月)で、匿名でのコメントを歓迎すると書きました。そのほうが本音で書けます。学者は自分の学説に責任を持たなければいけないと言っても、勤務先の大学などに差し障りがあったりすることもあるでしょう。一般の方は尚更、困難な人間関係の中での blogging 活動であることが理解できます。
しかし、学者に限ってですが、その方々にもう一度問いたい。自分が神学者だ、哲学者だ、あるいは聖書学者だというなら、どこでどういう教育を受けどんな専門のクレデンシャルや学位があるのか、どういう名前でどんな業績・著作があるのか、あるいはどこでどういう講義をしているのか、この一つでも(全部明らかにするならそれに越したことはないが、これらのすべてを満たさなければ学者というわけでもないから本当に一つでもいい)一般読者に明らかにすべきではないか。このような要求は、アメリカ的専門主義社会に毒された物言いかもしれないが、「大学教員」などというわけのわからない自己紹介に代えてほしいし、一般の読者を締め出した形で、内輪の者だけが符牒(偽名、ニックネーム、ハンドルネーム)で呼び合うなどはよい気分のものではない。(ところが、一部の人は、私のようにブロッグ上でそれとなくわかるようにしていることにも気づいたが、その記事に行き着くまでが大変だ。だから、私はそんな苦労を初めて訪れてくださった方にさせるのは忍びないので、プロファイルに直接入れることにしたのである。)
なお、私のブロッグに登場するコメンテーターでハンドル名の人はみな、自身を学者と名乗ったことのない方々であるし、偽名でも一向に構わないと思っている。多分―これも確かではないことなのだが―、GREG先生は、唯一、学者ではあるが特定できないと思う。私もGreg (Gregory) が本名あるいは洗礼名なのか知らない先生である。あるブロッグのおなじみコメンテーターとして知り合った仲なので、どこのどのような方かは知らない。しかし、彼(だろうな)はブロッグ主宰者ではないし、学者の権威を盾に議論するような方でもなかった。(私が権威を盾にやたら高飛車なのとは好対照だ。私も反省しなきゃ。)だから、学者であってもコメンテーターであるから、私は知りたいと思っているが、彼が黙っているなら、それは尊重したいと思う。
たった二つの事務的お知らせが、こんなに長くなった。まさに Dr. Digression (横道博士)の本性というか正体が出てしまったようだ。本論に入る余裕がなくなったので少しだけ。(でも、次回はいつになることやら。)
キリスト教国と言われる(ホントかな)アメリカの大学でも、宗教学あるいはキリスト教概論を学部レベルでするとき、新約聖書ヤコブ書の著者(と目されている人物)でイエスの弟ヤコブ (英語では James ジェームズ、ジム、ジミー君になる)について語りだすと、「えっ、弟がいるの?!」と驚く学生がいて、「えっ…」と(以後の講義の行く末を案じて)絶句してしまう教授がいる。下の引用はマルコの証言から。これが本当かどうか(歴史的に信憑性があるかないか)は別にして、知っておくのが、まずもの事の始め。考古学でも何でも、まずテキストから始まるのが議論の順序だ。適切な順序なしに、世迷言と観念で遊ぶことを私は人生の無駄づかいというが、面白いことに、学者にもそういうちゃらんぽらんな人がいる反面、素人なのに(いや、だからこそか)本質を掴んで議論なさる慧眼を備えた人も珍しくない。
「この人[イエス]は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」 (新共同訳 マルコによる福音書6:3)
なお、マタイ伝(新共同訳ではマタイによる福音書)13:55では、ユダとシモンの順序が入れ替わっており、ヨセはヨセフとなっている(ヨセはヨセフと同じ、Greg が Gregory と同じように)。参照されたし。
今日はここまで。(宿題:妹は何人だと思うか、そして名前は?)
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