The Bible and Beyond
聖書とその向こう
これはライス大学(Rice University, Houston, Texas)博士課程(Ph.D.)のプログラム名(課程名)の一つである。宗教学専攻とか、聖書学専攻とか、神学専攻とか、しゃちこばっていないで今様で洒落ているのがいい。聖書(The Bible)とは、普通、旧約39+新約27=66巻の正典を指す。(第二正典として旧約聖書の続編を加えることもある。)ライス大学の「その向こう」(beyond)とは、聖書の前も後も指すのであろう。
聖書学や神学に携わっていると言うと、聖書そのもの(つまり66巻のみ)や教会教義を神学として扱っていると誤解されることがある。まさか今どき、相当コチコチの神学校のカリキュラム(職業的牧師養成プログラム)でさえ、聖書と教会教義(というよりはその教団の信仰箇条)だけで済ますことは稀である。博士(Ph.D.)課程がある学校なら尚更であり、さもなければアカデミック認定(accreditation)などありえない。
従って、例えばイエスの兄弟ヤコブについて考えようとする場合も、聖書における記述だけでは、片手落ちどころか全く不足・不十分な考察とならざるをえない。ところが、ここに判断を狂わせる落とし穴も存在することに注意しなければならない。教会では聞きもしなかった話しに、大学あるいは大学院で初めて晒されると、その衝撃が大きく、またその面白さや魅力にとりつかれる。そして、ひょっとしたら、それらの資料のほうが聖書の記述よりも真実ではないか、あるいはより古い伝承ではないかと非常な興奮をおぼえる。うむ、ひょっとしたら、そうかもしれない。
しかし、戦略的にはあるいは方法論的には、まず聖書を学ぶべきだと私は考えている。第一、何が聖書か知らずして、その先ないし向こう(beyond)との区別は覚束ないではないか。しかも、聖書本文の中にも多様なテキストがあるのであり、Dr. Metzger が生涯を掛けたように、その校合(「きょうごう」と読む)を通して、異本や beyond に対する鑑識眼を養うべきである。初期のブロッグ(昨年9月からこの私のブロッグは始まった)で、日本の聖書学・神学はこの面での訓練に欠ける、とよく書いたが、実はアメリカにもそのような傾向がないわけではない。(厳しいカリキュラムの関係で、日本の神学生ほど酷くはないが。←また怒られるだろうな。)
イエスの兄弟ヤコブについてもう少しなどと約束したが、彼についての記述も、beyond のほうに沢山あるのであり、その扱いも上記のことに留意しなければならない。なぜ、こんなことを先に書いたかというと、ライス大の April DeConick 博士の「トマスの福音書」の新訳と解説が出たことや、彼女の関心に連なるスレッドが立っているのを見て、ふと一言言いたかったからである。彼女の本は名前を叩けば出てくるはずだが、スレッドに関しては次を参照のこと。
http://groups.yahoo.com/group/gthomas/message/7427
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