Dr. Waterman's Desk

An old desk of an American theologian ("日本語" speaker) / Check out another blog please "Comments by Dr Marks"

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American citizen but a foreign native born in southern Germany, raised in northern Japan. He holds a Ph.D. degree in biblical theology (Center for Advanced Theological Studies, Fuller Theological Seminary). Dr. Waterman mainly lives in Los Angeles, California. He studied various subjects (philosophy, sociology, etc.) and languages in Japan and in America (Hirosaki University, University of Tokyo, Fuller Theological Seminary, and other institutions). Email: markwaterman(at)fuller(dot)edu. Some call him "Dr. Marks".

Thursday, March 08, 2007

Interpretation and Jury Education

解釈と陪審団教育

フーツ。三日目でまだ陪審員選択作業が終わらない。詳しいことはもちろん語れないが、果たして被告が犯人かどうか全面的に争う事件のようだ。

正陪審員は12名だが、補欠6名、合計18名を選ぶ。今は、100人以上から残った60人ほどのプールからランダムに選ばれた18人に対し、弁護士と検事が互いに陪審員候補者に質問をしながら選択していく過程にある。

まず、18人を選び、ボックス(陪審員席)に座らせ、3人の弁護士と1人の検事が交互に陪審員候補者に質問を浴びせる。その結果を持ち寄って、判事席の横("sidebar" というが、普通の辞書にはないかもしれない) で、一緒に撥ねる候補者を決める。残った候補者をそのままにして、撥ねられた分をまたプールから選び座らせる。再度、質問して撥ねる。これを繰り返して最終的に18名を満たしていく作業だ。

ところで、この作業は、弁護士と検事がお互いに好ましい陪審員を選んでいくものではあるが、それだけではない。この気の遠くなりそうな質問、質問、また質問の作業の中で、判事はもちろん、弁護士も検事も、陪審員への教育を試みるのである。例えばこうだ。判事殿曰く、

これらの被告(実は複数)は告発されたが、まだ証拠の提示はない。つまり、今は陪審員選択作業中でそこまで行ってはいない。さて、今あなたの判断としては、これらの被告は(1)有罪だろうか、(2)無罪だろうか、それとも(3)有罪とも無罪とも言えないだろうか。恐らく、(3)と答える人が多いかもしれない。しかし、法の原則としては、証拠の提示がない段階では、(2)が正解であることを肝に銘じなければならない。

証拠、証拠という判事からの教育に続いて、弁護士からの教育も始まる。先日のエントリーでも述べたように、実は証拠ないし証言だけでは不十分だ。解釈と妥当な推論(reasoning)が必ず証拠や証言に絡んでくる。だから、弁護士は特定の陪審員候補への質問というよりは、候補者全員への教育のつもりでこんなことを聞いてくる。曰く、

私には6歳の子どもがいます。ある日、全身ずぶぬれで家に入ってきましたが、プールを見ると波立っています。この子はいったい何をしていたのでしょう。すぐ出る答は、この子が一泳ぎしてきたということです。しかし、(1)この子が濡れていた、(2)プールが波立っていた、という二つの証拠から導き出される答は、たった一つなのでしょうか。

という具合で、候補者の一人一人に質問しながら教育しているわけです。また、錯覚を起こしそうな証拠だけ選択して並べることも可能です。イエスの失われた墓とと称して、墓室の中の被埋葬者が家族と思わせる。その上で、イェシュア(イエス)とマリアムネ(マグダラのマリア)のDNAだけ調べ、遺伝的関係がないから二人は別系統すなわち夫婦と結論付ける。だいたいヨセはイエスの兄弟というよりは、ひょっとしたらマリア(母)の夫ヨセフだとなぜ考えることができないのか。ここでも、証拠のかなり意図的な提示の例をみることができる。判事殿には悪いが、証拠自体に意味はない。

また、こんな教育もあった。候補者の中には既に3回も4回も陪審員をしている者もいる。自ずと彼らが合議のときにオピニオンリーダーになる傾向がある。だから、経験のない候補者に対して、自分自身の意見をちゃんと表明できるかなどと質問しながら、ちゃっかりと声高の者の言うことに左右されてはいけないという教育をしているわけだ。

それにしても、日本の裁判員制度では、ここで行われているような、丁寧な教育も行われるのだろうか。制度を生かすのは、きめ細かな運用であろう。

4 Comments:

Anonymous Anonymous said...

ドクトル、こんにちは

>この気の遠くなりそうな質問、質問、また質問の作業の中で、判事はもちろん、弁護士も検事も、陪審員への教育を試みるのである

裁判への参加というのもなかなか骨の折れることのようですね。

陪審制度を作りさえすれば民主的な裁判になるというものでは決してない。日本の裁判員制度導入にあたってそのあたりの本質的な議論がどこまでなされたのか疑問が残ります。今後の運用次第ではありましょうが、その運用にしてからがそもそも「本質は何処にあるか」を見極めていなければ叶わないことなわけですが、私は些か懐疑的に眺めております。

一歩間違えば「人民裁判」でしょ?

陪審制、日本版NSC、核兵器!
右に倣え、アメリカに倣えといった傾向が従来以上に強まっているかにみえる状況には薄気味悪さすら覚えます。

仮にしくじることがあるとしても、それがどこまでも自己の資質と判断にもとづくものであるならば諦めもつこうというものですが・・・。

>きめ細やかな運用
大丈夫かなぁ・・・。日本。

陪審員を如何にして(良くも悪くも)誘導していくかに知恵を絞るスウェーデンの検事の話が伊藤栄樹『秋霜烈日』に載っておりましたが、おそらく日本でも優秀な法曹さんたちがそれをやることになるのでしょう。

「魂」入れないと、ですね。
これって「宗教」と「宗教儀礼」のはなしにもつうじるのではないでしょうか・・・。

10:39 PM  
Blogger Mark Waterman said...

求道士さま

おっしゃる通りです。わたしは流石に「教育」と書きましたが、本質は「誘導」です。

白人女性の検察官はいいとこのお嬢さん風で下手でしたが、3人の弁護士のうち黒人女性が一番「誘導」が上手でした。しかし、公正に見れば、なかなか大事なことをついていたことも確かです。

ただ、一歩間違えば「人民裁判」かもしれませんが、基本的には、わたしは法律の専門家ではない一般人の常識を高く買いたいと思います。また、有罪・無罪の判断に加わらないにも拘わらず、裁判官の役割の重大さも痛感しました。

なお、それぞれの州や連邦により多少違いますが、基本的には陪審員制度を利用するかどうかは被告が選択することです。被告が利用したくない場合は、裁判官が判決を下します。

MWW

11:09 PM  
Anonymous Anonymous said...

>基本的には陪審員制度を利用するかどうかは被告が選択すること

そうなのですか。存じませんでした。

>一般人の常識を高く買いたい

一種のwikipedia型と言っていいかもしれませんね。ぴったり来る言葉を思いつきませんが・・・"集合知"?
いずれにしても他人の尻馬にのっっかって「人民裁判」に荷担するような真似だけはするまい、と思っております。

10:08 PM  
Blogger Mark Waterman said...

求道士さま

「一般人の常識を信じない人」は裁判官にまかせます。しかし、わたしがあるブロッグ(http://www3.zero.ad.jp/ryunakamura/)に投稿したように、下級の裁判官は役人です(上級は選挙)。判事の独立性といっても勢い「官」すなわち「警察・検察」の側に立ちがちです。

以下>印は、そのブロッグに投稿した文章の一部ですが、URLでうまく出ませんので、貼り付けました。

>日本の警察―検察―裁判官が、果たしてマスコミ等で言われているほどひどいのかどうか、一概には信じかねるが(警察官のすべての取調べがそうではないという証拠はある)、さもありなんとも思わざるをえない事例も数多く聞いた。また、原理的に警察と検察は一枚岩であろうが、裁判官までグルでは救われない。

>またまた私事で恐縮ながら、私はアメリカで一度だけ裁判をした。ちょっとした交通違反だが、腑に落ちない嫌疑なのでその警察官と争う(contest 動詞)ことにした。友人は皆、「止めとけ、止めとけ、裁判官は必ず警官の言い分を取るものだ」と言う。

>なぜ止めたほうが得か。もし戦って負ければ、罰金を払うほかに、交通規則クラスを受講しさいすれば保険会社に通報しない(通報されると保険金が上がる他、種々の不利益が出る)という特権を失い、交通違反点が記録される。しかし、悪うございましたと認めれば罰金だけで済む。

>裁判自体にお金はかからない。裁判官は本物の裁判官で、日本のように資格のある事務官が代理ですることはない。この程度の裁判に陪審員などいないから、裁判官の心証にすべてがかかっている。また、裁判を希望してラッキーなこともある。もし、当の警官がやむなく裁判に欠席してくれれば、私の勝ちが無条件で保障される。

>残念ながら、件の警官は法廷に現れた。お互いに黒板を使って己の正しさを判事の前でプレゼンしたわけだが、前評判の通り、結局のところ警官の言い分が認められ(それこそ99.9%警官の勝ちだと複数の友人に忠告されていた)私は有罪。警官は鼻の穴を益々大きくして意気揚々と引き上げていった。

>彼の退廷後、判事から私に事務的手続きの言い渡しの後、私はふと「アメリカに正義が残っていないはずはない。アピールする」と口走った。すると、この判事殿、しばらく私を見つめた後、「貴君の有罪は動かないが、確かに判然としない部分もあるので、特別に交通規則クラスの受講資格を与え、罰金は全額免除とする」と言うではないか。

>早速、事務官を法廷に呼び寄せ、この者(私)の処分は例外なのでそのように手続きするようにと指示を与えてくれた。この程度のことが上級審に行くことはないが、不服申し立てをして、当の裁判官を面倒なことに巻き込むことはできる。実は、そのときそんなことはあらかじめ知らなかったのだ。口から出まかせ。今になって、よくもそんな台詞が口から勝手に出たものだと、我ながら感心している。

>教訓。アメリカでも、独立であるべき裁判官が、一般市民より警官(お上)の言い分のほうを採用するのが普通。だから、裁判官を過信するな。一般市民でも、こいつは面倒になりそうな奴だと思ったら(保身のためか、可能的正義のためか、自信のなさからか、etc.)アメをくれて逃げる判事もいる。だから、ごね得はある。

>6年ほど前、パサデナ地方裁での出来事だ。

以上、わたしの経験でした。

MWW

9:17 AM  

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