What's Commentor, or Co-mentor?
コメンターとはこれいかに?
Commentor と打ち込むと commentator とコンピュータが勝手に直してくれる。然るに、「コメンター」という言葉が実在するらしい。日本語Wiki にだけ(日本語だけに決まっているが)この言葉があるのだ。以下にその説明を全文引用する。
英語にするに当たって、はたと困った。どう書くの?
とりあえず commentor がいいと思って試しに書くと、上記のような具合で commentator と自動綴り訂正機が働いてしまう。Co-mentor という洒落字も考えてみた。コ・メントァとは一緒に一人の学生の面倒をみる共同指導教官のことだ。Co-advisor ともいう。時によってはこちらがピッタリかもしれない。ともかく、まだ知らない人がいたら(←ひょっとして知らないのはオレだけ?)以下を読んでください。
コメンターとは、いわゆる「コメンテーター」とは異なる概念で、ブログの進化に伴って出現した人種のことを指す。
広義には、ブログにコメントを寄せる人のことをも含有しているともいえるが、一般的には、自分ではブログを開設せず(若しくは更新せず)、もっぱら他所のブログにコメントする人のことを指す。別名「穴掘り人」。
ブログは、更新し続けなければ集客がままならないものでもあり、加えて、コメントを寄せてくれた客のブログをも巡回、コメントしなければ礼儀を欠くという、煩わしい面もある。よって、ブログ運営によって生じる負担の重さから、閉鎖、休業を宣言するブログを目にすることも多々ある。
このような弊害を避けつつブログライフを満喫するために、敢えて自らのブログを設けず(若しくは更新せず)、他所のブログの面白い記事を見つけて、そこにコメントしてまわることを主たる活動とする「コメンター」という人種が出現するに至った。
中には、特定の記事のコメント欄に住み着いて個人的な「ブース」のようなものを構築し、あたかもそこの主であるかのように振舞うコメンターも存在する。このようなコメント欄は「コメント穴」と呼ばれ、ここにコメントを投稿することを「穴掘り」などと称する。
使用例 「今日もごっつ穴掘りするだっぺ」⇒「今日もたくさんコメント入れるぞ」
この言葉を偶然見つけたのは、あるブログにコメントしようとしていたときだった。前にコメントを受け付けないブログのことを書いたが、今度はコメントできるというのでしようとすると、会員登録してくれというメッセージに遭遇してしまった。登録は無料だというが、いかにもみみっちい。島国根性のブログだと思った。そんなプログにコメントしてやるか、けちんぼ!
考えてみたら、人に見せるためのプログなのに管理者がそんな根性じゃ利用者は不利益を被るじゃないか。コメントはもらったほうがブロッガーのためになるのだ。なにしろ Co-Mentor なんだから。
間もなく、このブログを開いて1年になる。昨年のちょうど今頃は、自分のブログを持たずに、日本のサイトのあちこちに出かけてちょっかいを出していた。今考えると、「純粋なコメンター」だったらしい。そんなこととはつゆ知らず、自分でこれは fair ではないなと思って、他人が私のところに押しかけられるように日本語サイト(ブログ)を開いたのである。
しかし、ご覧のとおり、アメリカのグーグルブログであり、アメリカのブログ習慣に馴染んでいるので、未だに様子が解せないところがある。例えば、トラックバックだが、私のブログもその機能をオンにすることはできる。しかし、普通、アメリカの学者はやらない。ヘンテコな、ときには卑猥な紐が付いたりするからだ。そんなことをして無意味なアクセス数を誇っても何の役にも立たない。
日本では、学者さえ匿名でブログをしているのにも驚いた。キルケゴールにでもなったつもりなのか。あるいは、単に自信がないのか。それほど、日本の社会はしがらみが強すぎるのか。もっとも、小谷野氏とW氏の阪大事件のようなことが日常の野蛮な世界なら仕方があるまい。
さて、日本語Wikiの(しつこいが、これは日本語だけだからね)コメンターの定義によると、自分のブログを持っていても更新せずに、他でコメントばかりしているのはコメンターらしい。すると、私の場合はどうか。更新は割合にしているほうだと思う。しかし、コメントのほうが多いかもしれない。しかも多くの場合、私のコメントは長い文章になり、時には元ブログの記事より長かったりする。
本当によくあちこちにコメントしている。しかし、自ずと対象は私の関心に限られてしまうので、たいていの場合、友だちの友だちは友だちということで、関連ができてしまう。どういうわけか、多くのブログ友だちは皆懐の広い方々で、私の不躾なコメントにも丁寧なレスをくださったり、黙って温かく見過ごしてくださる。これは本当に感謝である。(怒ったブロッガーに消去されたことも一、二度あるが、それはそれ。)私自身もできる限りレスも書くし、広くコメントや反論をいただきたいと思っている。
今、考えていることがある。この1年、ブロッガーとして、また「コメンター」として、書きに書いた。同じエネルギーを本職の論文や著作に換算すればどうだったろうか、という反省である。しかし、反省は反省で、まだ懲りてはいない。この1年のブロッガー+コメンター生活から、世界に友人ができたし、何にもまして専門馬鹿に閉じこもらない刺激も受けた。
友人の多くは学問の世界の人ではなく、したがって匿名の人が多い。しかし、この匿名の方々は、私の意識と心と魂の中では、実にリアルに生きている現実の実名の友人だ。このコンピュータのキーを通じて、彼らの温もりが伝わってくる気がしてならない。なんだか、1周年記念の挨拶のようになってしまったが、いよいよそろそろ1周年に近いという今夜、しみじみとそう思う。皆様に感謝!
2 Comments:
日本では、インターネット上で実名を使って物を書く人が少なく、学者でさえハンドルネームを使っているというお話は、とても面白く思いました。何となくそういう雰囲気に居心地の悪さを感じていた私がぼんやりと思っていたことは、やはり当たっていたのだと思って、面白く思っています。
ハンドルネームを使って(つまり匿名で)物を書いたからと言って、その人の発言が無責任だとは決して言えず、それどころか、匿名(ハンドルネーム)であるか実名であるかは関係なく、折り目正しい責任感ある発言をし続けている人がほとんどです。そういう人たちに、私は深く敬意を表します。
でもその一方、匿名(つまりハンドルネーム)であることを変に利用して、他人を無責任に批判し、自分の立場が悪くなると、元の通り匿名の無責任性の彼方に消えていかれる人々が大勢います。その人たちに激しい怒りを感じます。私は、数百人の人々から、匿名(ハンドルネーム)で不法な批判、罵倒、皮肉、いやみの攻撃を受けてきました。それにつくづく嫌気が差し、なるべく実名で物を書いている人の記事しか読まないようになりました。
またもや、お目汚しの文章を書いてしまいました。ではまた。
南都隆幸
Takayuki Nanto
Osaka, Japan,
The Quintessential City of Angels
南都様
そうですね。既に過去のエントリーでも南都様と同趣旨のことを書きました。匿名は匿名で構わないと思っています。
私も実はコメントに関しては、私的に非常に近い人の場合、こちらというよりは先の人の気持ちを思って(業界用語で pastoral care と言いますが)匿名で元気づけたことがあります。匿名の効用はそのほかにもあると思います。
過去記事へのコメントですが、こちらでは特別に昔の記事の場合、最新の記事のほうにその旨断って書くことがあります。そのほうが皆が読んでくださるからです。
またおいでください。MWW
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