Thoughtfulness of Translation and the Foolphilia of Theologians
翻訳の気遣いと神学者の道化愛好趣味
昨日は朝早くからサンディエゴに行き友人宅で用事を済ませ、帰りには日系の友人の四九日(仏教式)に顔を出してきた。帰りの渋滞と寝不足で運転をギヴアップ、途中でコーヒーとポップコーンを買って休んだがどうにも後頭部が変な感じなので、後は細君に任せて助手席でうとうと。疲れた。朝は教会に行きたくなかったもんね。一応、行ったけど。というわけで、今日も軟派でPG13。
まず朝、あとサンディエゴまで40マイル(60キロ)というところに休憩所がある。カリフォルニアのフリーウェイ(高速道路)は、本当にフリー(無料)。休憩所には何でもある。朝早いのに行楽の客なのか意外に混んでいたが、早起きは三文の得。10セント玉を見つけて喜んで拾う。我が家は旧約聖書の教え(短いから『ルツ記』でも読んでごらん)に従って、自分が拾うべきでない落穂は拾わない。つまり、私の実入りに合わせると10セント以上なら拾ってよいが、1セントか5セントなら拾わずホームレスの人に拾わせる。
10セント以上といっても、千ドルも落ちていたら警察に届けなければいけないだろう。百ドルなら素早く足で踏んづけて靴紐を直すふりをして拾う。もちろんネコババする。50ドルくらいどっかに寄付して、あとの50ドルは、わーい、細君と手を取り合って喜んで、神様感謝します!(神様ごめんなさいとは言わない。)しかし、一度もそんな良い目に遭ったことはない。拾ってみたい!!
そして、10セントを拾ってふと目を上げると、目の前に自動販売機がたくさん並んでおり、真ん前の陳列棚にコンドームがあるではないか。さては、奴さん、慌てて買って10セント落としても気づかなかったな。こんなものまであるくらいだから、自動販売機には何でも揃っていた。2ドル50セントのサンドイッチが美味そうだったが、2ドル40セント足りないので、我慢して旅路を急ぐ。
さて、友人宅で用事を済ませ、軽い昼食をごちそうになりながら、神学者のお馬鹿さん愛好癖に話が及ぶ。写真は、その Del Coronado の友人宅(実は夏用の別荘)から、ヨットハーバーを見下ろしているもので、遠くに San Diego のダウンタウンのビル群が見える。ここから、南(写真の右手)に車で10分も飛ばせばメキシコとの国境だ。
そのお馬鹿さんとは、前にも紹介したサンタバーバラの Birger A. Pearson 博士のこと。クレアモントから出した The Gospel According to the Jesus Seminar という、まぁ、読みようによっては為にもなるが、この本自体お馬鹿さんそのものという小冊子がある。市販されていないので日本ではなかなか入手できないだろうが、その道の人は目にしているかもしれない。なお、Jesus Seminar というのは史的イエス研究者の間では、ある意味というか変な意味で有名なのだが興味があったら Wiki でも見て欲しい。
この本の中でピアスン先生がどんな馬鹿をしているかというと、犬儒派の哲人ディオゲネス(シノぺのディオゲネス)を紹介するにあたって、必要もないのにPG13の紹介をしているのだ。この話はもともとディオゲネス・ラエルティオス(犬儒派のシノぺのディオゲネスとは別人)が書いた『ギリシア哲学者列伝』(6.46)の中で紹介されたものだが、岩波書店から私もお世話になったことのある加来彰俊教授の訳で出ているはずである。加来先生はどのように訳されたか残念ながらわからないのだが、ピアスン先生は次のように訳した。(本当は、ピアスン先生がギリシア語から訳した英文のままがいいのだが、英語だとなんとなくまずい気がするので、私がなるべく忠実な日本語にしてしまうことにした。)
あるとき、市場で[公然と]手淫をしながら、彼[シノペのディオゲネス]がこういった。「あぁ、[オチンチンでなく]腹をこうやって擦っただけで[性欲でなく]空腹も癒されたらなぁ。」
ピアスン先生は、ギリシア語が得意だから、こんなふうに訳すだけでは収まらない。Loeb 古典選集のR.D. Hicks は「無作法なな行為をしながら "behaving indecently"」なんて惚けた訳をしているが、χειρουργων という原語は文字通りなら「手で仕事しながら "working by hand"」という意味であるから、つまり「手淫しながら "masturbating"」ということである、などとやってしまう。本当は、こんな説明が必要な脈絡などありはしないのにだ。それに、Hicks 先生は翻訳上の気遣いからなるべく婉曲に表現しただけである。
しかし、この場合、Hicks の訳なら、へー、何をしていたんだろう、と想像力を逞しくせざるをえないが、C.D. Yonge は実際に直訳して「手仕事をしながら "doing manual work"」としているから、何か手で内職でもしていたんだろう、と軽く読み進むことにはならないだろうか。(そんなわけないか。)
余談になるが、翻訳というのは、訳す言葉と訳される言葉を知っていればいいというわけではない。二つの言語の文化的な背景や、さまざまな状況に応じた機転や気遣いも必要だ。先日のこと、ある日本語ブログにコメントしたときのことだが、珍妙な訳(英語→日本語)に出会ったので、なるべく原文の意味に近い日本語に直したことがある。ついでに、きっとこの訳はプロの翻訳家でなく英文学者でしょう、とコメントした。折り返しのレスによると、その珍妙な訳の訳者は、私の予想通り英文学者だった。英文学者って、意外と英語ができないものです(many, but not all)。あっ、「英語」学者でなくて英「文学者」でしたね。失礼!
最後におまけ。神学者のお馬鹿さん愛好者ということで、先般マーク・グッドエイカー先生のブログのフェミニズムポイントを紹介したが、グッドエーカー博士さん、今度は自分がイギリス人だかなんだか知らないが、我が息子ブッシュ大統領を無意味に揶揄しているビデオを紹介していたので、一言申し上げた。こちらはできるだけやんわりとバカにしてやったら、それには知らんぷりしながら開き直りおった。どちらも、超短い言葉で遣りあったので、よろしかったら、そのビデオと一緒にコメントとレスの遣り取りを見てください。
昨日は朝早くからサンディエゴに行き友人宅で用事を済ませ、帰りには日系の友人の四九日(仏教式)に顔を出してきた。帰りの渋滞と寝不足で運転をギヴアップ、途中でコーヒーとポップコーンを買って休んだがどうにも後頭部が変な感じなので、後は細君に任せて助手席でうとうと。疲れた。朝は教会に行きたくなかったもんね。一応、行ったけど。というわけで、今日も軟派でPG13。
まず朝、あとサンディエゴまで40マイル(60キロ)というところに休憩所がある。カリフォルニアのフリーウェイ(高速道路)は、本当にフリー(無料)。休憩所には何でもある。朝早いのに行楽の客なのか意外に混んでいたが、早起きは三文の得。10セント玉を見つけて喜んで拾う。我が家は旧約聖書の教え(短いから『ルツ記』でも読んでごらん)に従って、自分が拾うべきでない落穂は拾わない。つまり、私の実入りに合わせると10セント以上なら拾ってよいが、1セントか5セントなら拾わずホームレスの人に拾わせる。
10セント以上といっても、千ドルも落ちていたら警察に届けなければいけないだろう。百ドルなら素早く足で踏んづけて靴紐を直すふりをして拾う。もちろんネコババする。50ドルくらいどっかに寄付して、あとの50ドルは、わーい、細君と手を取り合って喜んで、神様感謝します!(神様ごめんなさいとは言わない。)しかし、一度もそんな良い目に遭ったことはない。拾ってみたい!!
そして、10セントを拾ってふと目を上げると、目の前に自動販売機がたくさん並んでおり、真ん前の陳列棚にコンドームがあるではないか。さては、奴さん、慌てて買って10セント落としても気づかなかったな。こんなものまであるくらいだから、自動販売機には何でも揃っていた。2ドル50セントのサンドイッチが美味そうだったが、2ドル40セント足りないので、我慢して旅路を急ぐ。
さて、友人宅で用事を済ませ、軽い昼食をごちそうになりながら、神学者のお馬鹿さん愛好癖に話が及ぶ。写真は、その Del Coronado の友人宅(実は夏用の別荘)から、ヨットハーバーを見下ろしているもので、遠くに San Diego のダウンタウンのビル群が見える。ここから、南(写真の右手)に車で10分も飛ばせばメキシコとの国境だ。
そのお馬鹿さんとは、前にも紹介したサンタバーバラの Birger A. Pearson 博士のこと。クレアモントから出した The Gospel According to the Jesus Seminar という、まぁ、読みようによっては為にもなるが、この本自体お馬鹿さんそのものという小冊子がある。市販されていないので日本ではなかなか入手できないだろうが、その道の人は目にしているかもしれない。なお、Jesus Seminar というのは史的イエス研究者の間では、ある意味というか変な意味で有名なのだが興味があったら Wiki でも見て欲しい。
この本の中でピアスン先生がどんな馬鹿をしているかというと、犬儒派の哲人ディオゲネス(シノぺのディオゲネス)を紹介するにあたって、必要もないのにPG13の紹介をしているのだ。この話はもともとディオゲネス・ラエルティオス(犬儒派のシノぺのディオゲネスとは別人)が書いた『ギリシア哲学者列伝』(6.46)の中で紹介されたものだが、岩波書店から私もお世話になったことのある加来彰俊教授の訳で出ているはずである。加来先生はどのように訳されたか残念ながらわからないのだが、ピアスン先生は次のように訳した。(本当は、ピアスン先生がギリシア語から訳した英文のままがいいのだが、英語だとなんとなくまずい気がするので、私がなるべく忠実な日本語にしてしまうことにした。)
あるとき、市場で[公然と]手淫をしながら、彼[シノペのディオゲネス]がこういった。「あぁ、[オチンチンでなく]腹をこうやって擦っただけで[性欲でなく]空腹も癒されたらなぁ。」
ピアスン先生は、ギリシア語が得意だから、こんなふうに訳すだけでは収まらない。Loeb 古典選集のR.D. Hicks は「無作法なな行為をしながら "behaving indecently"」なんて惚けた訳をしているが、χειρουργων という原語は文字通りなら「手で仕事しながら "working by hand"」という意味であるから、つまり「手淫しながら "masturbating"」ということである、などとやってしまう。本当は、こんな説明が必要な脈絡などありはしないのにだ。それに、Hicks 先生は翻訳上の気遣いからなるべく婉曲に表現しただけである。
しかし、この場合、Hicks の訳なら、へー、何をしていたんだろう、と想像力を逞しくせざるをえないが、C.D. Yonge は実際に直訳して「手仕事をしながら "doing manual work"」としているから、何か手で内職でもしていたんだろう、と軽く読み進むことにはならないだろうか。(そんなわけないか。)
余談になるが、翻訳というのは、訳す言葉と訳される言葉を知っていればいいというわけではない。二つの言語の文化的な背景や、さまざまな状況に応じた機転や気遣いも必要だ。先日のこと、ある日本語ブログにコメントしたときのことだが、珍妙な訳(英語→日本語)に出会ったので、なるべく原文の意味に近い日本語に直したことがある。ついでに、きっとこの訳はプロの翻訳家でなく英文学者でしょう、とコメントした。折り返しのレスによると、その珍妙な訳の訳者は、私の予想通り英文学者だった。英文学者って、意外と英語ができないものです(many, but not all)。あっ、「英語」学者でなくて英「文学者」でしたね。失礼!
最後におまけ。神学者のお馬鹿さん愛好者ということで、先般マーク・グッドエイカー先生のブログのフェミニズムポイントを紹介したが、グッドエーカー博士さん、今度は自分がイギリス人だかなんだか知らないが、我が息子ブッシュ大統領を無意味に揶揄しているビデオを紹介していたので、一言申し上げた。こちらはできるだけやんわりとバカにしてやったら、それには知らんぷりしながら開き直りおった。どちらも、超短い言葉で遣りあったので、よろしかったら、そのビデオと一緒にコメントとレスの遣り取りを見てください。
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