Dr. Waterman's Desk

An old desk of an American theologian ("日本語" speaker) / Check out another blog please "Comments by Dr Marks"

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American citizen but a foreign native born in southern Germany, raised in northern Japan. He holds a Ph.D. degree in biblical theology (Center for Advanced Theological Studies, Fuller Theological Seminary). Dr. Waterman mainly lives in Los Angeles, California. He studied various subjects (philosophy, sociology, etc.) and languages in Japan and in America (Hirosaki University, University of Tokyo, Fuller Theological Seminary, and other institutions). Email: markwaterman(at)fuller(dot)edu. Some call him "Dr. Marks".

Monday, September 03, 2007

Hoffmann and Harnack's Porphyry

ホフマンとハルナックのポルフィリオス

〔ご注意〕このエントリーのポルフィリオスは4世紀のガザ市(パレスチナ)の司教である聖ポルフィリオスとは別人です。 ポルフィリオスは ギリシア語での発音 (Por-phyrios) でポルフィリウス (Porphyrius) とすればラテン語発音になります。なお、英語の一般的な綴り Porphyry はポーフ(ィ)リーと発音し、初めのポーを強く発音します。

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やたらとカタカナが並んですまない。あがるまさんに R. Joseph Hoffmann を教えてもらったと言われたので、気をよくしてもう少し書いちゃう。と言っても、どこかの国の誰かさんたちみたいに専門でもないのに専門家のふりはしたくないので、初めに断っておくが、この時代のキリスト教史は私の本当の専門よりは少し下った時代であり、あまり詳しくはない。

それではなぜ書くかというと、先のエントリーあるこじつけ話との関連でもう一つ こじつけちゃおうという腹と、このホフマン先生は、ジーザスセミナーの Robert Funk 先生がいない今、このグループの新しいリーダーとして (もちろん色合いはかなり異なるが)ますます表に出てきそうな予感がするからだ。(なにしろハーヴァードとオックスフォードの両方出てるっちゅうことはファンク先生とは大違いだもんね。多くの学者も名前に弱い。だけど、この先生ファンク先生ほどの人望があるかな。←こんなこと日本語で書いてずるいかな。)

先のエントリーでは、ホフマンの博士論文『マルキオン』がハルナックの『マルキオン』と関係があるという話をしたが、今度のホフマンの『ポリフィリオス』(Porphyry's Against the Christians, 1994)もハルナックの『ポリフィリオス』に影響を受けている。どうもホフマンさん、生きている先生より物言わぬ先生が好きなのではないか。アメリカ式の大学院なら指導教官の濃い影響を受けるが、イギリスなら勝手に書かせるのでオックスフォードに行った(?)。

私の調査が不完全かもしれないが、ポリフィリオスについては日本語文献が少ないはずなので簡単に説明する。この人は日本語の聖書でツロ(英Tyre)と呼ばれるレバノンの港町の生まれだが、アテネでプロティノスの下で修行した3世紀の哲学者である。プロティノスの Enneads を編集しており、高弟であったろう。オリゲネスが論駁しているケルソスと同時代人で、反キリスト教ということでも共通するが、少なくともホフマンによれば、数段ケルソスを凌ぐそうだ。(なお、このケルソスは私が数か月前に批判した「イエスの父親はローマ兵のパンテラ」という馬鹿話をした一人でもある。)

このポリフィリオス(Porphyry Malchus)は、よほど嫌われた(ということは手ごわい)反キリスト教論者だったらしく、彼の主著『反キリスト者』を含め著作は 448 年に焚書の命令にあい、残存しなくなった。ところが、4世紀の護教家マカリオス(Macarius Magnes)の著作 Apocriticus に出てくる反キリスト教論者ではないかということが、再発見の19世紀後半から話題になった。この本はヴェニスにあるはずのものだったが何世紀も行方不明であった。ところが、1867年になってアテネで発見されることになり、がぜんドイツの学者を中心に研究が進み、そこでマカリオスが引用している文章 Apocriticus こそポルフィリオスの『反キリスト者』ではないかということになった。

ハルナックは自分で注釈をほどこし、ポルフォリオスに間違いないと太鼓判を押したのだが、ホフマン先生も自分で訳し、ハルナック同様ポルフォリオスのものと考えて注釈を与えている。エウセビウス(エウセビオス)の『教会史』の記述にも符合し、間違いなしというのが有力らしい(私は判断できん)。

読んでみると面白い。悪霊のレギオンが2000匹の豚に乗り移らせてくれと願う話(マタイ伝5章)については、さまざまな矛盾点や不合理を説明した後、最後の締め括りに、「この話をガキどもに聞かせて、ホントかウソか聞いてみな」とやるし、体の復活というところでは、だいたい神様が自然界に特殊な介入(死んだ者を生き返らす)を許すのがおかしいとしたあと、おちゃらけ話をいろいろしてくれる。

ある男が難破船で死んだ。その死体を魚が食べた。その魚を漁師たちが食べた。漁師たちは怒った犬たちに食べられた。その犬たちが死んだらば、ハゲタカに食べられた。ある男の体をどうやって集めて復活させるんだ? それに燃えちゃったら?(ふん、だから土葬か。)

「神は何でもできる」だと、そりゃ嘘だ。神が正義で理にかなったものなら、できないことがあるはずだ。詩人だったホメロスをいまさら詩人でないことにできるか、トロイが落城しなかったことにできるか、2かける2を4でなくて100にできるか、……。そんなことを<正しい>神様ができまい。だいたい、人類始まって以来の人間をすべて生き返らせたら、この地球が養えるのかい、えっ?

この程度の議論なら、それほど大したことはないと今なら言えるかもしれないが、キリスト教の世となった5世紀の為政者(そして聖職者は)は、害ありとして彼の本をみんな燃やしてしまったんだろうね。おかげでハルナックやホフマンがはしゃいでいるわけだが。

さて、あがるまさんが何と言ってくるか。

4 Comments:

Anonymous Anonymous said...

彼がアテネで師事したのはプロティノスと同じくAmmonios Sakkasの弟子のLonginos Dionysius Cassius(213-273)で、ロンギノスはプロティノスとは特に神との合一エクスタシーを認めない点で相異するさうです。
ポルフュリオスは262年30歳頃ローマに行きそこで20年来教へてゐたプロティノスの弟子となり、30年後にプロチノス死後著作を6x9=54編のエンエアデスとして編輯したことや、その伝記を書いたこと、また『ポルフュリウスの樹』と云ふ学問の系統図は良く知られてゐます。
またアリストテレスの12のカテゴリーを、類(genos), 種(eidos), 種差(diaphora), 属性 (idion), 状態 (symbebekos)の5つの概念(述語可能性)に分け、類概念は何等かの意味で実在するとした『イサゴーゲ - 論理学入門』のボエティウスのラテン語約により中世の普遍論争が始まつたことは有名です。

彼のキリスト教批判をR.J.ホフマン氏が重視するか理由は、Watermanさんの記事からは良く分りませんが、彼がアリストテレスを尊重する哲学者であり、世界は作られてものではなく永遠であると云ふことなどが原因でせうか?

彼の教説は:
<神的一者から、精神と魂が、この精神から物質が出現する。しかしそれらは形相無しにではないので、世界は永遠である。個別の魂は世界魂から出現する。個々の魂は非物質的で不滅の存在である(ストバイオス、I,818)。諸々の魂はその固有な理性の芽により認識する。悪はより低次元の魂の欲望により生ずる。最高の種類の徳は禁欲的な純化と魂の精神化である。魔術、占ひなどは価値がない。>ださうです(R.アイスラー、哲学者辞典)

神でも起こつた出来事をなかつたことにすることは出来ないと云ふのは、トマス?も云つてゐますね。

万能と云ふ観念は曖昧で魔術的な意味しか持ち得ない。キリスト教がイエスの個人的(超)能力に頼らうとしたのなら、ティラナのアポロニオスや何処かのシモンのやうな競争相手と同じことでしかない。
それにしても人間が同時に神であり、それが犠牲となつて死ぬことにより万人が救はれるなどと云ふことが、メタファーやお伽噺ではなく本当にあると今でも思つてゐる人がゐるのでせうか?

3:35 PM  
Blogger Mark Waterman said...

あがるまさん

皆のためになるコメントをありがとうございます。実は、『反キリスト者』を彼の主著などというと、哲学や科学史の分野から異議が出るのではないかと期待していたのですが…。異議ではありませんが、あがるまさんからのお話のとおり、この人はとても有名な秀才なのです。近代までは、彼の本が哲学史の基本的教科書といわれたほどです。

『反キリスト者』はともかく、その他の重要著作は中東で生き続けユダヤ人たちによってルネサンスのヨーロッパに逆輸入されました。面白い思想家だと思います。

ところで、「お伽噺」を信じているいる人がいるのですねー。私もその一人ですが、話の土俵が違うのですよ。ポルフィリオス(あがるまさんはポルフュリオスと発音していますが読者の皆様どちらでもいいのです)の議論は彼の土俵であり、我々とは違います。ホフマンは何とか同じ土俵に持ち込もうとしています。なかなかいい学者だと思っています。ただ、ちょっとお澄ましした書き方が読んでいてムズイ。

MWW

4:01 PM  
Anonymous Anonymous said...

猿と人間の混血児は出来ないのに、神と人間の間では可能であるならば、神は人間の一種であり、そこには程度の差しかない。

神人イエスは寧ろ哲学理論上の必要から要請されたもので、人間と云ふ存在者(規定されたもの)でありながら、同時にそれ自身を超へる働きであると云ふ二重の役割を負はされてゐる。比喩的に云へば「親であり子である」とか「母として死んでゐるが父として生きてゐる」とでも云ふことになる?
或いはそのやうな実際には実在し得ない怪物Zwitterwesenを神と呼ばせたのか。
まるで鏡を見てゐる自分自身を写す合はせ鏡のやうなもので、無限に入れ子として自分を反射(反省)する必要はないので、人間と神との2極に人為的に分裂させたものなのだらうか?

R.DawkinsのThe God Delusionなどをこのブロッガーはどう思つてゐるのか?

9:00 AM  
Blogger Mark Waterman said...

あがるまさん

神と人間の混血ですか。まさかナザレのイエスのことを言ってるのではないでしょうね。

Dawkins のことを言えば、Lewis Wolpert はいかがですか。彼はまだ生きていると思いますよ。

>実際には実在し得ない怪物Zwitterwesenを神と呼ばせたのか。

これは、実は、ユダヤ教徒の言い草なんです。ウォルパートは、16歳まで熱心なユダヤ教徒であったということではありますが。

MWW

11:36 AM  

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