Dr. Waterman's Desk

An old desk of an American theologian ("日本語" speaker) / Check out another blog please "Comments by Dr Marks"

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American citizen but a foreign native born in southern Germany, raised in northern Japan. He holds a Ph.D. degree in biblical theology (Center for Advanced Theological Studies, Fuller Theological Seminary). Dr. Waterman mainly lives in Los Angeles, California. He studied various subjects (philosophy, sociology, etc.) and languages in Japan and in America (Hirosaki University, University of Tokyo, Fuller Theological Seminary, and other institutions). Email: markwaterman(at)fuller(dot)edu. Some call him "Dr. Marks".

Wednesday, April 18, 2007

Arm against Arms!

武器に対して武装せよ!

牧師もどきのくせに何を言うかと言われそうだが、久々のエントリーは短くこのことを訴えたい。わが加州選出の民主党上院議員ダイアンおばさんの「いまこそ銃規制を!」は間違っている。 Armed response (武器による反撃)なしに、ヴァージニアのようなたった一人による大量殺戮は防げない。

武器をいくら制限(gun control)しても、銃による犯罪が無くなるどころか被害をますます拡大するばかりだ。武器制限なら100%実施の日本で、長崎市長が殺されたではないか。そばにアメリカの銃を持ったボディーガードがいたとしたらどうだろう。やすやすと殺されてはいなかったのではないだろうか。

これが西部劇の時代なら、ヴァージニアのあの気違い学生も、一人か二人を殺した段階で誰かに逆に射殺されていたはずである。私は散弾銃とピストルを所有しているし、ピストルは枕元にいつもあるが、あくまでも自宅への不法侵入者(強盗)対策にすぎない。(私有地への不法侵入者には警告の上なら射殺しても構わないのが、ほとんどの州の法律だ。)

腕がなまらないように年に一度程度の練習に行くときは、州と市の規定で弾を込めずに別々にして車に入れる。だから、銃所有の許可があっても外では緊急の役には立たない。もっとも、市に申請して認められれば、弾を込めたピストルを所持して出歩くことはできるが、わたしは実際はいろいろな学校に赴くことが多く、持ち歩くのは面倒なので申請はしていない。つまり、弾を込めた銃の携帯を認められても、一般市民は学校への銃の持込が加州では禁止なのだ。おまけに高校までの学校では、警備員まで銃は持っていない! (大学以上のキャンパス・ポリスしか銃を持っていない。)銃を持った暴漢が現れたら、どうやって応戦するつもりか!! (ヴァージニア州のあの大学では、キャンパス・ポリスさえ銃を持っていなかったそうだ。)

銃を規制すればするほど、悪者が不正に入手し、善良な市民が毒牙にかかる。自己と社会の防衛のために、誰でも銃で武装できるのが、この国の初めからの精神だったのに…。殺された方々、そしてそのご家族や友人を思うとやりきれない。

終りに、わたしの意見の反対者のためにも、一つ真面目な賛否両論が載っているサイトを紹介しておこう。(http://www.youdebate.com/gun_control.htm

2 Comments:

Anonymous Anonymous said...

なんという暴論、矛盾に満ちた議論だろう。学者の言葉とは思えない。「ヴァージニアのあの気違い学生」と言い放っているが、銃を所持した「善良な市民」のあなた自身がいつ狂気に走って大量虐殺を行うかも知れない、それが銃規制のなくなった社会だろう。長崎市長射殺事件との比較も滅茶苦茶だ。「そばにアメリカの銃を持ったボディーガードがいたとしたらどうだろう。やすやすと殺されてはいなかったのではないだろうか」とあるが、アメリカではこの種の事件は起きないとでもいうのだろうか。銃規制の強い社会と弱い社会のどちらが平和かは、アメリカと日本の現状をみれば一目瞭然というのに。牽強付会も甚だしい。

4:00 AM  
Blogger Mark Waterman said...

bhk様

率直なコメントをありがとうございます。なかなか hk 様のようなかたはいらっしゃらないので心から appreciate いたします。

起こる起こらないではなく、<起こった場合を想定しての銃による武装>なのです。豊臣による「刀狩」以来、規制に慣らされている日本であろうが、起こるものは起こるのです。

確かに、hk さんがおっしゃるように、今は正常な者も「気違い」になるでしょう。そのようなことは何時でも何処でも起こりうるのです。そのときにこそ、まだ「正常な者が応戦」できなくてはなりません。応戦することなくみすみす殺させてはなりません。

今カリフォルニア州では大学のポリス(大学には大学専用のポリスが常駐します。これも日本と違いますね。)は銃を所持していますが、高校以下の警備員は銃を持っていません。また、先生と学生は何処であれ今は銃を学校に持ち込めないことになっています。ですから、一旦、「気違い学生(あるいは教師、あるいは乱入者)」が現れても、応戦のしようがないのです。やすやすと殺されるしかないでしょう。(アメリカの学校の建物は日本より頑丈にできていますから、事が起こったことがわかれば、「ロックダウン」と言いますが、施錠をして室内に隠れる訓練をしています。しかし、気違いがすでに乱入した部屋では、逆に施錠されて逃れることなく殺されます。)

ようやく、パイロットは、一定の訓練を受ければ、銃を携帯できることになったことはご存知ですね。「テロリストや気違い」が乗ってくる可能性があるからです。「気違い」がいつやってくるかわからないのに、私は今、「銃の持込を禁止されている学校」に教師として丸腰で行かなければなりません。これはカタワな銃規制と思っています。学生を守るためにも、もっと自由に(もちろん適切な訓練をした上で)教師には持たせるべきです。

私は、今のアメリカの銃規制がいいと言っているのではなく、もっともっと銃の所持を自由にしろと言っているのです。今のアメリカの銃規制は行きすぎです。

私のArm against Arms は、それが趣旨でした。もちろん、hk 様のように色々な意見や知恵はあるとは思いますが、だからといって私の意見が暴論で矛盾に満ちていますか?

MWW

8:45 AM  

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