Not "Mary Magdalene" but "Mary and Martha"
「マグダラのマリア」ではなく「マリアとマルタ」だ
約束したヤコブのことは捨て置いて、このところ病気の友人のところに何度も足を運んだり、その病院(LA downtown)から徒歩で帰宅したりと、健康にいいことに励んでいた。また、その間、イエスの墓に一緒にあったのはイエスの妻マグダラのマリアだとする、金儲けの動機で欲の皮のつっぱった者たちの出鱈目な話をあちこちで調べてみた。今日はそのことを取り上げる。ブロッグに書くことが、結局彼らの思う壺(話題づくりとPR)なのだが、日本ではまだ大騒ぎにならないうちに多少なりともワクチンをと思っている次第である。トップの写真は病院の6階から西を望んだもの。クリックすればだいぶ拡大する。真ん中に見える通り3番街を、西に向かって6マイル強(約10キロメートル)自宅まで歩いた。
まず、今までの記事で紹介したように “The Lost Tomb of Jesus” という映画を作ったグループ(Simcha Jacobovici ら)と “The Jesus Dynasty” の著者 James D. Tabor 博士らの学者グループが、イエス・キリストの(イエス本人を含めた)家族の墓を発見したとのニューズが発端であった(サイトA:http://dsc.discovery.com/convergence/tomb/explore/explore.html)。しかし、わたしはそれより先に、このブロッグでタボール(テイバー)博士の胡散臭さを紹介し、イエスの兄弟姉妹を話題にしてきたので、今また乱暴者たちがマグダラのマリアを強引にイエスの妻にしてしまう話への警告は、それほど唐突でもなかろう。
さて、この墓というのは、今発見されたものではない。エルサレムの近郊南東に位置する地域タルピオット Talpiot(サイトB:http://en.wikipedia.org/wiki/Talpiot)で1980年に発見されたものである(サイトC:http://en.wikipedia.org/wiki/Talpiot_Tomb)。上記のサイトAで、マグダラのマリアの骨壷として紹介されているものが今回のテーマである。
ここで見つかった7つの骨壷のうち、これだけがギリシア文字で書かれている(他はヘブル文字)。読み取るとMARIAMENOU-MARA または MARIMENE E MARA と読むと仮定しての議論が彼らのものである。意味はマリアメネのマラまたはマリアメネすなわちマラとなるが、マリアメネはマリアムネの変形である。問題はマラであるが、マラとはアラム語(ヘブル語の一種)で首領のことであり、マリアメネは初期キリスト教との指導者だと彼らは推測する。MARA は男性形であるが、マリアメネは男勝りであるから彼らによると不都合はないそうだ。この首領のマリアムネ(=マリア)がマグダラのマリアだそうな。
彼らは、ハーヴァード大学の François Bovon 博士を引き合いに出して、このマリマメネすなわちマリアムネはマグダラのマリアであると主張している。確かに、ボヴォン博士は、非正典である「ピリポ行伝」(Acts of Philip)のマリアムネがマグダラのマリアであると言ったが、それはこの「ピリポ行伝」の中では<マリアムネ=マグダラのマリアだよ>ということであり、史的マグダラのマリアがマリアムネという二つ名を持っていたと言っているわけではない。この重大な違いを、彼らは意識的にか無意識にか混同している(あるいはさせている)。
それはともかく、骨壷の刻印は果たして上記のように読むのであろうか。古文書は誰かに読んでもらって(判読してもらって)も難しいものだが、やはり人に判読してもらうのではなく、自分で判読する必要がある。古代の文字は(現代でも本質は同じだが) 結構短い周期で書体の流行が変わる。素人考えではまさかと思うかもしれないが、その変化で年代を特定するのである。C14による炭素年代測定もあるが、それは筆記用具の年代はわかっても書かれた年代を示すものではない。もちろん、個人の書き癖もあるが、日本語の手書きでも1900年ごろと2000年ごろでは一般的な傾向の違いがあることは異論がなかろう。
以下の議論は、ギリシア文字の形がテーマになるので、ギリシア文字になじみのない方には申し訳ない。しかし、知らなくてもなるべくわかるように説明する。知っている人は、以下のサイトを参照してください。
約束したヤコブのことは捨て置いて、このところ病気の友人のところに何度も足を運んだり、その病院(LA downtown)から徒歩で帰宅したりと、健康にいいことに励んでいた。また、その間、イエスの墓に一緒にあったのはイエスの妻マグダラのマリアだとする、金儲けの動機で欲の皮のつっぱった者たちの出鱈目な話をあちこちで調べてみた。今日はそのことを取り上げる。ブロッグに書くことが、結局彼らの思う壺(話題づくりとPR)なのだが、日本ではまだ大騒ぎにならないうちに多少なりともワクチンをと思っている次第である。トップの写真は病院の6階から西を望んだもの。クリックすればだいぶ拡大する。真ん中に見える通り3番街を、西に向かって6マイル強(約10キロメートル)自宅まで歩いた。
まず、今までの記事で紹介したように “The Lost Tomb of Jesus” という映画を作ったグループ(Simcha Jacobovici ら)と “The Jesus Dynasty” の著者 James D. Tabor 博士らの学者グループが、イエス・キリストの(イエス本人を含めた)家族の墓を発見したとのニューズが発端であった(サイトA:http://dsc.discovery.com/convergence/tomb/explore/explore.html)。しかし、わたしはそれより先に、このブロッグでタボール(テイバー)博士の胡散臭さを紹介し、イエスの兄弟姉妹を話題にしてきたので、今また乱暴者たちがマグダラのマリアを強引にイエスの妻にしてしまう話への警告は、それほど唐突でもなかろう。
さて、この墓というのは、今発見されたものではない。エルサレムの近郊南東に位置する地域タルピオット Talpiot(サイトB:http://en.wikipedia.org/wiki/Talpiot)で1980年に発見されたものである(サイトC:http://en.wikipedia.org/wiki/Talpiot_Tomb)。上記のサイトAで、マグダラのマリアの骨壷として紹介されているものが今回のテーマである。
ここで見つかった7つの骨壷のうち、これだけがギリシア文字で書かれている(他はヘブル文字)。読み取るとMARIAMENOU-MARA または MARIMENE E MARA と読むと仮定しての議論が彼らのものである。意味はマリアメネのマラまたはマリアメネすなわちマラとなるが、マリアメネはマリアムネの変形である。問題はマラであるが、マラとはアラム語(ヘブル語の一種)で首領のことであり、マリアメネは初期キリスト教との指導者だと彼らは推測する。MARA は男性形であるが、マリアメネは男勝りであるから彼らによると不都合はないそうだ。この首領のマリアムネ(=マリア)がマグダラのマリアだそうな。
彼らは、ハーヴァード大学の François Bovon 博士を引き合いに出して、このマリマメネすなわちマリアムネはマグダラのマリアであると主張している。確かに、ボヴォン博士は、非正典である「ピリポ行伝」(Acts of Philip)のマリアムネがマグダラのマリアであると言ったが、それはこの「ピリポ行伝」の中では<マリアムネ=マグダラのマリアだよ>ということであり、史的マグダラのマリアがマリアムネという二つ名を持っていたと言っているわけではない。この重大な違いを、彼らは意識的にか無意識にか混同している(あるいはさせている)。
それはともかく、骨壷の刻印は果たして上記のように読むのであろうか。古文書は誰かに読んでもらって(判読してもらって)も難しいものだが、やはり人に判読してもらうのではなく、自分で判読する必要がある。古代の文字は(現代でも本質は同じだが) 結構短い周期で書体の流行が変わる。素人考えではまさかと思うかもしれないが、その変化で年代を特定するのである。C14による炭素年代測定もあるが、それは筆記用具の年代はわかっても書かれた年代を示すものではない。もちろん、個人の書き癖もあるが、日本語の手書きでも1900年ごろと2000年ごろでは一般的な傾向の違いがあることは異論がなかろう。
以下の議論は、ギリシア文字の形がテーマになるので、ギリシア文字になじみのない方には申し訳ない。しかし、知らなくてもなるべくわかるように説明する。知っている人は、以下のサイトを参照してください。
いずれも Stephen J. Pfann 博士のもので、わたしや Mark Goodacre は彼の読み方が妥当であると思っている。(サイトDとEは同じ内容ですが、D の pdf 版のほうが鮮明です。)プファン博士はカリフォルニアで学んだ後、エルサレムで博士号を得て、現在は同市内のUniversity of Holy Land に所属している。余談だが、この大学の案内サイトには、日本語と韓国語版がある。
ギリシア文字を学んだことのない人も、サイトAとサイトDの骨壷の刻印を見てください。サイトAは小さくてわからないが、サイトDは拡大しているのでよくわかる。ここで、初めから7文字目までMARIAME(ギリシア文字でΜαριαμη)と読むのは彼らと同じだ。最後の2文字ME(μη)ははっきりしないと思うかもしれないが、この読みにまず間違いはない。次に最後の4文字MARA(Μαρα)も問題はないだろう。問題は、Nの鏡文字みたいなものと、その次の○、そしてこの○印の上に繋がった縦の棒、更にMの直前の短い縦の棒である。
わたしもこの拡大図を見たとき直ぐに、なんだこれはKAI(και)じゃないかと思った。KAIとは英語の and すなわち「並びに」という意味である。実は、プファン博士が引き合いに出したさまざまな同書体のKAIを見るまでもなく、よく見る筆記体のKAIなのである。
プファン博士は、この1行の刻印が二人の手になる筆記であると見る。例えば、アルファA(α)の文字は5回出てくるが、MARIAMEの2個のAとMARAの2個のA、更にKAIのAは全く違う。MARIAMEの場合は楷書体であり、MARAは筆記体である。また、KAIのAはKとIと強く結合した、行書あるいは草書化(合字化)したAである。つまり、MARIAMEの骨を納めた壺に、後にMARAを納めKAI'MARAと筆記体で書き足したと考えられる。一つの骨壷に二人以上の骨が納められるのはなにも珍しいことではない。
ところで、MARAのMの前の短い縦棒(')だが、これは文字ではなく、句読点のような表記記号である。古代のギリシア語使いは、単語と単語の間にスペースを入れて区別することをしなかった。スペースなしにびっしりと書き込まれるので、読むのも容易ではない。そこで、大事なところには、ここから別の単語だということをわからしめるために、小さな縦棒(Iより短い ' )を挿入したのである。
MARIAMEとはヘブル名MARIAM(MIRIAM)のギリシア語形で、Mary のことであるし、MARAは指導者などではなく、Martha のアラム語名の短縮形である。従って、この骨壷の主は、Mary と Martha だ。えっ、じゃ、あのベタニア村の姉妹マルタとマリア(例えばルカ伝10:38-42参照)なの?! ひょっとしたらそうかもしれない。しかし残念ながら、マリアとかマルタは日本名の「のりこ」さんとか「けいこ」さんと同じで、このペアで同じ骨壷に入っている例も珍しくないのである。
少なくとも、この骨壷が彼らの言うように「マグダラのマリア」と読み込むのは無理であることが、皆様おわかりでしょう。お休みなさい。
ギリシア文字を学んだことのない人も、サイトAとサイトDの骨壷の刻印を見てください。サイトAは小さくてわからないが、サイトDは拡大しているのでよくわかる。ここで、初めから7文字目までMARIAME(ギリシア文字でΜαριαμη)と読むのは彼らと同じだ。最後の2文字ME(μη)ははっきりしないと思うかもしれないが、この読みにまず間違いはない。次に最後の4文字MARA(Μαρα)も問題はないだろう。問題は、Nの鏡文字みたいなものと、その次の○、そしてこの○印の上に繋がった縦の棒、更にMの直前の短い縦の棒である。
わたしもこの拡大図を見たとき直ぐに、なんだこれはKAI(και)じゃないかと思った。KAIとは英語の and すなわち「並びに」という意味である。実は、プファン博士が引き合いに出したさまざまな同書体のKAIを見るまでもなく、よく見る筆記体のKAIなのである。
プファン博士は、この1行の刻印が二人の手になる筆記であると見る。例えば、アルファA(α)の文字は5回出てくるが、MARIAMEの2個のAとMARAの2個のA、更にKAIのAは全く違う。MARIAMEの場合は楷書体であり、MARAは筆記体である。また、KAIのAはKとIと強く結合した、行書あるいは草書化(合字化)したAである。つまり、MARIAMEの骨を納めた壺に、後にMARAを納めKAI'MARAと筆記体で書き足したと考えられる。一つの骨壷に二人以上の骨が納められるのはなにも珍しいことではない。
ところで、MARAのMの前の短い縦棒(')だが、これは文字ではなく、句読点のような表記記号である。古代のギリシア語使いは、単語と単語の間にスペースを入れて区別することをしなかった。スペースなしにびっしりと書き込まれるので、読むのも容易ではない。そこで、大事なところには、ここから別の単語だということをわからしめるために、小さな縦棒(Iより短い ' )を挿入したのである。
MARIAMEとはヘブル名MARIAM(MIRIAM)のギリシア語形で、Mary のことであるし、MARAは指導者などではなく、Martha のアラム語名の短縮形である。従って、この骨壷の主は、Mary と Martha だ。えっ、じゃ、あのベタニア村の姉妹マルタとマリア(例えばルカ伝10:38-42参照)なの?! ひょっとしたらそうかもしれない。しかし残念ながら、マリアとかマルタは日本名の「のりこ」さんとか「けいこ」さんと同じで、このペアで同じ骨壷に入っている例も珍しくないのである。
少なくとも、この骨壷が彼らの言うように「マグダラのマリア」と読み込むのは無理であることが、皆様おわかりでしょう。お休みなさい。
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