Dr. Waterman's Desk

An old desk of an American theologian ("日本語" speaker) / Check out another blog please "Comments by Dr Marks"

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American citizen but a foreign native born in southern Germany, raised in northern Japan. He holds a Ph.D. degree in biblical theology (Center for Advanced Theological Studies, Fuller Theological Seminary). Dr. Waterman mainly lives in Los Angeles, California. He studied various subjects (philosophy, sociology, etc.) and languages in Japan and in America (Hirosaki University, University of Tokyo, Fuller Theological Seminary, and other institutions). Email: markwaterman(at)fuller(dot)edu. Some call him "Dr. Marks".

Friday, October 06, 2006

Mr. Agaruma, Blogs, and Our Life

このブログの開設時に述べたこと(9・13付け "My friends, I'm here . . ." 参照)だが、日本語ブログをこの夏初めて訪れ、よせばいいのにあちこちでコメント(というよりは、愚痴)を述べ立てたので、罪滅ぼしのつもりでこのブログを立ち上げた。(立ち上げたはいいが、それほど訪問者はない。アメリカベースのブログホストを利用しているので、Yahoo Japan などで検索しても、Dr. Waterman はたくさん出てくるが、このブログには行き当たらない仕組みのようだ。訪問者の諸君、宣伝頼む!)

愚痴を述べたブログの主(いわゆる bloggers)は、おおむね私の好きなタイプの主たちだった。愚痴は言ったが、愚痴の真意が分かる人たちと思ったからだ。そうでなかったら、意味のない愚痴を言ったりするほどの馬鹿と自分自身を思っていないし、それほどの暇もない(Matthew 7:6, "Do not throw your pearls before swine")。面白いのは、良いブログには良い commentators がいた。"Birds of a feather flock together."

あがるま君もその一人で、あるブログでその主に怒られているのを発見した。怒ったブログの主も本当はとても心優しい人なので、その後は彼の真意が分かり、仲良く対話していた。それには私も安心した。今、「あがるま君」と言ったが、彼のネット上での正式名称は、単に「あがるま」の由。今まで私は Agalma とかAgaruma とか色々使ったのだが、エントリー(title)以外では、親しみを込めて-実際もう親しいと言っていいだろう、彼のほうはそのつもりでないとしても-今後こう呼ぶことにする。とは言っても、彼のことは何も分からない。第一、彼でなくて彼女かもしれないのだ。私が下手な紹介をするよりは、彼のコメントを読んでいただければよいだろう。

あがるま君の最近のコメントは、左のインデックスの Sig. Agalma をクリックオン

すればよい。ぞろぞろと出てくるはずだ。他のエントリーに対する過去のコメントもあるのでご覧ください。 ただし、歴史的仮名遣いが読めないと、読めないゾー。

彼のことはそれぞれ勝手に想像するとして、私のことはある程度明らかにしている。詳細な写真まで最初のエントリー(9.13付け "My friends, I'm here . . .")に付けた。経歴等は刊行書の著者紹介にあるし、このブログのプロファイルの欄はそういう情報を載せるのに都合よくできてはいない。私に連絡をとりたい人は、このブログへのコメントでもいいが、あちこちコメントした際に本当の e-mail address を残しているので、それを使われてもかまわない。他に私について何かを添えるとすれば、お互いの仕事に赴くとき以外は、妻と私はほとんど一緒ということである。近所の銀行にたまに一人で出かけると、行員に「今日はどうしたのか」とからかわれるほど、いつも一緒なのだ。

そんなおチャラケは置いておいて、あがるま君に戻るが、このあがるま君の一つの問題は、「権威順応主義」のような気がする。えっ、オレはその反対に位置するじゃないか!、と彼は言うかもしれない。しかし、以下に述べる意味ではそうなのだ。

私が訪れた諸々のブログのほとんどは、若い研究者か研究者の卵のブログだった。そこで見たものは、権威を笠に着ただけの不勉強の老害教授とか(うわー、スゴイことを言う!)、マスコミが自由と平等と平和の指導者(社会の木鐸だとー、ウソつけ!)と思い込ませる風潮に対し、意外と無防備に、あるいは無批判に、更には無邪気に、ステレオタイプの従順さで応じ、終には片棒を担ぐ姿だった。私に言わせると、政治的あるいは宗教的「極端主義観念論者」と少しも変わらない。(こういうのに限って、「日の丸のためなら命を捨てます」なんて学生に言わせたりして。「主義」などという屁のようなもので、死ぬなよ、殺すなよ。人間の最大の義務は、お迎えが来るまで生き抜くこと。どうせいつか死ぬんだから、それまで生き抜いてみせろ。)

だが、あがるま君はこういったものとは直接関係がない。しかし、新しい権威、すなわちネットから得られる情報の簡便さに頼り切っている。(すごいなあー、そんなこと言って大丈夫? 大丈夫、大丈夫、彼なら。)ひょっとしたらこれは、日本の教育現場の荒廃と無秩序の一つの結果かもしれない。(こちらは自信がない。あくまでも、ひょっとしたら。)つまり、彼は school-phobia だからだ。そこから抜け出さなければならない。抜け出たらかなり強くなる。(またまた、そんなことを言って、何が根拠? 根拠など何もない、直感。ただの直観。Dr. Waterman is very Thomistic. The man who is classified into this type of temperament usually has original minds and great drive for his own ideas and purposes. Intuitive, introvert, skeptical, critical, independent, sarcastic, sometimes stubborn plus timid. So is Sig. Agalma.)

私はあがるま君をキリスト教に改宗させるとか(意外や意外、ひょっとしたら幼児洗礼済みだったりして)、Dr. Waterman 主義にさせるとかは、毛頭思っていない。このブログでの対話を通じて、私自身が成長させてもらえればいいし(どうだ、謙虚だろう)、あがるま君の人生にも何か役立てればこの上ないと思っているだけだ。彼は(やっぱり、彼女かなあ)、観念的「辞」の遊びには、そろそろ陳腐さを覚えてきたような気がする。もう本物が欲しくなってきた。(骨董が好きなのでよく人に言うのだが、目利きになりたければ本物だけを見ればいい。数限りない偽物をいくら見ても無駄な努力、いつまでも偽者を見分けることはできない。)

さあ、次は何を言ってくるかな。ただし、アメリカ時間の火曜日(日本の水曜日)頃まで更新できないかもしれません、悪しからず。

今、ふと思った。Skeptical な読者よ。これはあがるま君と私の仕組んだヤラセではない。あがるま君は自主的にコメントしてくれるのであって、自分で探してこのブログに来てくれたのだ。私が自分のブログのアドレスを紹介したのは、近藤さんの "Buddhi Prakash" というブログの中でだけだし、個人的にお知らせしたのは「川瀬のみやこ物語」の川瀬さんと、ある宗教哲学のブログを持つOさんの両名以外にはない。後は、ブログの存在を匂わせたブログが一つあるが、アドレスやブログ名は教えていない。

Thank you for joining us. Have a very pleasant weekend!

2 Comments:

Anonymous Anonymous said...

Watermanさんが骨董好きとは!
agalmaと云ふ名前も、本当は彫像が好きだからです。
勿論大理石の彫刻は高くて買へないので(agalmatakiaと云ふべきでせうか)テラコッタが専門です - 所謂タナグラと云ふ奴ですね!

それらも中国人が買ひ出してゐるとかで、最近では大分高くなり美術館で見る程度ですが。
外国旅行に始めて行つたのはタラントですし、一度アレクサンドリアに行つてみたい!と云ふのが長年の夢です。

私は本物・贋物と云ふ(日本的)分類を信じてゐません。今でも中近東あたり?から出て来る粗雑なものでも、その時代の庶民はこんなものを大切にしてゐたのだなと、想像して美術の範囲が広がるやうに感じるのです。

2:26 AM  
Blogger Mark Waterman said...

あがるまさんよ、

その通りなのだ。本物・偽物は、高級品かどうかではない。金を使ったりダイヤモンドを使えば高いかもしれないが、つまらなかったらどうでもいいのだ。私のものなどは、Yard Sale(いわゆるガレージセール)で見つけたアメリカが本当にいい物を作っていた時代の金槌だったり、WWII時代の落下傘部隊が使った飛び出しナイフなどの安い小物だ。(収集という点で、絵画、彫像等は無理だが、美術館はよく覗いている。)もっとも、そういった小物でも、例えば、麦わらストローで編んだ Indian basket などは、100年ぐらい経ったいいものだと3千ドルの値段が付いたりする。

「つまらなかったら、どうでもいい」のは、思想と同じだね。高邁で上等かもしれないが、面白くもない哲学はどうでもいい。骨董や美術は眺めて観察して手元に置いて嬉しいのであって、評論はどうでもいい。

6:55 AM  

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