現代人の精神構造と古代人の精神構造―田川建三先生の場合
Modern Mind and Ancient Mind―The Case of Dr. Kenzo Tagawa
Whether his conclusions are true or untrue, Dr. Kenzo Tagawa’s dissertation was completed in the socio-political milieu of the post-WWII period, which welcomed the class strife even in the academic world. His book Miracles et Evangile, la Pensée personelle de l’évangéliste Marc appeared in 1966, a time (1960s and 1970s) when Zengakuren-type disturbances prevailed all over the world. Zengakuren (全学連) was an umbrella organization of Japanese left-wing student sects.
I have occasionally visited Dr. Tagawa’s Web site in Japanese, and recently I found that he had revised the site two or three times in the past several months. When I visited this time, what impressed me most were his polite expressions to the reader. In effect, he used the phrase “Sumimasen (すみません)”—which means “I am sorry” or “Excuse me” or sometimes “Thank you”—here and there. Throughout his Web site, Dr. Tagawa is trying to do sales promotion for his books in Japanese, in addition to announcing his Bible and biblical language classes, which he calls “Shijuku (私塾),” or his own private school.
In a sense, I truly admire his recent activities after retirement, like Shijuku and his Web site announcements. After his long career, in my opinion, Dr. Tagawa is now teaching the subjects he likes most. Because of his rebellious (!?) faith, he was expelled from the International Christian University (国際基督教大学), Tokyo, where he got his first teaching post after the publication of his dissertation. The situation in the Japanese Christian world was (and still is) special. Dr. Tagawa was never again hired as a teacher of the Bible in Japan after the incident, and so he went on to teach French and sociology in secular universities instead.
Well . . . perhaps I have written too much about his private history. Again, whether Dr. Tagawa’s methodology is true or untrue, in the 1960s and 1970s biblical scholars tended toward a “modern mind” interpretation rather than “ancient mind” historical research. That’s his . . . and you may know why I am writing this entry in English.
Labels: Methodology
4 Comments:
田川建三と云ふ名前は知つてゐましたが、全共闘の関連程度に思つてゐて、瀧澤克己との区別も出来ないまま(両者とも)読んだこともありませんでした。
私が見たことのあるキリスト教関係の本も荒井献とか高尾利数とか吉本隆明など問題のあるものばかりだつたことが、田川のサイトで指摘されてゐました。
沢山出てゐるリーメンシュナイダーの本も好い加減なものばかりだとは思つてもみませんでした。
彼が謝つてばかりと仰るのと反対に、学力や聖書関係のことについては、自信があるやうですが、(2年前の鉄道事故の)感想などは2行で済むことを何度も同じことを書いてゐて、大丈夫なのかと思ふくらいです。その他も実効性のない感想ばかりです。
ブッシュが問題なのは彼の信仰にあると何故指摘しないのでせうか?
それに靖国神社などは日本人の大多数が信奉もしてもゐないのですから、直接反対しても、キリスト教だから思はれるだけでせう。
日本の殆どのサイトと同様、内容が薄く、自分の本を読めと云ふことなのか、肝心のことを書かずに、彼に相応しくないやうな、ほのめかしばかりで気に入りません。
(日本のキリスト教徒が迷信じみた信仰しか持つてゐないと云ふのには大賛同ですが。)
金儲けが出来るほど本が売れることは考へられないのですから、自分の考へを広く伝へる方が(今のお年では)重要なことのやうに思へますが。
あがるまさん
今、朝の7時、出かける前ですから簡単に。あがるまさんの今度のコメントは直截的すぎて躊躇したのですが、確かにそのとおりの面もあるので掲載することにしました。いつもありがとうございます。(あぁ、田川先生の関係者が覗くだろうなぁ。)
今の京都大学キリスト教学科とか同志社大学神学部の教授などと比べてみれば(失礼!)、はるかに本格的な聖書学者だと思います。本など書いたって金になるはずはありません。かつて彼は、路頭に迷っていたときに遠藤周作が助け舟を出してくれたと感謝していました。荒井に対する態度など、攻撃的な性格ですが、感謝の心を忘れない人だと思っています。彼の「私塾」はその心の現われであり、人と神への恩返しなのかも知れません。私は彼が好きです。
MWW
オンラインで慌ててゐたので、誤解されるやうな書き方になつたやうですが、サイトを見て、著作も読まないうちから、田川建三は、誰よりも一番信頼出来さうだと思ひました。
勿論、著作活動が金儲けが目的だとは夢にも思ひませんし、学問的な実力も世界的なものだと思ひます。
私塾をされてゐるのにも、率直で私心のなささうなことにも好感を持ちます。
ただ、図書館に行かなくとも、本を読まなくともネット上で具体的に誰の何処が悪いのか分ればと、無い物ねだりのやうに、思ふのです。
勿論そんな時間が惜しいのだと云ふことは分つてゐます。私がこんな簡単な投書を書くにも結構時間がかかるし、投書して後悔することが多いからです。
あがるまさん
今までコンピュータにアクセスできないところで仕事をしていましたので遅れてすみません。お気になさらないでください。
あがるまさん最初のコメントの中には当たっている部分があると私も思っているのです。彼のような、ある意味で公共の人は、さまざまな批判を受けることは覚悟の上でしょう。ましてや、ホームページを公開しているならばなおさらです。
それに、日本の一般の人は、彼の学位論文などは読まず、日本語で書いた色々の著作で彼を判断しているのだと思います。彼自身もその後は外国語での著作は出していないと思います。(あるのかも知れませんが私は知りません。)
あがるまさんのコメントは他のサイトでも拝見していますが、いつも細やかな配慮をしてくださっていることも知っています。私こそ誤解されるようなことを返事してしまいました。ご免なさい。
MWW
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